当社が法人化したのは2009年、平成21年です。それまでは長年に渡り工場のやりくりにばかり腐心していたせいなのか、ずっと個人商店の状態にあったようです。ですから、昔の資料やデータをしっかり残すといった発想がなかったようです。明治期の創業とは聞かされていましたが、2012年に社長になった私が会社6代目だと言われてもピンとこないのが現実でした。その裏づけとなるものが一切ないのですから。
そこで先代・父の松村喜代一が会長に退いて時間が出来たこともあり、そんなあやふやな部分を調べてみようと思い立ちました。やはり会長も知りたかったのだと思います、自分たちのルーツと今に至るまでの流れというものを。ちょっとしたミステリー探索といったものかも知れませんね。

家に肖像画の残る初代・松村浅次郎(心霊写真ではないので。念のため)が始めたのは間違いないようです。ですが、今回の調査で初めて判明しました、この会社のルーツは深谷市ではなく、どうやら都内日暮里にあったらしいことが。そしてそれが1887年、明治17年のことだったことが。
浅次郎の出身地・豊里村(深谷市に合併される前)は「日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一の出身地でもあります。渋沢は幕末時期のヨーロッパ留学で牛乳の存在を知り、これまで日本になじみのなかった牛乳も西洋化の流れで定着するだろうと推測、渋沢事務所を中心に乳牛用の牧場と牛乳の製品化を企画します。そこで同じ出身地の浅次郎に声が掛かり、新たに発足する乳業会社の金杉村支店長として着任することになりました。これが1887年のこと、社名は東京耕牧舎と名乗りました、この金杉村は現在の日暮里に当たります。
この東京耕牧舎は紆余曲折を経て、最終的に当社・松村乳業へとなっていく訳ですが、深谷市1か所だけになるまでにも様々な事柄があったようです。それについては徐々に記していこうと思います。