Because it's there.(そこに山があるから)〜自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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四ツ谷にありますバレリーナ専門の気功整体「まといのば」のブログです。
気功師から見たバレエとヒーリングのコツを公開します。
「まといのば」では、バレエ・ヒーリング・美容の各種セミナーを行っております。

明日日曜日は今月最後、今年度最後の1Dayスクール「悦楽気功」です!!

気功で「気持ち良くなる」ことを全部試しましょう。
そして「気持ち良さ」こそが成長のバロメーターであることを確認しましょう!!!

駆け込み参加もまだまだ間に合います!!

お楽しみに!!!!



「まといのば」と言うとハードワークというイメージですし、「苦しめ!」「痛みこそ正義」というイメージです(いや、あくまでもイメージです)。厳しさや激しさ、加速学習、圧倒的な成長というイメージがあります。

実際に少なくとも“Adversity makes a man.”(艱難辛苦、汝を玉にす)とは思います。

最近はやりの言葉で言えば過負荷(Overlord)ですね

たまに「このトレーニングはいつか楽になりますか?」と聞かれることがありますが、もちろん答えは「Yes」です。ただYesになるのは無限遠ですw
無限の彼方に楽になる世界があります。
ですので、生きている間は楽にはなりません。有限の時間の中では楽にはなりません。
ですのでまあ普通に答えるとするならば、Noですね。

そもそもトレーニングが楽であれば、それはトレーニングになりません。過負荷漸進の原則に従っていないからです。

ただ耐久力がつくイメージです。トレーニングはたしかに辛いけど、それを何とかマネージメントできるように心が強くなっていくというイメージです(もちろん筋肉もスキルも神経も代謝も強くなります。適応です)。

バレエと同じですね。レッスンもキツイ、リハーサルはもっとキツイけど、それが日常なので慣れるのです。「慣れる」とは辛くないという意味ではなく、辛いのが普通になり、辛いのが日常になるということです。

ですから、毎日めっちゃキツイのがどんどん負荷を増して続くというイメージです。
まさに人生は重荷を背負いて坂道を登るようなものです。気付いたらバーベルを背負って、ロッククライミングしているかもです。それも高地の低酸素で。バーベルを背負ってのロッククライミングは冗談ですが、ただ登山時の荷物はかなり重いですよね。

またまた余談ですが、中国の九寨溝・黄龍に気功を学びに行った時に、多くの人が高山病で倒れている中、ひとり元気な人がいました。

ちなみに九寨溝・黄龍空港は標高約3,000m、黄龍は3,100m~3,600mです。

その元気な人はバレリーナだったのですが、バレエのクラス中のほうがもっと酸素が薄いと言っていました(・o・)

さもありなんですね(・_・;)


僕は登山は若い頃に部活でやっていました。それ以来、登っていません(山の魅力は激しすぎて、その魅力に捧げるのは命なので、避けて生きています。でも、命を捧げても惜しくない魅力がありますね~)。

中学の頃だったか、教師に「なんで山に登るの」という意味のことを聞かれて絶句したことがあります。「山好き?」「山の魅力って何?」という感じの意味の軽い質問です。

もちろん当時もマロリーの「そこに山があるからだ(Because it's there. )」という名文句は知っていましたが、それをそのまま答えても仕方ありません。とは言え、適切な回答がありません。

ですから、マロリーは正しいのです。


*「そこに山があるからだ(Because it's there. )」

頂上に到達した達成感とか、風景の美しさとかそういうもののために登っているわけではありません(ゴールとその達成の関係に似ています。達成するためにゴールを設定するのではないのです)。

