父が逝った

多発性骨髄腫を病み
余命2年半と宣告されてから
7年と4ヵ月を生きて
最後は癌末期の
強い痛みに苦しみながら
ホスピスで息を引き取った

5種類の抗がん剤と
数度の入退院
その間に
娘を喪い、肺癌を患い
私自身が倒れそうになりながら
それでも子としての
務めを果たさねばと
この数年を踏ん張った

私は父が嫌いだった
家族に冷たく母を泣かせ
他人にはいいかっこをする
そんな父が大嫌いだった

父、17歳、母、20歳の時
田舎の炭鉱町で私は生まれた
水商売に明け暮れる両親
祖父母に育てられ
貧乏暮らしの年月を送った
高校を卒業し
関西へ就職
やっと自由になれたと思った矢先
父の浮気で母が自殺未遂
故郷に戻った私は
父と大喧嘩
父は日本刀を持って
私を追いかけて来た

そんな家族から
逃げるように結婚をして
なんとか微妙な距離を保ちつつ
やり過ごした年月の果てに
夫、母、娘を喪い
結局父の面倒を見る羽目になった

父の遺したメモ書きには
私への感謝の言葉があった
遺言通りに
お経もお通夜もせずに葬儀を終わり
悲しみも無く
ただ疲労感だけが私を包む

親子とはいったい何なのか?
私は彼方へ逝ったとしても
父には二度と逢いたくない
いくら感謝の言葉を遺されても
父を赦せる事はない

やっと死んだ
やっと終わった
私の苦行
財産も負債も残さず
逝った父

父には最後まで恋人が居た
彼方で母はきっと
戸惑っている事だろう
夫婦としてもう一度
やり直すのかしないのか
もう私には関係のない事

今は自分を労ろう
贖罪のように務めた自分を

ホスピスでの数日は
冷静に父を看取り
色々な準備が出来た
そしてしみじみ思い知る
私はやはり父が大嫌いだったと

お疲れ様
お父さん
そしてもう二度と
貴方と逢うことはありません