藤田五郎とイタタ剣(11)切腹の話 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

『大鳥神社 神社を中心としたる雑司谷郷土史談』の座談会に参加していた秋田雨雀(※)が、小泉則忠から聞いた以下のような話を語っています。

 

 

それから私はあの人から切腹の話なども聞いた。切腹の仕方などを僕に教えてくれたことがあった。検死をした時の話を聞いたが、刀をずぶりと腹に刺したら、どんな強い人間でも掻いて行くことは出来るものじゃない。狂人は別として、どんな勇敢な人でも刺したら七転八倒で駄目なものだそうです。

 

よく芝居で見るように、刺してから腸を出したりなんか、とても出来るものではない。布を腹に巻いて布を切る音を立てる。裂ける布の音がすると介錯をする人が後ろから首を落としてしまうのだそうです。

 

 

この話だと、小泉則忠という人は切腹の場面にたびたび立ち会っていたようにも思えます。が、いくら血なまぐさい幕末維新の動乱期といっても、切腹の現場に何度も立ち会うというのは、そうそうあることではないはずです。

 

 

そういう意味では小泉則忠、奉行所の同心だったか、あるいは新徴組か新選組の隊士だった可能性も否定は出来ないといえるでしょう。無論、この話が事実かどうかの確証はないので、あくまで「事実とすれば」の話ではありますが。ただ、新選組隊士であったとしたら、その事実を家族にも明かさないまま第二の人生を送ったというのは十分あり得る話だと思います。

 

 

そして、もしそうだとしたら元新選組隊士の二人が、弥生神社の武術大会でたまたま試合をするというのも、なんとも奇跡的な出来事だといえるでしょう。いや、あるいはうすうす気づいていた警視庁の幹部が、敢えて藤田五郎と小泉則忠の二人を戦わせたのでしょうか。想像が膨らみます。

 

 

 

 

※.秋田雨雀(あきた うじゃく)… 劇作家・童話作家・社会運動家。青森県南津軽郡黒石町(現・黒石市)出身。雑司が谷の下宿先から東京専門学校(早稲田大学の前身)に通っていた。その下宿先に小泉則忠がよく風呂を借りに来ていて親しくなり、植物採集にもよく連れて行ってもらったという。

 

※.秋田雨雀