肺癌の手術後一人ぼっちの自宅に戻った。何とか暮らせていけると思ったけどガランとした家のなかでNの遺影と向き合いただ泣くだけの数日が過ぎ、食欲もなく体力も回復せず私はとうとう音をあげた。
そしてNと通院しNが死ぬ二週間前迄入院していた心療内科に入院した。
部屋の窓から見える空は冬らしい日々のうつろいを見せてくれた。
暮れかけた青空に浮かぶ半月は、私のえぐりとられた左肺とNが消えた心半分分のように目に映った。
規則正しくただぼんやりと過ごす入院生活のおかげで体力は回復しNの死についても少しだけ捉え方が変化してきた。
でも後悔と自責の念は決して消える事はないし毎日泣いてしまう暮らしは変わらない。
Nは本当に苦しくて辛くってもう翔ぶしかなかったんだろう。大量の薬飲むのも、色んな薬の副作用も、いつか私が先に死んで一人ぼっちになる事も何もかも嫌で不安で耐えられなかったんだろう。
15年はあまりに長い闘病生活だった。
美意識が強いNは発病当時から「40歳迄には死にたい」といつも言っていた。「私の周りに幸せそうな大人がいない…」とも言っていた。私を含めNに人生の楽しさを教えてあげられる大人が誰もいなかったのだ。
私の人生はこれから次女のSの為にこの世に残り、Nに毎日語りかけながら生きていく。多分私の癌は再発し遅かれ早かれ10年もしないうちにNのところに行けるはず。そんなに先の事ではない。それまで待っててね。大好きなN❤