医療政策の問題を社会政策にすり替えていないか~年末年始コロナフリーズの妥当性について~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

 世界中がコロナで始まり、コロナで暮れることになったのが2020年という年だった。結果として、何もかもが異常な年になったが、こと日本に関していえば、この新型コロナウイルスが起こす感染症covid-19に対する認識も政府の対策もメディア世論も、虚心坦懐に数字を見たり、心ある専門家や科学者たちの意見に耳を傾ければ傾けるほど、異常だらけだったような気がしないでもない。とりわけ、「第三波」という事態を受けて、欧米に比べて犠牲者が二けたレベルで少ないこの日本において、医療の逼迫や医療崩壊の懸念があるとして、この年末年始に社会経済活動の全般的な抑制をかけた政府の対応には、素朴な疑問を感じさせるものがある。ここから見えてくるのは、ウイルス感染の問題よりも、むしろ、日本の医療システムの問題なのではないか。

 

●数字が語る日本と欧米の顕著な違い

まず、2020年12月20日時点で入手可能な最新の数字からみてみたい。経済をみるときに大事なのがストック(蓄積の数字)とフロー(一定期間の増加数)の区別であるように、感染症も両者を明確に分けて数字をみないと、大変ミスリードな印象を人々に与えてしまう。日本の現状は、このストックベースでは、新型コロナの陽性者数は192,418人(総人口比0.16%、1万人に16人)、重症者数598人、死者数2,827人(総人口比0.002%、10万人に2人)。フローベース、つまり一日当たりの新規発生数でみると、陽性者数は+2,833人の増加(これがメディアが取り上げている数字)、重症者数はなんと、前日比マイナス11人と減少しており、死者数は+45人の増加となっている。

これを欧米と比較してみた。倍率は、当該国の数字を日本との人口比と日本の数字で割り込んだ実勢倍率、< >内は一日当たり新規発生数(フローベース)の倍率である。

感染者数、死者数とも世界最大の大国である米国では、陽性者数の総人口比は5.32%と日本の33倍、死者数は31.4万人で41.7倍<一日では+2,803人で23.4倍>となっている。欧州のなかでもこれまで比較的、感染を抑えてきたとされるドイツでも死者数は2万6千人で13.4倍<一日では+727人で23.8倍>。日本でも盛んに報じられているメルケル首相の感情的な会見をしたときの数字は一日で+600人近く。日本とは段違いの状況があり、メルケル氏でも感情的になっておかしくないであろう。

英国は死者数6万7千人で43.7倍<一日では+490人で20.2倍>、あのパニック状態を起こしたイタリアでは、いまでも死者が減らないとの現地からの声が届いているが、死者数6万8千人で49.0倍<一日では+674人で30.6倍>だ。

このように、免疫状況が欧米とは異なる日本が欧米とは別世界である。

これについては、一時、「ファクターX」という言葉が流行り、色々な説が提示されたが、それらがいずれも日本の学界中央できちんと取り上げられ、検証や分析を経て定説化する動きがほとんど見られなかったのも不思議なことである。専門家ではない私には正確なことはいえないが、これらの説は概ね、次のように分類されるのではないか。

・自然免疫説…遺伝子やBCGなど

・交差免疫説…東アジア特有の土着コロナ亜種で形成されてきた免疫が新型コロナウイルスに対しても効いている。

・獲得免疫説…同じ新型コロナウイルスでも、パンデミックを引き起こしたウイルスよりも変異の前段階の弱毒性のウイルスへの感染が日本を集団免疫状態に導いた。

PCR検査交差反応説…日本では新型コロナウイルスではなく、遺伝子構造が未解明な土着のコロナ亜種にPCR検査が交差反応しているケースが多い。

以上の中で、やはり最も説得力があるのが「上久保-高橋説」であろう。このブログでも何度か取り上げてきたように、これは、日本で新型コロナの集団免疫が形成されたメカニズムを、弱毒性のS型、それが変異した弱毒性のK型、その上に流入した恐ろしいG型(武漢型と欧米型)というウイルス曝露の順番によって説明する見方である。

