世界一周!!(中)

世界一周!!(中)

野球一筋で生きてきた。新たな道のスタートとして世界一周へ!

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世界一周旅行が終わってしまった。

日本に帰国して半年経ってはいるが、世界旅のまとめを徒然に。



「旅に出たい。それも世界をぐるりと一周!」

と思い始めたのは、高校を卒業し、希望の大学に受かれず浪人生活を送っているときだった。

毎日朝から晩まで勉強の日々。嫌いじゃなかったけど、真逆の事をしたいという欲求が溢れ、ふと世界一周という文字が頭に浮かんだ。それもあってか、目指す学部も国際という文字のつく学部にした。実際に行動に移すとは思っていなかったけど、『世界一周』は未来にある光り輝く目標の一つであり、憧れであった。

運命であったのだろうか。世界一周を意識し始めた頃に、通っていた塾主宰の講演会の講師に坂本達さんがきていた。坂本さんは有給休暇をとり、自転車で4年半かけて世界一周した人で、途中でお世話になった村への恩返しで井戸を掘ったり、その出来事を本にまとめ出版し、売り上げを支援資金にしている人。そんな人の話は、自分にとってはタイムリーすぎてワクワクがとまらなく話に聞き入ってた。人生で初めてサインをねだりに行くくらいテンションが最高潮だった。それでも『世界一周』は浮世離れした話であり、海外に行ったこともなく、ましてや飛行機にさえ乗ったことのない自分にとっては、心がわき踊る遠い遠い遠い世界の話でしかなかった。

海外に出ることへのハードルを下げてくれたのは、大学で出会った人達。イギリス、フランス帰りの帰国子女、マレーシア、韓国からの留学生に出会い、自分の中の価値観が変わっていった。壊滅的に影響を受けたのは、同じ学部の先輩に世界一周にいった先輩がいたこと。しかも伝統のようにだいたい一年に一人は行っていたwwwすごい学部だよね。そんな雰囲気にどっぷり浸かると普通にやれることなんだーと思ってしまった。

「世界一周旅行しよう!!!」そう決心したのは一年の夏。高校生に向けての大学説明会で親御さんたち向けの学部説明を任され、檀上で話をしないといけなかった。インパクトを与えないといけないと勝手に思い、その場のアドリブで言ってしまった。

「僕は三年生の時に世界一周をやります!」

変なところで宣言してしまったものの、言ったことはやり通したい性分。その場で腹を決めて計画を練り始めることとなった。

それからはバイト三昧の日々。資金目標は150万円。当然ながら親からの支援は頼みにせず自力で貯めようと決心。一年半レストランとホテルのバイト掛け持ちした。奨学金ももらって将来の借金は増えるけど、それ以上に今やっとくべきことにお金を惜しみたくないと思った。野球を続けながらバイトもやりながら授業もボチボチでながら遊んでたりだったから、毎日ハードな日々を送り、週3で練習、週5でバイトのせわしない毎日だった笑。

学校から一年間休学をもらうのも一苦労あった。自分の代から留学やインターンといった正式な理由でないと休学は与えられず、世界一周旅行は正式な理由にはならないと。知り合いに頼み、世界各地のNGO団体と連絡をとり、インターン手続きの証明書を送ってもらって、一年間世界各地でインターンをしてくるという理由で休学をとることに成功!!(実際の期間を短めにしたことは内緒で)。このピンチが、単なる旅行だけではない自分オリジナルの旅を作る一つの要素になった。

長くなりました。ここからは旅のお話。

無事資金も休学も勝ち取り、2013年の4月初めに成田から夢にまでみた世界一周が始まった。成田では、不安と期待が入り混じり初めての飛行機に右往左往しながら日本の仲間と別れた。1か国目 タイ。カオサン通りに到着したのが深夜で調べていた宿も見つからず、初日で唯一日本に帰りたいと思った。料金交渉が上手くいかず落ち込んだり常に下痢はしていたものの、旅自体は順調に進んでいた。特にバングラディシュでは、第2の家族と呼べる人達とも出会えた。そう、インドに入るまでは。。。。。。

