北朝鮮人権法(正式には「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」)は2006年6月に成立した。私は当時、共産党本部に勤務しており、そこの政策委員会に所属していたが、6月末に退職を申し出て認められ、9月末に退職することとなった。

 

 私が退職した根本的な理由は、自衛隊に対する見方をめぐって共産党との間で見解の違いが表面化し、担当者として責任を負うことが難しくなったからである。政策委員会で自衛隊政策を含む安全保障政策に責任を負っていたのだから、意見の違いを留保してその部署に居続けるという普通の党員と同じ身の処し方はできなかった。その顛末については、2年近く前に刊行した『改憲的護憲論』(集英社新書)に詳しいので、関心のある方はどうぞ。

 

 当時、退職をするかどうか迷っていた私だが、その決断を早めた引き金となったのは、まぎれもなく北朝鮮人権法をめぐる対立であった。その経過を書いておくのがこの連載の目的である。

 

 北朝鮮人権法は、その正式名称からも明らかなように、拉致問題をはじめとする北朝鮮の人権問題に対処するための法律である。北朝鮮の人権問題というのは、明日少し書くことになるだろうが、世界における人権侵害の中でも超弩級の重大な問題であり、成立させるのが当然のものであった。

 

 ところが共産党は、これに反対することになる。その理由としてあげられたのが、北朝鮮の人権問題は国内問題であって、このような法律をつくることは内政干渉になるというものであった。衆議院の採決に当たっての共産党の発言は、「国際的犯罪行為である拉致問題と、北朝鮮の内政にかかわる「脱北者」問題を同列に扱い、……内政問題への介入となる」とした。参議院段階の反対理由を報じた「赤旗」は、「「脱北者」は内政問題」という大きな見出しで報道している。これを見ると、人権問題の中で脱北問題だけを「内政問題」と位置づけているとも受けれるが、参議院の外交防衛委員会調査室が出した報告の中で、「日本共産党より、法案は国際的犯罪行為である拉致問題と北朝鮮国内の人権侵害問題を同列に扱っているなどの理由から反対討論が行われた」とまとめているように、誰が見ても北朝鮮の人権問題全般を「内政問題」とみなしているのは明らかだった。そもそも人権侵害があるから脱北者が出るのである。

 

 共産党は先日公表した綱領改定案の中で、「重大な人権侵害は国際問題」という過去の態度に復帰することを明確にした。私との意見の違いはなくなった。北朝鮮人権法に反対したことについいても、おそらく真剣な総括がなされるだろうと思う。

 

 その総括が行われ、「重大な人権侵害は国際問題」という見地が定着するためにも、私の体験を明らかにしておくことは、決して無益ではないと思う。私はこの法律に賛成すべきだという立場で活動したし、共産党がそうする選択肢もあったのだから。(続)