照れ過去が続きます。GCUで出会った方々の思い出を書くシリーズの最終回、7回目です照れ

 

GCUの思い出①

GCUの思い出②

GCUの思い出③

GCUの思い出④

GCUの思い出⑤

GCUの思い出⑥

 

matoが救急搬送されて、最初に入ったのはNICUでしたが、比較的内科的病状が

安定していたため、1週間ちょっとでGCUに移動になりました。

 

そのGCUでmatoの受持看護師さんとしてついてくださったのが、Mさん。

過去記事 「NICU→GCUへ」 で

「元気で若い眼鏡っ子ちゃん照れ照れ

と旦那が表現した彼女ですニコニコニコニコ

 

満を持して、シリーズ最終回に登場(笑)

 

私にとっては、言ってみれば「戦友」。

そして、matoにとっては、第二の母。

入院期間の約4ヶ月、私達のいろんな気持ちに向き合い共に歩んでくれた人。 

 

退院して後日知ることになりますが、なんと私よりひとまわり以上年下ガーンガーン

(自分の歳がバレる~爆  笑爆  笑) のまだまだ若い看護師さん。

その彼女に、何度も不安を吐き出したり、泣いたり、無理も言ったりしました。

 
(実際、私たちが何かお願いしたことに対して、「ちょっと確認してきます」と言って、
上司らしき人としばし話して帰ってきた後、眼を真っ赤にはらして
帰ってきたことが数度ありました。。きっと私たちのお願いに少し無理があって、
上司から何か言われていたのでしょう。。いつも、病院と私達の間に挟んでしまっているなあと
思っていました。。ショボーン
 
でも、その明るく元気な若さ爆  笑爆  笑に救われるところもたくさんありました。
 
入院期間を通して感謝することばかりでしたが、具体的に一番感謝
したいのは、義眼のこと。
(過去記事/義眼を始めたい①   GCUでの義眼管理 )参照
 
私達親の思いを彼女が受け止めてくれ、病院側(眼科主治医やGCUの方々)
に伝えてくれなかったら、こんなに良い対応はしてもらえなかったと思います。
また、彼女だけでなくmatoに関わる皆さんが義眼についての理解を深めて
もらえるように作ってくださったマニュアルは今でもうちの貴重な宝物です。
 
matoが気持ちよく過ごせるように、早くよくなるように。。。
心からそう思ってmatoや私達親と接してくれているのが伝わりました。
若い故、まだまだ経験は浅いところはあったのかもしれませんが、
精神的に一番しんどい時期を過ごしていた私にとっては、その思いが本当に
心に響きました。
 
何度も「matoちゃんのためなら何でもやります。」とおっしゃっていただいたこと、
本当に嬉しかった。
 
退院までは、24時間管理のGCUの中で。
毎日数時間の面会でしかmatoと接していない私より、長い時間をmatoと
過ごしてくださり、私よりmatoの色々なことを見てくださったまさに第二の母。
 
退院後4ヶ月を超えるまでは(入院が約4ヶ月だったので)、まだMさんの方が
この子といた時間が長いんだなぁなんて思っていました。
 
実は、matoは当初、10日~2週間で退院できるという診断を受けていて、
恐らく、Mさんも受持が決まったときにはきっとすぐ退院だろうな、と思っていた
はずです。
それが、みるみるうちに呼吸状態が悪くなって、入院が伸びて、抜本的な治療法
があるわけでもなく、とにかく「体が大きくなるのを待つこと」という指示のもと、
メンタルがボロボロになっていく私にも寄り添い。。。最終的に4ヶ月。
恐らく、こんなに長く入院する受持患児はMさんにとっても初めての経験だったと思います。
 
「正直、matoちゃんの入院中は私も先が見えなくて、不安でした。」
 
後日(退院後随分経ってから)彼女が手紙で教えてくれました。
 
そして、「matoちゃんの看護をできたことは私の一生の宝物です」
 
とも。
(きっと半ば社交辞令的な部分もあるんでしょうが、素直に嬉しかったですニコニコ
 
私も、Mさんがmatoの受持看護師さんで良かった。
 
 
そんなMさん、現在は病院を退職され、また新しいステージで、病児のお子さんとその
ご家族を支えるお仕事をされています。
あの明るく若い力が、今日も子供たちや親御さんのパワーになっていると思うと、
私も頑張らなきゃな、と思います。
 
運よくご退職されるタイミングで連絡を取り合うことが叶い、
現在もたまにご連絡をさせていただいています。
 
たまに、あの産まれたてほやほやだったmatoがどんな成長をしているか、
今後も折々で見てもらえるといいなあと思っています。
 
そして。
 
【GCUの思い出】シリーズはこれが最終回。(勝手。。。(笑))
 
将来、matoが自分が他の人と違うことに思い悩むことが出てきたとき、
自分が産まれてすぐどんなにたくさんの人が関わって見守ってくださったか、
そしてmato自身がどれだけ頑張ったか、そんなことを伝えたいな、と思って
備忘録的に書いてきました。
 
読んでいただいている皆様、ありがとうございます。