私にとって井上靖は特別な作家で、

それは自分が好きだからという理由ではなく

亡くなった父がこの上なく愛する作家が井上靖だったのだ。



父の井上靖愛は幼かった私にも十二分に伝わっていて、それこそ小学生くらいの頃から彼の代表作である「しろばんば」がいかに名文で埋め尽くされているかという話をよく聞かされた。

こう書くと、苦痛で重苦しい、親からの延々押し付けタイムかと思われそうだがそんな事は全くなく、

父の話は面白かった。

とってもとっても面白かった。


私は父とのそんな時間が好きで、その気持ちはそのまま「井上靖は凄い」という気持ちにスライドされた。

一度も読んだことないというのに。笑







そんなわけで子供の頃から身近な作家であったけれど、結局私自身が作品をやっと読んだのはかなり遅くて、高校生になってからくらいだった。


そこはやっぱり、父の期待に答えられなかったら(父と同じように感動できなかったら)悪いなぁというプレッシャーが私をこの大作家から遠ざけてしまったと思う。



まあ、そんなのどうでもいいかと思えた頃にやっと手に取ったのが

「しろばんば」。


一度読んで、二度読んで、時を経て三度読み、四度読み。

読後感想なんて、とても恥ずかしくて父には言えるわけない、読んだことさえ黙っていた気がする。






そこからまたさらに長い長い時が経ち、私は大人になり家を出た。結婚して、自分が子の親となった。


ある時、小〜高校の幼なじみと

お互いの子どもを遊ばせようと再会した。

偶然、子が同い年だったのだ。まだ2歳ぐらいだったかな。

子供を見守りながら、大人はペチャクチャとしゃべりまくる。ふと、本の話になった。



井上靖の話になった。


彼女は大学の卒論のテーマが井上靖だったらしい。




「あのね、いつか伊豆に行ってみたい」

「私もずっとそう思ってた」

「行きたーーい!いつかこの子達が大人になって時間が出来たら」

「伊豆にはね、井上靖の文学館があるんだよ」

「行ってみたい〜〜」

「耕ちゃんだね」

「そう、耕ちゃん」



いやもう、嬉しくて嬉しくて、ずっと忘れられない出来事。


結局彼女は夫の転勤で遠くに行ってしまって、便りもどちらからともなく薄くなり、一緒に伊豆へ行くことはなかったんだけどね。



そして現在の私、通勤時間に読む本を選ぼう本棚をさぐると

井上靖の本が出てきた。


「月光」。

読んだっけこれ??あまり記憶にない。

バッグにつっこみ地下鉄の中で開くと、1ページも読んだことのない本でありました。


多分、数年前に実家から持ってきたんだろうな…


若き男女の恋愛物語。

2人の恋愛に障害があるような、ないような。

女性の考えすぎで、ちょっと見栄をはった発言が発端で

まあ、こんがらがるこんがらがる。

好き合っている男女なのに、2人とも自分の非を認めず相手を責めるから

まーーーーこんがらがるったらない。


それでも黙々と最後まで読み続けられたのは文章が綺麗だからだろうな。





思い入れを延々と語り続けたので

前提として贔屓目がかなりあることはおわかりいただけると思う。

だからと言われたら身も蓋もないが、もう私にとってそういう作家ですので

井上靖に関してはもう、素晴らしいとしか言えません。


だって素晴らしいんですもん。







そして思い出す。


『fff』でのぞみさん演じるベートーヴェンがナポレオンに


「何の本が好き?!」


と尋ねるあの名シーン。



あれは本当に本当に名シーン、名台詞!!!です。