7か国目 インド。人生最大の過ち、と感じてないのは踏ん張って旅を続行したおかげだろう。それでもまあーーー騙された!!とんでもなく騙されたわ!!とんっでもなく!!!
詳しくはインド編のブログを見ていただきたい。まあーーーー人間不信に陥ったし、資金も大幅に削られたし、絶望したよね。勉強になったことも多くて普通の人ができないような経験はできたけど、やっぱりインド嫌いになれないんだよね。

インドからトルコに飛んでヨーロッパ編のスタート。しかし、資金不足が否めすぎてヒッチハイクを敢行することに。最初はいつも通りびびりまくって、恥ずかしがってた。絶対に場所変えたり人に直接話しかけたり工夫することはたくさんあったのに、くよくよとその場に行先の紙だけ掲げて何時間も突っ立てたりした。学んだことは、やはり自分で行動した分だけ見返りがあるということ。道路沿いで行先を掲げて立つことでまず、車は止まってくれるかもしれない。さらに、駐車場で休んでるドライバーに自ら声をかけたほうが確率はいい。元気よく声かけることでこいつなら道中面白いかもと思ってもらえるようにふるまってみたりと実践的なコミュニケーションスキルの訓練をつめたけど、最終的に成功したのは人々の優しさのおかげだった。載せてくれる次のドライバーを一緒に探してくれ、ご飯をおごってくれたり、ちょっと遠回りになるけど大きなSAエリアまで乗せていってくれたドライバー達の優しさに救われた。




フィリピン、スロヴァキア、ウガンダでのボランティアは、低所得者の村の問題を解決する活動に従事したり、子供たちとスポーツをしたり、英語で野球の指導をしたりと様々な経験を積んだ。普段の一期一会の出会いよりも一層深い関係になることもできた。特にウガンダで野球の指導を英語で子供たちに教えた時に感じた英語力の乏しさ、指導の難しさ、人付き合いの下手さ加減には嫌気がさした。英語しか通じない環境で、英語で指導することもままならず、練習が終わったら、皆とコミュ二ケーションを取るのを怖がったのか億劫だったのか、すぐに自分の部屋に引っ込みパソコンに勤しむ自分。日本にいた時と変わんねーじゃんって自己嫌悪に陥ってた。こういった自分の悪い点もすべて自分で責任を取らないといけない所も一人旅の大変さであり、成長させてくれるポイント。

よく聞かれる質問。どこの国がよかったですか?トルコとモロッコて答える。求めている良いの基準がはっきりわかんないので、いつも一番楽しかった国を選択している。なんで楽しかったか、それは一緒に旅していた人が良かったからにたどり着く。人によって良かった悪かったは変わるだろうし、インドで詐欺に遭わなかったらインド大好きになってたかも。もちろんトルコ、モロッコ自体も魅力あるオススメのいい国です。

もひとつ。行っとくべきはどこですか?ウユニ塩湖とロライマ山。ウユニは日本人観光客で溢れかえっているけど、確かに皆がこぞって来たがる価値はあると個人的には思う。あと、ロライマ山はツアーで登山をするんだけど、達成感が加味されて頂上は最高の気分!苦労した分だけ感動もひとしおパターン。


たくさん刺激をもらった人たちに出会えた。日本人外国人にかかわらず。曲の印税で世界を旅している人、夫婦で世界一周している人、60歳で世界中飛びまわってるパワフルばあちゃん、70歳で俺よりも多くの国を回ってるわき毛ボーボーばあちゃん、ストリートパフォーマンスでその日暮らしの人たち。、貧しくても家の手伝いをしながら必死に勉強している子供。

