来週、生徒たちは日本に向かう。
彼らとは今日でお別れだ。
お別れパーティがあった。
プレゼントをもらった。
セータとチョコレートだ。
「甘いですか」
生徒たちは心配している。
「とても美味しいよ。ありがとうね」
日本人が甘すぎる味を好きでないことを知っている。
セータもその場で着て、大喝采だ。
「先生、ハンサムでよく似合います」
(生徒の書いた似顔絵)
これからの生徒たちを考えると心配だ。
日常会話の基本は良いが、細かい話はまだ難しい。
日本で勉強のできる環境なら良いのだが。
それでも本当に明るい。
細かいところまで気がつくし、優しい。
頭も日本人と変わらない。
人間性のあるとても貴重な人材だ。
日本が好きで、しかも英語のできる人材だ。
世界広しといえどもそんなにいないと思う。
フィリピン人先生に聞く。
「日本では彼らはどうですか」
「日本での給料は余り高くありません」
「しかも単純労働が多くて少しかわいそうです」
それでもフィリピン同世代の給与の倍はある。
しかし、円安の影響もある。
お金のメリットは少なくなりつつある。
日本で働いてお金を貯めるという時代はまもなく終わる。
少なくともフィリピンではそう言える。
彼らは能力も高い。
スマホはみんな持っており、情報格差もない。
ただ、お金を持っていない。
フィリピン人ではお金を持っている層が確実に増えている。
モールでのモノの値段は日本と変わらない。
それでいて給与は日本の半分以下だ。
そのことはフィリピン人もよく知っている。
経済成長寸前のフィリピンだ。
成長のためには制度や慣習が変わらないといけない。
それは、教育にかかっていると思う。
少し日本語のレベルが上がると給与は何倍かに跳ね上がる。
「日本に行っても日本語の勉強は続けてください」
いつも生徒たちには言っている。
「楽しく学ぶ工夫をしましょう」
AIが使える時代である。
学びの方法は無限に広がっている。
学校では基本を教える。
学びの楽しさを教える。
後は自分で学び続ける。
教師もそのことを自覚すべきだ。
教えてばかりではいけないと思う。
共に学び続ける関係でありたい。
日本人もフィリピン人に来て欲しい。
共に学び合える場所を作りたい。
いろいろな関係が力を生み出す。
切磋琢磨できる環境が理想だ。