【(お別れパーティ)フィリピン滞在記68】

 

来週、生徒たちは日本に向かう。

彼らとは今日でお別れだ。

お別れパーティがあった。

プレゼントをもらった。

セータとチョコレートだ。

 

「甘いですか」

生徒たちは心配している。

「とても美味しいよ。ありがとうね」

日本人が甘すぎる味を好きでないことを知っている。

セータもその場で着て、大喝采だ。

「先生、ハンサムでよく似合います」

 

           (生徒の書いた似顔絵)

 

これからの生徒たちを考えると心配だ。

日常会話の基本は良いが、細かい話はまだ難しい。

日本で勉強のできる環境なら良いのだが。

 

それでも本当に明るい。

細かいところまで気がつくし、優しい。

頭も日本人と変わらない。

人間性のあるとても貴重な人材だ。

日本が好きで、しかも英語のできる人材だ。

世界広しといえどもそんなにいないと思う。

 

フィリピン人先生に聞く。

「日本では彼らはどうですか」

 

「日本での給料は余り高くありません」

「しかも単純労働が多くて少しかわいそうです」

それでもフィリピン同世代の給与の倍はある。

 

しかし、円安の影響もある。

お金のメリットは少なくなりつつある。

日本で働いてお金を貯めるという時代はまもなく終わる。

少なくともフィリピンではそう言える。

彼らは能力も高い。

スマホはみんな持っており、情報格差もない。

ただ、お金を持っていない。

 

フィリピン人ではお金を持っている層が確実に増えている。

モールでのモノの値段は日本と変わらない。

それでいて給与は日本の半分以下だ。

そのことはフィリピン人もよく知っている。

経済成長寸前のフィリピンだ。

成長のためには制度や慣習が変わらないといけない。

それは、教育にかかっていると思う。

 

少し日本語のレベルが上がると給与は何倍かに跳ね上がる。

「日本に行っても日本語の勉強は続けてください」

いつも生徒たちには言っている。

「楽しく学ぶ工夫をしましょう」

AIが使える時代である。

学びの方法は無限に広がっている。

 

学校では基本を教える。

学びの楽しさを教える。

後は自分で学び続ける。

教師もそのことを自覚すべきだ。

教えてばかりではいけないと思う。

共に学び続ける関係でありたい。

 

日本人もフィリピン人に来て欲しい。

共に学び合える場所を作りたい。

いろいろな関係が力を生み出す。

切磋琢磨できる環境が理想だ。