それどころか、医師のところに行く前に神のもとを訪れていたら、狂気の沙汰と考えられていたに違いない | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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プロ倫の中にこんな一節がありました(いや、実際はプロ倫の中ではありませんでしたが)。

 

13世紀のアルビジョア十字軍の最中、カトリック教徒たちは異端者の大虐殺を行った。時間と手間を浮かせるため、異端者かどうかにかまわず無差別に虐殺を行う者もいた。彼らにしてみれば、誰が誰なんてどうでもよかった。「結局は神が両者を選別する」のだから。

 

異端者かどうかを確認せずに無差別に虐殺を行う者がおり、もしキリスト教徒を間違って殺したらどうするんだ、という心配に対して、神は異端者のみを殺すから、とうそぶきます。

 

見事です!

 

 

*画像は本文とは関係ありません(^o^)

 

 

たしかに神の全能性を信じていれば、自分が間違ってキリスト教徒を殺すはずがないというのが「信仰」でしょう。

 

それが我々にとって狂信に見えるのは、我々がもはやキリスト教にハマっていないからです。信仰を失っているからです。

しかし、いつも思うのですが、本気で信仰しているのであれば、わざわざ自分の手を汚して、異端者を罰する必要がないのではと思います。神がやってくれます。

 

これって面白いなーと思って、セミナーで紹介したいと思っていて、再度プロ倫の中を探しました?

 

と思ったら、

 

「あれ?」

 

何度探してもない、、、となって、結局、おかげでプロ倫を繰り返し読むことになりました。こんなことでもない限り読み返すこともないし(←失礼な発言)、プロ倫を批判している人は多いけど、これはこれで面白い(ってどんだけ上から目線だよ)って思いました。

 

 

 

で、これは気付いている人も多いかと思いますが(受講生の方が正確に覚えていますね)、タレブです!

 

 

 

でも、この感触って大事ですね。

 

「結局は神が両者を選別する」のだから

 

と躊躇(ちゅうちょ)せずに大虐殺していくという感触です。

その心象風景です。

殺すことも、神を信頼しすぎることも問題ですが、そういう話ではなく、パラダイムが違うと、これほどまでに見方が違うということです(当たり前か)。

 

私事ながら、ちょうどCovid19が日本で猛威を振るっていたとされる3月半ばに、家の宗教のモスクへ参拝していました。いわば本山であり、嘆きの壁みたいなところですね。

 

一生に一度はお参りしたいと幼い頃は、子供心に思っていましたが、行ってみたら一生に一度で十分だねと思いました(笑)

 

そのモスクでは、コロナ騒動はどこ吹く風と3密上等と言わんばかりに混んでいました。

そこで、そこの司祭に聞いてみたところ、

 

「感染のリスクを防ぐとか、重症化などと言いますが、、、

 

祈りがあれば感染しない、、、などとは言いません。

 

すべては御仏のはからいであり、

 

感染するときは感染すればよく、

 

死ぬときは死ねば良いのです」

 

 

とおっしゃっていました(嘘です)(全くのフィクションです)。

 

 

 

 

とは言え、立派な宗教なのだから、そこまで振り切って欲しいと心から願いました。

 

別に信徒に密を強制するわけでもなく、単に希望する信者はガンガン集って、ガンガンお祈りして良いですよ、と。

 

我々は現世の論理で動いているわけではない、あの世の論理で動いているのだから、と(まあ、お釈迦様はあの世は否定されましたが。否定というか無記ですね。ノーコメントってやつですね)。

 

あの世の論理ではなくとも、宗教の論理でグイグイと迫って欲しいと思いました。

 

ガチで信じているならば、政府や医学界の意見をリスペクトしつつも、自分たちの論理を優先して欲しいと思いました。

 

なぜなら、

 

「結局は神が両者を選別する」のだから

 

です(笑)

 

いや、本気でそう思います。

 

 

 

タレブは「ローマ教皇は無神論者か?」と言います。

 

いや、もう少し丁寧に言えば「ローマ教皇と無神論者の見分けはつくか」と。

 

 

これは僕も違う意味で引用することが多いエピソードですが(「違う意味」については後述します)、1981年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は銃撃されました(「された」とは尊敬語の意味ではなく、受け身の意味ですw)。

 

*ヨハネ・パウロ二世は「空飛ぶ教皇」と呼ばれていました。もちろん本当に空中浮遊したら最高ですが、飛行機で移動されていました。

 

 

余談ながら、さきの尊敬語と受け身問題で言えば、本当にヨハネ・パウロ二世がセーラ服を着て、機関銃で銃撃されて(これは尊敬語)、「カイカン、、」と言っていたら面白いですが、そんなことはありません(いや、ふざけて申し訳ありませんm(_ _)m)

 

 

 

ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は銃撃されたあとに、そのまま馬に乗せられて、もしくは馬車で、はるかルルドまで運ばれ、そこで奇跡的治癒をしましたとさ、と終われば良いのですが、さにあらずです。

 

*ルルドの泉

 

 

もちろん銃撃された直後に、病院に運ばれます。

 

タレブによればアゴスティーノ・ジェメッリ総合病院です。そこの救急治療室に搬送され、イタリアを代表する医師が集結していました。

 