つまり、最初のS型が世界中に蔓延したのに対し、次のK型が蔓延したのは日本など東アジアの周辺国(発生源の中国を含む)に限られ、これによって形成されたT細胞免疫が、次のG型を撃退し、新型コロナの集団免疫が早々に達成されたのに対し、2月早々に中国からの渡航を全面禁止した欧米ではK型が広がらず、S型でできた免疫状態のままG型を迎えたため、逆にADE(抗体依存性感染増強)を引き起こし、パンデミックに…。

 

●世界中が踏み外した感染症への正しい見方

欧米と日本とのここまでの違いは、日本の生活習慣とか自粛に関する国民性や医療界の努力などではなく、こうした免疫状況の差によってしか説明できないと考えるのが、「コロナ脳」に毒されていない真に「科学的」な見方であろう。日本の上久保先生だけでなく、海外でも感染症の基本に立ち返った正論が少しずつ出始めている。

これはドイツの専門家が最近著した本(スチャリット・バクティ&カリーナ・ライス著「コロナパンデミックは本当か?」日曜社)で訴えていることだが、…「ウイルスに対するPCR検査が陽性であれば、臨床診断がどうあれ、COVID-19(新型コロナ感染症のこと)の症例として報告しなければならなかった。この定義は、感染症学における基本ルールの許しがたい違反である。すなわち『感染』(病原体の宿主への侵入と増殖)と『感染症』(感染による病気)を区別する必要があるというルールだ。COVID-19は感染者の10%にしか発生しない重篤な病気の名称であるのに、不適切な定義ゆえに、『症例』の数が急増し、このウイルスが世界中の人々の生存に関わる脅威のリスクのトップに躍り出たのだ。」

「もう一つの重大な間違いは、ウイルスに陽性反応を示したすべての死亡者が、コロナウイルスの犠牲者として公式記録されたことである。この報告のやり方は、すべての国際的医療ガイドラインに違反している。癌で死亡した患者の死因をCOVID-19だとすることが、どれほど馬鹿げたことであるかは、言うまでもない。相関関係は因果関係を意味するものではない。これは、世界を大惨事に追い込むように仕組まれた因果関係の誤りであった。」

「当初から政治とメディアが一体となって、漠然として、かつミスリーディングなイメージを拡散した。常在するいろいろな種類のコロナウイルスとは違って、この新たな変種に対しては狙いを定めたウイルス狩りが始められた。検査結果陽性者は誰でも、感染症学では常識となっている≪感染≫と深刻な発症との区別なく、新規の≪ケース≫として登録された。それによってたちまちにしてこのウイルスが、まるで世界にとって大いなる脅威であるかのように事態は発展した。なぜなら、感染者数が-中略-検査による陽性率の増加に伴って急激に増加したからだ。-中略-死者数のうち、このウイルスに感染していたと確認された人たち全員が、コロナによる犠牲者として公式に登録された」…

上記は世界共通の傾向であるが、日本とは桁違いの犠牲者が出ているドイツの専門家ですらこう述べているのだから、日本において脅威がミスリードされている程度はもっとはなはだしいといえる。ここで大事なことは、不等式【陽性者>感染者(陽性者の一部)>発症者(感染者の一部)】において、本来、医療の対象は最後の発症者であり、感染者でも、ましてや陽性者でもないということだ。

 

●現場からの真摯な指摘「PCR検査交差反応説」について

ここで、もう一つ、そもそも日本では「陽性者」すら、その多くが擬陽性であるとしている前記の「PCR検査交差反応説」についても触れておきたい。

これは私の大学時代の同級生で、東大医学部を卒業後、現在も某国立大学で臨床内科の名医として現場で活躍しているA氏が、コロナ騒ぎが始まってから一貫して、現状をバカ騒ぎとして主張している見解である。

日本には、数多くの種類の、遺伝子構造が未解明なコロナウイルス(普通の風邪の原因)の亜種が存在し、そもそもプライマー設定等により検査結果がいくらでも変わり得るような「あざとい検査」であるPCR検査で陽性判定している多くの場合において、それがこれらの亜種に交差反応している場合が多いという見方である。残念なことに、これら亜種が遺伝子構造が不明であるため、検査が亜種に反応しているのかどうかを簡単には立証できないことが、この見方が普及しない原因だ。これは逆に、そうした現象が起こっていないことも立証できないことを意味する。

