味を言葉や文章にすることは難しいです。
食べた料理に使われた食材や、食材の機能といった情報を語るならば簡単です。シェフから聞いたこと、メニューに書いてあることを、家に帰ってネットですぐに調べれば大概のその食材の情報を得ることができますから。それをそのまま語ればいいだけです。
しかし、味となるとよほどその食べたものに対して真摯に向き合って、さらに自分の中で「自分の食の基準」が出来ていないと、語ることができません。
もっともありふれた味を語る表現である、
「美味しい」「旨い」
というのは文字にすれば今や共通の記号であり、単に「美味しい」と書いても他の人にはまるで伝わりません。この言葉が威力を発揮する機会は唯一つ。食べた直後に、同席の人、作ってくれた人に感謝の気持ちをこめて言うときだけです。
ただ味を語る・味を書く能力を日頃から養っておくようにしておけば、自ずから食に対して真摯な気持ちになり、「自分の食の基準」も徐々に高みに登っていくのだと思います。
私も日頃からいわゆる「美味しい料理」に出会った時は、家でも、外食でもなるべく「美味しかった」「最高」とは表現せずに、違った言葉で、自分のフィルタを通した自分だけの表現でその時の味を語り・書くように心がけています。
さて味を語る・味を書き留めておくことでここに一つの好例を挙げてみます。
先日私は家族、友人を連れて究極のもやし料理、
を食べに、その料理を創作した都内のフランス料理店へ行ったのですが、私の友人はこのスープによほど強く印象付けられたようで、後になって自分のブログ でこのスープのことを書き記しました。教育者・執筆者でもある彼は、食の造詣も深く、彼の得意分野である音楽も織り込んだ素晴らしい食の記述に仕上げたのです。そのスープに関わる記事をブログから抜粋します。
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◆ブイヨンクレール<ムッシュ・イイヅカ>
闘うもやし業者同級生飯塚君から、小3の長女に誕生日も近いしそろそろきちんとしたフランス料理を食べさせたい、うちのもやしを使ったスープの店だ、ちょっと高いが食べてみないか、スープも頼んでおく、と誘われたので、8月5日、港区にあるその店に行く。
「言葉にできないくらい美味しい」
という小学3年の、夏の日の邂逅についての記述は親である飯塚君が書いている。ここでは「透き通ったブイヨン、飯塚氏」と名づけられた100ccちょっとの奇蹟的な液体について書いておく。
それは一見では、何のスープだかわからない。飯塚君のブラックマッペを使っているという予備知識があって、初めてそれがもやしをつかったものだとわかる。
においをかぐ。これも、初めて食べた野菜ソムリエの方が見学に行った飯塚商店のもやし育成場、「ムロ」のにおいがしたときいていたからわかってはいたが、目にはみえないその小豆の数々は小さな白いカップの中で、思いのほか強いにおいをたてている。そう、飯塚君はいつも「味のない野菜」と呼ばれることにいらだっているが、白くてかさが多いだけの緑豆太もやしではこういうにおいは出ない。しかもこれは、手洗いでもやしにとって重要と飯塚君がいう長い根をそのままに運んで来られたものだ。
仕事の結婚披露宴撮影ですばやく写真を撮ることには慣れてはいるが、この一杯だけは少し時間をかけて、光の向きを変えたり、表面を揺らしたりして撮っておいた。そうしなければならないものがこの一杯には感じられるのだ。
そうした後でゆっくりと口をつける。「湛えている」という動詞がぴったりな、悪いたとえでいえば最近の亜熱帯化した内陸の雷前の夕方のような粒子自体の重さを感じるスプーン触りで掬う黄金色の数グラム。ゆっくりと口をつけてみると、ああ、肉の味がする、もやしはどこなんだろう、と思ったやや長めのディレイタイムの後、圧倒的に短いアタックタイムで飯塚君のもやし工場でざくっと吐き出されるように、そこには見えてはいないブラックマッペの長い根っこを頬張ったような味があった。
……以下、少し経ってから話したことを書いておこう。
肉ともやしが溶け合っているというものではない。肉は肉、もやしはもやしとして一杯の中にいて、スープというのはそういうものだったのだなと、初めて気づいた。なんというかその感じは、初期ビートルズの簡易ステレオ盤のように、ギターは左、ボーカルは右のように、ひどくおおざっぱに分けられた定位のようだが、それはそれでマルチチャンネル録音とは違った味がある。
そう、これはその時には話さなかったが、肉ともやしが時間差で出てくる感じで思い出すのは、アナログ盤をきく時、曲が始まる一瞬前にきこえる、ゴーストというのかあの音声。たとえば『ハードデイズナイト』のB面をかけて、チリチリという音からジョンのシャウトが炸裂する直前に左の上のほうから一瞬だけきこえる空耳のような "Any Time At All" が肉の味としたら、それから2分14秒の4人のサウンドがもやしとでもいうような、そんなタイム感で味が吐き出される。
わざわざ深谷の工場までもやしをみに来てこのスープを完成させた、まだ三十過ぎと若いシェフがあいさつに来たので気になる点をきいてみた。
―この4人分をつくるのにどのくらいもやしを使ってるんですか
「400gです。最初に200gで味を出して、それからまた次の日に200gで味を出すんです。いろいろやってそれが一番よかったんです」
―はあ、スコッチなんかの二段階蒸留みたいですね。もやしのブイヨンっていうアイディアをどうやって思いついたんですか。
「Sさん(野菜ソムリエ)からすごく味の濃いもやしがあるときいたんで、それならいい出汁が出ると思ったんです」
―肉以外ではどんな素材を考えてますか。
「冬になったらアンコウなんかおもしろいんじゃないかと思ってるんですけど」
(録音してたわけでないので引用不正確)
……ビールやワインも飲んで過ごした昼の時間は3時間少し。飯塚君が求めた金額は1万1千円だった。高くないよな、でも、あれだけいろいろ考えてれば、店やってるって楽しいだろうな、と妻子を深谷に帰し次の目的地に向かう地下鉄で飯塚君と話した。
大事なのは、緻密さ、考え続けること、そして愚かさに陥らないこと。
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これほどまでに食に向き合い、味を語り尽くしてみたいものです。
綿密に、考え続け、愚かさに陥らないように。