この間、自動運転に関する記事やニュースを目にすることが多い。データに遅延が生じない5Gも始まるので、自動運転に適切な環境が整い、いよいよ実用化に向かって邁進するのだと思う。

 

 その方向性はいいことだと思うが、ここ数日の自動車事故のニュースを見ると、自動運転の技術が進むべき道を示していると感じる。事故を起こさない(最小化させる)ために技術は使われるべきだということだ。

 

 いや、自動運転とは、もともとそういうものなのだろう。人や障害物が近づいていたら、自動でそれを回避することが可能になるということだから。5Gで自分の自動車と相手が瞬時に認識できると、そういうことができるようになるのだろう。 

 

 それだったら、池袋や神戸のような事故が起きようとした時、それを自動的に回避するようになるべきではないのか。目の前に人がいるのに自動車が動いていれば、即座に停止するようなシステムである。後の車両に警告も出さなければならないだろうが。

 

 まあ、そういうシステムを導入しても、それでも事故が起きた場合、誰が責任をとるようにするのかが議論になっている。それは自動運転でも事故はなくならないという冷厳な現実を示すものだ。

 

 とはいえ、自動運転技術の明確な目標として、今回のような事故を想定し、それを避けるということを優先順位におくべきだと感じる。それがこの技術を促進する社会的な合意を得ることにもつながるだろう。そうでないと、いくら技術の先進性を誇っても、自動車産業の次のもうけの対象のように捉えられかねない。

 

 神戸の事故を起こしたバスは、直前に乗客全員を降ろしたと伝えられている。その乗客の中に私の友だちの家族が2人含まれていて、本当に他人事でないと感じるのだ。