このA氏の見方は、何十年にもわたる臨床現場でつかんでいる実態を踏まえたものと考えられるが、「感染」が拡大し、「第三波」と言われる現状においても、この見方が100%正しいことについて微動だにしていないとしており、世界的に新型コロナの陽性判定に広くPCR検査を用いている事態を「PCRの歴史的誤用」と断じている。そして、PCRよりも確実なのは、発症者に対して用いる「肺CT」だとしており、これは他の多くの現場の臨床医にも共通の見解のようだ。日本が現場の医師の抵抗でPCR検査の拡大が進まなかった要因の一つであろう。

下のパワーポイントはA氏の現時点での見解をまとめたものである。

確かに、PCR検査については、日本では「CT値」の設定が40~45と高く、これでは、わずかのウイルスでも、ウイルスの死骸にも反応して陽性と出てしまうとされている。これも「感染拡大」の数字を押し上げている要因だろう。陽性者と真の感染者とは異なる。基本的に感染力の推定限界は32とされており、これが適正な値だというのが、上久保先生の見解である。

 

●免疫力の強化こそが答であるはず

以下、上記の「PCR検査交差反応説」は脇に置いて、現在のPCR検査が正しく陽性者を判定しているという前提で論を進めてみたい。新型コロナの場合は、無症状者でもウイルスをばらまく度合いがこれまでの普通の風邪の原因であったコロナウイルスよりも強いため、社会政策的な措置によって陽性者そのものを減らす配慮が必要だということはあるだろう。

しかし、ウイルスというものは人類が誕生してから、人間と常に共存する存在であり続けてきたものであり、人類が生存している限り、これを根絶することはおよそ不可能。「収束」は集団免疫によってしか達成されないものだ。風邪に「感染」しても、免疫力によって発症を抑えているのが私たちの日常。発症しても、免疫力によって重症化を防ぐ。インフルエンザや風邪に罹っても、医者がやっている処方はこれである。特効薬など無い。ワクチンは人為的な集団免疫形成措置といえるが、まだ色々な問題がある。

答は免疫力にこそあり、巣ごもりによる体力や精神力の衰えこそが免疫力を低下させ、犠牲者を増やすことになりかねない。特にこれは、日ごろは元気なはずの高齢者について言えること。理想をいえば、基礎疾患のない元気な人はみんなで感染し、免疫の壁を作って、自宅や施設にこもる弱い高齢者を守ることが対策の要諦。「上久保-高橋説」では、免疫がいったんできても、ウイルスに曝露を続けなければ「ブースター効果」が発生せず、数か月で免疫は廃れてしまう。活動抑制はこれに真っ向から反する。

それでも免疫力の弱い人への感染を一人でも少なくしたい…ならば、それとはトレードオフ関係にある経済社会の犠牲とのバランスをどの辺りでとるかを、それぞれの国の実情に応じて現実的に判断すべきであろう。この面からみても、日本は過剰といえる。

 

●日本の超過死亡数はマイナスに…交通事故死対策でクルマの運転をやめさせる?

昨年の日本の死者数は136万6千人だったが、これまでの新型コロナでの日本の死者数は欧米とは桁違いに少ない2,827人、これに近いのが昨年の交通事故死者数だが、これは過去最少の3,215人(うち高齢者が5割以上)であった。私が記憶する限り、これ以上交通事故死者数を増やさないためにと、クルマの運転の自粛という社会活動の抑制策を政府が国民に要請したことはない。交通事故対策はこうした社会政策ではなく、信号機の増設とか運転マナー、歩行マナーの向上といった交通政策の側で対処してきたはずだ。

交通事故と同列視してほしくないという意見もあるかもしれない。ならば、感染症で数字をみてみよう。アゴラ所長の池田信夫氏によれば、感染症のリスクをみるにはコロナだけではなく、他の感染症を含めて平年より死者が何人増えたかという超過死亡でみるべきだ。今年に入って、この数字は欧米ではかなりのプラスだが、日本の場合、超過死亡(死者数-平年値)はマイナスである。人口動態統計でみても、今年の死者は9月までの累計で約1万8千人減っており、池田氏によれば、このペースだと、今年の死者は昨年より約2万4千人減ると予想される。このところ増え続けていた死者が逆転し、自然減が3千人あまり減少、少子高齢化の日本で、一時的にせよ人口が下げ止まっている。

