未到の域へ(2) | 松山英樹応援ブログ

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松山英樹のマスターズ制覇支えた結束 感謝が寛容さ生む

松山英樹 未到の域へ(2)

日経5月20日付けより抜粋

ゴルフのメジャー、マスターズ・トーナメントに出場する選手のキャディーは伝統的な白いつなぎを着用する。今年のマスターズで松山英樹のキャディー、早藤将太のつなぎの左胸には緑の数字「1」があった。この番号は出場選手のエントリーナンバーを示している。栄光の1番は前年王者と決まっており、2番以降はその年の大会前に会場のオーガスタ・ナショナルゴルフクラブを訪れ、登録した順番で決まる。

78は10回目の出場で最も大きい数字。スコアを連想するとゴルファーにとってやや大きすぎる78番が、松山のマスターズ制覇を通じて大きくクローズアップされた。

優勝直後、最終18番ホールの旗ざおからフラッグを取り外し、ピンを元に戻したキャディーが帽子をとってコースに向かって一礼、振り返ると胸には「78」――。早藤のOJIGI(お辞儀)は、日本人のマスターズ初制覇を象徴するシーンとして松山のウイニングパットの場面以上に人々に記憶され、語り継がれていくだろう。

コースへの感謝を表現するという、日本人からすれば自然な礼節ある振る舞い。「いい行動をしたんじゃないか。僕も一緒にできたらよかったなと思う」。のちに松山も称賛、ちょっぴりうらやましくも感じたキャディーのナイスプレー。

ゴルフは個人競技だが、トップ競技の最前線はチームで戦っている。いまや常識だろう。2011年、日本人初のローアマチュアを獲得した初出場のマスターズに、東北福祉大ゴルフ部の松山は監督の阿部靖彦と、キャディーを務めてくれた同期の岡部大将の3人で乗り込んだ。

のちにプロ転向、米ツアーに主戦場を移していくなかで、専属キャディーは初代の進藤大典、19年から早藤へとバトンは引き継がれた。圧倒的な練習量で知られる松山の肉体は常に満身創痍。14年から体づくりを手掛ける飯田光輝、21年からは岩井幹雄も体のケアに加わり、2人の専属トレーナーが交代で、今年30歳になった松山をサポートする。

初代キャディーの進藤は松山より一回り年上で、2代目の早藤は2学年下。ともに高知の明徳義塾中・高、東北福祉大出身のゴルファーで、同窓の松山との付き合いは長く、気心の知れた兄、弟のような存在だ。そうでなければ、2~3カ月もの間、米国で寝食をともにするツアー生活には耐えられない。

これまで米ツアーで松山が放ってきたショットを一番多く見守ってきたのが通訳のボブ・ターナーだろう。「トランスレーター(翻訳者)ではなくインタープリター(通訳)」を自認し、松山の意をくんだ通訳をはじめ試合現場での交渉ごとを取り仕切る。かつてスペインの英雄セベ・バレステロスが来日した際に世話をし、尾崎直道ら米ツアーに挑んだ日本人ゴルファーの通訳を務めた経験も豊富。自身の人生においても異文化で生きることの難しさと楽しさを熟知する「チーム松山」の父親的存在といえる。

それぞれの奮闘努力をもってしても17年夏から約3年半松山は勝てなかった。停滞したチームを変える化学反応を起こしたのが、それまでスイングコーチをつけたことのなかった松山が専属コーチとしてチームに迎えた目沢秀憲だった。松山の研ぎ澄まされた感性のスイングを、弾道測定器を駆使して客観的な数値で解析、それを伝える目沢の言葉の一つひとつが松山の腹にすとんと落ちたことが大きかった。感覚的な松山と「共通言語」を有するコーチの登場。

それまでスイングづくりと試合で戦うことの両方に追われ、エネルギーが分散していた松山がいら立つことなく試合に集中するようになった。コーチを媒介としてキャディー、トレーナー陣が松山というゴルファーの現状をあらためて見つめ直し、活発な意見交換を通じて結束を強めていく副次効果も生まれた。

空気の変化を感じ取った松山が、そこで気付いたのは仲間への感謝の思いだった。「(前の週は)なんで自分はこんなに怒っているのかとあきれるほどだった。マスターズを前にチームのみんながいるからこそ怒らないでおこう、信じてみよう、と。すると試合でのミスも許せる気持ちになれた」

連覇に挑んで14位に終わった今年のマスターズでも松山が発したのはまず感謝の弁。開幕1カ月前に発症した首痛との格闘を振り返り、「痛みなく72ホールできた。そこはトレーナーに感謝したい」。

マスターズのつなぎは貸与されるもので終了後は返却すべきもの。だが、早藤の着た「78」のつなぎはチーム松山に贈られた。78はチームのラッキーナンバーとして松山の使用球に刻まれている。78のボールで昨年10月のZOZOチャンピオンシップでの日本凱旋優勝、今年1月のソニーオープン・イン・ハワイの制覇と2勝を挙げている。(串田孝義/日経)