タレブいわく、

 

それどころか、医師のところに行く前に神のもとを訪れていたら、狂気の沙汰と考えられていたに違いない。それはカトリック教会で禁じられている自死とみなされ、カトリック教会の教義に背くことになるだろう。

 

 

とまで念押ししています。

(キリスト教が生き残った理由は権力と寝るのが上手だからです)

 

 

タレブはここから「ローマ教皇と格の等しい”無神論”の宗派の最高指導者がいるとしよう」と仮定して、その最高指導者が同じく瀕死の状態に陥ったとしたら、もちろん病院へ行くだろうと言います。

それはそうですね。

 

よって、

 

ほとんどのキリスト教徒は(キリスト教正教徒の私自身も含めて)、医療、倫理、意思決定の重要な場面に直面すると、無神論者とまったく変わらない行動を取る。(略)

大半のキリスト教徒は、神権政治を求める代わりに、現代の民主主義、寡頭政治、軍事独裁政権のような異教の政治体制を受け入れている。重要な物事に関していえば、キリスト教徒の決断は無神論者の決断と区別がつかないのだ。

 

と言います。

 

引用やフィードバックを読まないことを誓っている人が多いので、一言でまとめると(笑)

 

重要な物事に関していえば、キリスト教徒の決断は無神論者の決断と区別がつかない

 

ということです。

 

 

また、あわてて付け加えますが、僕自身も銃撃されたら、周囲の気功師に連絡をして遠隔をするように頼んだりはしません(笑)(銃撃ではなくても、頼みませんがw)。

むしろ現代医療のお世話になります。交通事故などでも。逆にそれ以外は、敬して遠ざけます。

 

 

で、話が長くなったので、大事なところをすっ飛ばして結論に行きますが、

 

キリスト教徒の決断は無神論者の決断と区別がつかないのではなく、我々は医学という宗教を無前提に受け入れていると考えます。

キリスト教徒でも仏教徒でもイスラム教徒でもユダヤ教徒でも、自分たちを超越する存在としての現代医学という宗教の存在を認めさせられているのではないかと思います。

 

 

現代医学が宗教?信仰?

 

って思うかもしませんが、世界中のロックダウンをみても、医学の殿堂に対して、医療をのぞくすべての経済活動が平伏したわけで(いや、舌を出してガンガン稼いでいるところはいっぱいありましたが)、そして歴史をふりかえっても、イエスはヒーラーであり、釈迦もヒーラーです。

医療と宗教はセットでした。

 

 

 

だからこそ、件(くだん)のモスクでも、

 

いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし(親鸞『歎異抄』)

 

という宣言を聞けなかったのです。

 

 

 

という話を2020年上半期総決算のセミナーシリーズでやってきました。もうパラダイム・シフトの話は先月で終わりです。これからはシフト後の具体的な戦略を超実戦的にワークしていきます。

 

ポストコロナセミナーでは、パラダイム・シフトの中心にある現代医学の終わりについて、そしてアーユルヴェーダ講座ではアーユルヴェーダという伝統医学から観る未来の医療について、考えました。

 

 

ちなみに、ヨハネ・パウロ二世については「まといのば」では「違う意味」で引用すると言いましたが、その違う意味とはマリア崇拝についてです。

 

ヨハネ・パウロ二世は手術後に意識を取り戻したときに、まずマリアに感謝したと言います。

神でも医師団でもなくw

 

Wikipediaには不穏な記述があります。

 

なお、事件当日の5月13日はファティマの聖母出現の記念日であったため、ヨハネ・パウロ2世は「聖母が弾をそらして下さいました」と語っていたという。

 

(ファティマの聖母というのは、僕も含めてある種の人々は骨抜きにされますね〜)

 

 

そもそも聖母が弾をそらしてくれたなら、きちんと命中しないようにまでしてくれればいいのにとは思わないのでしょうか。それもまた「神の思し召し」ならぬ「聖母の思し召し」なのでしょう。反証可能性(カール・ポパー)が無い議論は反証の可能性がありません(←トートロジーだ)。

 

*カール・ポパー

 

マリア崇拝を無邪気に口にしてしまうのもすごいですが、そもそも聖母マリアはイエスの母親です。イエスは三位一体によって、神でもあるわけで、神にお母さんがいるとなると、、、天皇に上皇がいるような(あ、いまそうですね)感じです。

シンプルに言えば、キリスト教は一神教の顔をした多神教なのです。

 

というわけで、本稿は終わりますが、また一つフィードバックを紹介します!

受講生の感想ですね!

 

OT(理学療法士)やPT(理学療法士)からフィードバックがあり、コンサルティングの方からもあり、シンガポール駐在経験のある商社マンからもいただいたので、うってかわってダンサーです。

 

ソーシャルダンスの方からのフィードバックです!
 

ホワイトダイヤモンドという気功技術は最近、かなり面白いと思っている身体系の技術です。

シンプルに言えば、腰裏にある白いひし形(ホワイトダイヤモンド)の胸腰筋膜です。

 

*本当に白いんです。胸腰筋膜は。

普通はヘモグロビンの赤なのですが、真っ白です。ちょっと透けていて、筋膜の走行が見えます。

ハワイ大学解剖実習はいよいよ10月です!!