もちろん、嫌なおもいや見たくないものもあった。ヒッチハイク中に石を投げられたり、この国から出ていけと言われたり、騙そうと近づいてくる奴らもいた。1日100円程度の給料で働かせられる茶畑の労働者。雨漏れの激しい狭い家で大家族が雷に怯えながら暮らす様子。ルワンダでみたホロコースト記念館に安置してあるおびただしいミイラ、赤ちゃんミイラ。線路上で寝ている子供、観光客に必死に物乞いする子供、大人。観光地をまるで消費物のようにやりたい放題荒らして帰っていく観光客。


日本人は世界の人々に好い印象を持たれている。世界中どこへ行っても日本の製品は良い、TOYOTAは最高と言ってくれ豊田市民としては誇らしくも思う。日本の旅行者の態度も素行も基本的には良いと評判で友好的に接してくれる人達も多い。特にトルコやバングラディシュはとりわけ親日国家。こんなに日本人の評判が良いのも自分よりも上の世代の人たちが努力し、また正しい行いをしてきた結果で、有難いこと。そんな日本人に生まれてよかったと思った。もちろん途上国の貧しい人達を見てそう思った部分もある。水も簡単に安全なものが飲めて、犯罪率も低く、平均寿命も世界トップクラス。餓死者なんていたらすぐニュースになるし、皆無条件で教育が受けられる。こんな恵まれた環境で生まれたことはラッキーとしかいいようがない。そのラッキー、有難さを身体で実感できたことは自分の財産。


頭では分かってるのだけど、やっぱりアフリカで黒人社会に入った時の抵抗感はやっぱりあった。人種差別はダメ。もちろん理解はしているんだけど、どうしても拭いきれない自分との異質感を感じてしまっていた。こういった感覚が歴史的に黒人差別を助長してきたかのかもしれない。見た目が自分と違うことにこんな動揺するとは思っていなかった。今なら黒人とふと接する機会があっても何の抵抗感もなく話すことができるし、違和感も全く感じない。直接的な交流でしか異質感を拭い去ることはできないとも思い、そういった意味では価値ある体験だったっし、異文化理解と呼ばれるものの難しさを感じた。

帰国。日本に帰る便に乗った瞬間大きなため息がでたと同時に本当に旅が終わってしまう実感が湧かなかった。最後の最後まで日本に帰りたいという思いが湧くことはなかった。案外、どこでも生きていけるタフさがあったんだな。成田が見え始めて、これまでの旅が走馬灯のように思い出される。。。。。。ことはなく、むしろ思い出が多すぎて思い出すことも面倒だった。日本に帰ってからはすぐに忙しい毎日が始まった。思いのほか日本社会には上手く順応できた。ひげも髪もバッサリ切るとそれまで海外にいたことも忘れそうなくらい普通に戻った。また旅に出たいともおもわないし、旅から帰ってきて変わったなともあまり言われない。旅行に行ってたのは夢だったのかとたまに思う。笑


世界一周いって良かったです。トータルでいうと大勝利です。同期が英語ぺらぺらになって留学から帰ってきたのに若干の劣等感はあるけど、一人旅が一番自分にふさわしい成長の仕方だったとも思う。自分で決めて自分で行動したことは後悔しないというのは本当でたとえもっと散々な目に遭って途中で旅が終わってたとしても世界一周を目指したことに後悔はなかったと思う。帰国して完全燃焼した感があり、心湧き上がるようなことを見つけられてない。人生の第一ステージのメインが野球で、第二ステージが世界一周だった。第三ステージはおそらく仕事になると思うけど、次に熱中して過ごすことのできる何かを探し中。



ブログは旅中も全然更新していなかったけど、ブログがあったからメリハリつけようと思えたし、いい思い出が残せたと思う。最後の記事がくそまじめな文章だけの記事になってしまい申し訳ないです。読者は全くいないけど、最後までブログを読んでくださりありがとうございました。この記事がおそらく最後の投稿になります。また世界のどこかで会いましょう。







ほじゃ。



りょーたより