他方で、インフルエンザの感染者数は、11月第一週~12月第二週で比較してみると、2017年は2,275万人、18年は1,210万人、19年は729万人に対し、今年はたったの202人。これは、コロナ対策によるマスク着用などでインフルも減っているということでは説明できない少なさであろう。やはり上久保先生が指摘している「ウイルス干渉」が起こっている…。コロナは全体として感染症を抑制してくれている…?ちなみに、日本の毎年のインフルエンザによる超過死亡者数は概ね1万人程度と厚生労働省は発表しているようだ。

 

●医療界の意向には政権も逆らえない…お医者さんも休みたい、コロナは避けたい

先日、「東京で新たに460人感染 重症者は78人」というタイトルのネット記事が目にとまり、たまたま時間があったので中身を読んでみると、「東京、新たに460人感染 重症者、5人増の78人」であった。タイトルだけなら、あたかも「重症者が新たに78人」!大変な事態だ…と印象付けられたかもしれない。前述のように、全国ベースで重症者が減っている日もあるのが昨今であめにも関わらず…。メディアの特性は国民を不安がらせて視聴数を稼ぐことである。不安にさせて視聴者を囲い込むのはテレビのフォーマットだ。

そのメディアは政府を批判しても、医療には何も言わない。国民を不安がらせるコメントを出してくれる医療界は敵に回せないのか。前述のように、PCR検査の拡大には大いに疑問を持つべきだが、それは差し置いて、PCR検査が日本では増えなかった原因は、現場の医師が猛反対していることである。しかし、メディアは政府を批判しても、医師たちは批判していない。その医師たちの政府における牙城は厚労省の医系技官たちだが、厚労省の次官とて、この方々に反対されることをすれば、行政ができなくなるそうだ。

医療の素人である政権がコロナ対策で頼りにせざるを得ない専門家会議も専門家分科会も、要するに、厚労省が選んだ医療界を代弁する方々。上久保先生からレクを受けている菅総理や加藤官房長官がどんなに、経済社会活動が大事だ、景気の二番底や、失業倒産、自殺の増加を避けたいと思っても、医療界の言うことには従わざるを得ない…。

「年末年始を静かに過ごすことが大事だ」との分科会からの提言を受けてGoToトラベルの全国一斉での一時停止措置を発表した菅総理は、その時の記者会見で「年末年始は医療機関の体制をどうしても縮小せざるを得ない」と表明している。はて?社会的距離戦略としての緊急事態宣言の再発出も囁かれるほど「感染者」が急増しているのであれば、医療界にこそ緊急事態宣言を出すべきなのでは…?こんな素朴な疑問も思わず浮かんでしまう。

私も新型コロナで前線に立つ医療人の方々には国民の一人として心から敬意を表するものである。しかし、先日、松田政策研究所CHで対談をした八幡和郎氏(お医者さんの家のお生まれ)は、それは新型コロナを担当する医療人たちのこと、医療界全体ではないとしている。同氏によると、大阪の某病院では、松井市長からの要請で新型コロナを受け入れることになった途端に、医師がほとんど全員、辞めてしまった、しかも院長は、それは理解できる、やむを得ないという趣旨の発言をしていたとのこと。これは霞が関の官僚ではあり得ないことだと、通産省出身の同氏と私の意見は一致していた。

 

●医療崩壊とは…医療界の構造問題がもたらした機能不全

 病院の多くが国営あるいは公営の国々が多い欧州では、例えばフランスでは、国の指令により医師が強制的にコロナの診療に駆り出され、なかには犠牲者も出たとか。社会的な尊敬では他の職業の比ではないプロフェッショナルの医師たちのノブレス・オブリージュまであえて指摘はしない。しかし、人口当たり犠牲者が欧米の数十分の一に過ぎない日本で医療崩壊の懸念がこの年末年始に言われるというのは、何か医療の側の機能不全なくしては考えられないことではないか。もし、欧米並みの状況が日本でも発生したらどうなるか。武漢どころの騒ぎではなくなるだろう。八幡氏は、いまも日本の医療界は平時の対応から変えようとしていない、それを守ろうとしていると指摘している。

 感染者や発症者が増えると、とにかく医師が足りないと言われているのが日本であるが、人口当たりの病床数では主要国で一番の日本も、人口千人当たり医師数では、OECD30数か国のなかでビリから6番目、ドイツの6.3人に対して2.4人という数字もある。しかも、一病床当たり医師数では、日本は米国の4分の1、OECD諸国くの中では最低だそうである。