強いて言えば、「好きだから登っている」くらいのことしか答えられません。


今だったら小林秀雄をパクって回答するのかもしれません。

いつもながらの引用で恐縮ですが、、、

(引用開始) 先日、ロンドンのオリンピックを撮った映画を見ていてが、そのなかに、競技する選手たちの顔が大きく映し出される場面がたくさん出て来たが、私は非常に強い印象を受けた。カメラを意識して愛嬌笑いしている女流選手の顔が、砲丸を肩に乗せて構えると、突如として聖者のような顔に変わります。どの選手の顔も行動を起こすや、一種異様な美しい表情を現わす。むろん人によりいろいろな表情だが、闘志などという低級なものでは、とうてい遂行し得ない仕事を遂行する顔である。相手に向かうのではない。そんなものはすでに消えている。緊迫した自己の世界にどこまでもはいって行こうとする顔である。この映画の初めに、私たちは戦う、しかし征服はしない、という文句が出て来たが、その真意を理解したのは選手だけでしょう。選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を。かようなことを選手に教えたものは言葉ではない。およそ組織化を許されぬ砲丸を投げるという手仕事である、芸であります。見物人の顔も大きく映し出されるが、これは選手の顔と異様な対照を現わす。そこに雑然と映し出されるものは、不安や落胆や期待や興奮の表情です。投げるべき砲丸を持たぬばかりに、人間はこのくらい醜い顔を作らねばならぬか。彼らは征服すべき自己を持たぬ動物である。座席に縛りつけられた彼らは言うだろう、私たちは戦う、しかし征服はしない、と。私は彼らに言おう、砲丸が見つからぬ限り、やがて君たちは他人を征服しに出かけるだろう、と。また、戦争が起こるようなことがあるなら、見物人の側から起こるでしょう。選手にそんな暇はない。
(引用終了)
pp.122-123 
私の人生観 (角川文庫)/角川書店


選手は、自分の砲丸と戦う、自分の肉体と戦う、自分の邪念と戦う、そしてついに征服する、自己を。」という感覚が近いと思います。

そして僕が絶句したのは、まさに「征服すべき自己を持たぬ動物」としてのその教師の「醜い顔」です。

「こいつには伝わらない」と確信したのを覚えています(もちろん間違いかもしれませんがw)。

正直、「こいつはアホか」と思いましたが(ちょっと言い過ぎですが)、それを適切に表現できない自分の力の無さにも絶句してしまいました(適切に表現できていても、その後の人間関係が問題かもしれませんがw)

これに関連しますが、4月は恒例の「ゴール設定」に関する講座を「はじめての手帳」講座という内容でやりますが、そこでもテーマはこの感覚です。「達成するためにゴールを設定するのではない」のです。「そこにゴールがあるから、我々は挑戦するのです」。
そしてゴールの達成などというのは、どうでもいいのです(僕自身はこの感覚はとても重要だと思っています)。

だからこそ、叶いようが無いようなゴールが良いのです。それは引力が強いというだけではない構造的なポイントがあります。

というわけで、「報酬系と刺激」のエッセンスを導入しての「はじめての手帳」講座です(4月7日(木)です)。
改めて正式に告知します( ー`дー´)キリッ
お申し込みは可能です!

そして4月からは「はじめての気功」「まといのば講座」「寺子屋」講座ほかのセミナーを受講料を3万円にしますm(_ _)m
いろいろと充実させていきたいと思っていますので、ご理解ください。

あ、そして2ヶ月お休みしましたが、新年度からまた「はじめての気功」やら「まといのば講座」やらをパワーアップして再開します!!!(なるべく早めにスケジュールを出したいといつも願っていますm(_ _)m)

はじめての気功講座はまだあまり企画が固まっていないのですが、ラポール、IQ系、縁起系、クリフォト3系などなどを考えています。

気功技術が目白押しの気功師養成スクールも企画しています。これはかなり面白いかと思います。

あ、それから、「まといのば講座」は今のところ幻の企画となってしまっている皮膚運動学のゴムゴム講座は絶対にやりたいと思っています!!




というわけで、自分の山を見つけ、登りましょう!!!





というわけで、今日のRayZapで見せた動画です!!
山は高いほうがいいのです!!