 

*キャンセル待ちを近日募集します!(もしくは交渉次第では数名枠を増やせるかもしれません)。

 

 

この胸腰筋膜はそれぞれの筋肉の筋膜が重なってできています。

 

広背筋の筋膜、腹横筋の筋膜、大臀筋に連なる筋膜、そして脊柱起立筋群の筋膜とタテ・ヨコ・ナナメに縦横無尽なのです。

 

解剖すると、胸腰筋膜は一枚岩ではなく、何層もミルフィーユになっているのが分かります。

そして上半身と下半身はここで結ばれているのが分かるのです。

 

ということは、、、、胸腰筋膜の筋膜を良い状態にすると、良いことがたくさんあるのではないかという技術です(ざっくりな説明だ)。

 

(引用開始)


いつもお世話になっております。
昨晩、10年以上ぶりにラテンダンスの師匠のレッスンを受けて、「まといのば」の凄さを、あらてめて認識いたしました。
ホワイトダイヤモンドと大腰筋の感覚があると、過去に難しく感じていたはずの事が、当たり前に出来るようになっていました。
11年以上踊っていなかったのに!です。
グループレッスンで、しかも高齢の方々に混じってのレッスンだったので、簡単な内容ではありました。
しかし、そもそも「基本」を非常に重んじる師匠なので、そこはあまり関係なかったかと思います。
師匠がおっしゃる内容も、「あ、これ昔も言われてた!」というものが多くあったのですが、昔は難しかったはずの内容が、昨晩はスルスル頭に入ってきました。


「大腰筋から動いたらそうなりますよね」「ホワイトダイヤモンドの感覚で動いたら当たり前だし、なんか簡単に出来ちゃうんですが!」などという感じでした。


師匠に、もう11年踊っていない事を伝えてあったのですが、レッスン後、「そうは言っても動いてたでしょ?」って感じに聞かれました。

 



本命のスタンダードも、早くレッスン受けたいなーと思うようになりました。

過去の怪我などによる身体の不調も、まだまだな部分もありますが、ますます、どんどん書き換えて行きたくなりました。


ところで、エアスクワットの片脚ずつバージョンって、まんまSambaのベーシックでした!
まさに11年ほど前、元世界ファイナリストのラルフ・レピーネ先生の名古屋での講習会で、これ大事!って説明があったのですが、やっぱりその時は全然分かっていなかったです。


今も左足体重の時に気になる部分があるので、本日のRay ZapでRay先生に確認していただこうと思っています。

転がる下丹田も、極められるようになりたいです!

先生、本当にありがとうございました。

 

(引用終了)

 

エアスクワットも新しい技術というか、ワークです。

かなり面白いのですが、導入に少し手間取りましたね。

もう少ししたら普通に導入できると思います。

 

コツとしては、片足でまずやるのが良いかもしれません。

両足だと思いっきり代償してしまうからです(チーティングですね)。

 

エアスクワットがそのままSambaのベーシックというのも面白いですね。考えることはみんな同じですね。

 

僕はバレエの特殊な動きから(というかモダンバレエの振り付けから)インスピレーションを得ました。

10回もやると腹部がちぎれそうになったらうまくいっています!

ポイントは筋トレと同じく、力を抜かないということです(これは踊りとは真逆の考え方です)。

 

筋トレはずっとパワーをONにすることで、筋肉をオールアウトさせます。

一方で武術でもダンスでも、素早くON・OFFを切り替えることで、長く踊れるようにします。

この考え方が真逆であることが、「使えない筋肉」問題につながります。

筋肉が使えないのではなく、使えないのは意識の方なのです!

 

 

というわけでBootcamp組はキャリステニクスでも読み返しておいてください!

 

 

 

【書籍紹介】

いま脱洗脳を公開でも、非公開でもガンガンやっていますが、脱洗脳されると一気にIQが上がります。
IQが上がったときの風景は、、、、ローズガーデン(バラの花園)ではないのです。

頭が良くなるとバラ色の人生という思っている人は(間違っていはいませんが)、頭の中がお花畑かもしれません。

というわけで、おなじみのアルジャーノンに花束をを読み返しましょう!

まさに自分のことが書かれていると思うでしょう!その意味で預言の書です!

 

 
 

 

 

あ、それと、エターナル・サンシャインの謎解きができた唯一の受講生が、キー博士のメディアレイプを読んでいたから簡単だったと言っていました(^o^)

知識がないと見えない世界があるのです。

 

密教とは秘密にされているのではなく、思いっきり公開されていて、秘密の鍵を持つ人しか読み解けないだけなんです。

 

読み返しましょう!

 

 

One more thing!

 

レペゼン地球のDJ社長が無理!という方は、、、(無理なら無理しなくて良いと思いますが、もし気になるなら、、、)

【好きなことで、生きていく】『レペゼン地球-DJ社長-』

(自己啓発とか、モチベーション系とかを読むならば、これをヘビロテしたらどうでしょう(^o^))

 

こちらを御覧ください!