しかし、厚労省は2030年代には日本の高齢化はピークに達し、その後は医療需要は減少に向かい、医師が過剰になるとして、医学部の新設は国家戦略特区といった例外中の例外以外は一切ノー、医学部定員の増加にも抑制的だった。私は、感染症中心の現在の医療ニーズに鑑みれば、心理学、都市工学、ITなどさまざまな分野の医師資格者が必要だとして、総合診療医を中心とした医学部の新設を主張してきたが、厚労省も文科省も頑なだ。

参入を制限することで発生するレントは既得権益そのもの。これを守ることで国民に多大な犠牲を強いているきらいはないか。医師数だけでなく、システムのほうにも大きな問題がある。コロナ最悪の米国は公的医療保険システムがなく、犠牲の少ない日本は欧州とは異なり、大半の病院が民間であることが、弾力的な危機対応を難しくしている。

今回露呈した日本の医療界の構造問題としては、専門医偏重のあまり総合医が不足していること、緊急医師や緊急看護師を養成する必要があることや、新型コロナ受け入れ病院が不足していることの背景に、自治体間、病院間、診療科間での人的・物的資源の融通における硬直性があることなど、挙げだしたらキリがないようである。

ちなみに、日本のICU(集中治療室)は人口当たりで、あのイタリアの半分程度との指摘もある。ドイツでは2012年にロベルト・コッホ研究所等が今回の事態を予測してパンデミックリスクシナリオを策定、20年2月時点では人口10万人当りICUは29.2床(日本は5床)、この4月には4万床まで増やし、イタリアやフランスの患者も受入れたとか。

今回、日本で問われることになったのは、感染症対策を国家危機管理の問題と捉え、現場医療対応の弾力化についてシステム化を図る総合戦略ではないか。これが間に合わないなら、国民に犠牲を押し付けることなく、日頃から対応を怠ってきた医療界の責任として、医療界緊急事態宣言による医療資源フル動員を実施すべきではないだろうか。

もう一つ、現状での医療の逼迫をもたらしている大きな要因が、指定感染症の分類が未だにⅡ類での、ペストやエボラ出血熱と同様のⅠ類扱いが続いていること。陽性者は全員、医学的な対処が必要になっている。もはや、新型コロナの致死率はⅤ類であるインフルエンザ並みになったという話も耳にする。もうそうなら、Ⅴ類への引下げを検討すべきだろう。田村厚労大臣は、まだ新型コロナの正体が十分に把握できていないので、来年2月以降も延長する勢いだが、これは、安倍前総理が辞任の際の談話で遺言?として残した、指定感染症分類の見直しの検討を無視したもの。ちなみに、安倍氏は「上久保-高橋説」を最もよく理解している政治家の一人である。

 

●すでに始まっている経済社会の崩壊…来年はM&Aの年になる?

今回の年末年始行動制限令?を受けて、早速、私の知人で20年以上も頑張ってきた飲食店経営者から、先行きも不安だし、さすがにもう年内で店を閉めようと思っているとの声が届いている。GoToは一時的に止められても、経済社会には再生が不可能な崩壊があちこちに発生し始めている。コロナ対策で無利子無担保の融資が膨らんだが、今回の年末年始措置で、その返済もいよいよ困難になるとの声もある。

来年は、もうやっていけない中小企業の買収が増えそうだ。M&A業界にとっては、絶好の金儲けの年になるとか…。アトキンソン理論の強制執行が起こりそうである。かつての地方振興は工場誘致だったが、経済構造が変わった現在、それはインバウンドや観光など、ヒトの流入。これを断つ政策は、菅総理も標榜する地方創生を潰すことにもなる。

企業は中国勢に身売りするのか?地方だけでなく、日本経済や社会そのものまで潰すことに…。戦前、経済不振のなか、地方では身売りが蔓延し、軍部の台頭、戦争へとつながった歴史まで想起する人もいる。

こんなときこそ、コロナの実態や先行きを推し量るために必要なのが、上久保先生の見解だろう。これまで3度にわたり、松田政策研究所CHでご発言いただいたが、今般、体調を崩され、4度目の出演に代わり、私からの質問にも答える形で、詳細なメッセージを寄せていただいた。

これについては近日中に当チャンネルで配信し、このブログにも掲載することとしたい。