わたしにも恋い焦がれるものはある 彼がその身を焼き尽くしたいと願ったのと同じくらいに | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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スーフィー(イスラム神秘主義)の神秘主義詩人ルーミーの理解として、ケヴィン・ダットンの「サイコパス」から詩を引用します。

ルーミーの詩を再掲します。

(引用開始)
きみが神の友ならば、炎は水である。
何百枚という蛾の羽を欲したまえ、
それらを、一晩に一組ずつ、燃やしてしまえるように。
蛾は光に向い、炎の中へと飛び込む、きみも炎を目指して、光に向いたまえ。
炎は、神が世界を焼きつくすためにあり、
水は世界を守るためにある。
いつのまにか、それら二つは互いに相手の姿を与えられた。きみが
持つ目には。
水の姿を持つものは燃え、炎の姿を持つものの
内部は大いなる救いである。


ルーミー「疑問」
(引用終了)



ただむしろ以下のサイコパスからの詩はむしろ理解を妨げるような気もします。
ギーターで止めておけば良いようにも思います。

ただギーターは僕からすると明快すぎるきらいがあります。
その明快さが、ギーターをヒンズーだけではなく、世界中に熱狂的な愛好者を産む土壌なのではないかと思います。

ただ仏陀にせよ、龍樹の中観にせよ、新約聖書のイエスにせよ、イスラムのルーミーにせよ、閉じた公理系を超える、いわばゲーデル数のような複雑さ(停止確率Ωみたいなものです。任意の目の前のコインが、見るたびに表と裏を変えるようなものです。「いつのまにか、それら二つは互いに相手の姿を与えられた」)を持ちます。ギーターにはそれがありません。非常にリニアで(単調で)明るい、そんな印象です。

余談ながら、「いつのまにか、それら二つは互いに相手の姿を与えられた」という言い方はフェイス・オフというハリウッド映画を思い起こします。



*これ97年なんですね。驚きです。そんな前とは..(;・∀・)


というわけで、ルーミーを理解する縁(よすが)として、サイコパスから引用します。

理解を助ける方向でうまくいくのかどうか、こういうのはやってみないと分からないので、とりあえず引用してみます。


ケヴィン・ダットン「サイコパス」からです。

これはいわゆる孫引きになります。ニューヨークの有名コラムニストのドン・マーキスの作品で「アーチとメヒタベル」の中から主人公アーチの詩を著作に引用しています。

(引用開始)

わたしは蛾に話しかけていた
この前の夕方のことだ
彼は電球に押し入って
われとわが身を
焼き焦がそうとしていた
まったくきみたちときたら
どうしてこんな無茶をするんだい、とわたしは訊いた
それがしきたりなんだ
われわれ蛾にとってはね
あれが電球ではなく
ろうそくの炎だったら
今ごろきみは
見苦しい燃えかすだぞ
分別というものがないのかね

あるとも、と彼は言った
でもときどき
使うのが嫌になるんだ
型どおりにやるのに飽きて
美に焦がれ、
興奮に焦がれる
炎は美しい
わかってはいるんだ
近づきすぎれば命はないと
でも、だからどうした
一瞬幸せを感じて
美とともに燃え尽きる
そのほうがましだ
生きながらえ
退屈しきって
自分の一生を
くるっと
小さく丸めて
放り出すよりは
人生なんてそんなもの
それよりはほんの一瞬でも
美とひとつになって
消え失せるほうが
美とひとつになることなく
だらだらと生きながらえるよりましだ
気楽に生きて気楽に逝く
それがわれわれの生きかたさ
人間に似ているんだ
ひと昔前の
お上品になりすぎて楽しめなくなる前の人間に

わたしが反論する前に
彼は達観して
身を投げた
シガーライターのうえに
わたし自身の望みは
彼とは違って
幸せは半分
寿命は二倍

そうはいっても
わたしにも恋い焦がれるものはある
彼がその身を焼き尽くしたいと願ったのと同じくらいに

(pp.306-309 ケヴィン・ダットン「サイコパス 秘められた能力」)
(引用終了)

テーマは非常にわかりやすく、共感できます。

「一瞬幸せを感じて 美とともに燃え尽きる」という生き方のほうが、短い生涯だとしても、「生きながらえて退屈する」より良いというシンプルな二項対立です。

盗んだバイクで走りだし、夜の校舎 窓ガラス壊してまわりたくなる感じです(リンクは拙記事「気功からの卒業」)。(ちょっと違うか...)

投げるべき砲丸を持つ者は聖者のような顔になるのでしょう(リンクは『「悲しいときにただ悲しい顔をしていても事態の改善はない」~ジョブズもピカソも盗む~』)。


美に焦がれ、
興奮に焦がれる
炎は美しい
わかってはいるんだ
近づきすぎれば命はないと
でも、だからどうした
一瞬幸せを感じて
美とともに燃え尽きる



文学的に言えば、ゲーテのファウストにおける「時よ止まれ、お前は美しい」に通じるものがあります。
その瞬間に命を奪われることで、瞬間が永遠になります。

バレエダンサーであれば巨匠ベジャールを想起するのでは無いでしょうか。

ベジャールはろうそくというよりは太陽のような人で、その強烈な重力場ですべてを引き寄せて、すべてを美しく焼き尽くしました。バレエを芸術の高みに押し上げた振付家のひとりです。

そのベジャールが愛したダンサーのひとりである井脇幸江さんの舞台がいよいよ始まります。

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