激録新撰組 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

ここに一枚の写真がある。箱館(現在の函館)戦争の後、土方歳三の遺品の中から出たと伝えられる写真だが、写真の主についてははっきりわからない。

蝦夷島政府と呼ばれた榎本武揚軍の陸軍奉行であった大鳥圭介ではないかともいわれているが、ひょっとしたらこれは沖田総司ではないかとも思うのだ。

 ~『激録新撰組』(原康史・東京スポーツ新聞社/1977年)

 

 

『激録新撰組』は1977年に出版された、ある意味で新選組ファンには有名な本です。著者は東京スポーツ新聞(略称東スポ)の記者だった原康史氏ですが、幸運にも先日ブックオフで発見したので全4巻の中の上巻と中巻を購入しました。

 

中身は小説であり、40年以上前に出された分、今では否定されているような話ももちろんあるわけですが、そこそこ読みやすいし、小説としては決して悪くないと思います。

 

しかし、この本を(ある意味で)有名にしたのは、上の画像のとおり、この古写真の人物を「沖田総司ではないか」とした事です。

 

他にも「芹沢鴨か」とか

 

 

 

 

 

本当は明治維新後に友人たちが「清河八郎に似てる人」を探し出してモデルになってもらい、描かれた肖像画なのに、「文久三年頃に撮影された清河八郎の写真」と言ってのけたり

 

 

 

本当は袖章なのに「誠の旗」とか言っちゃったり

 

 

 

と、掲載されている写真に関して、かなり問題があるようです。ちなみに、上の「沖田総司」「芹沢鴨」がもともと『幕末の素顔 - 日本異外史』(毎日新聞社・1970年)という本に掲載されていたものだという話をだいぶ前にしましたが、他にも同誌に掲載された写真と同じものが多数あります。

 

 

似ても似つかない人を徳川慶喜と言い切っちゃったり・・・

 

 

 

なんの証拠もなく新選組だと断言しちゃったり・・・

 

 

 

まあ、それでも誰にだって間違いはあるもの。ひょっとしたら、誰かに「これ新選組の写真ですよ」なんてガセネタ掴まされたのかも知れない、ひょっとしたら原康史さん自身がある意味被害者だったのかも・・・

 

なんて考えたりもしましたが、下の写真をご覧下さい。

 

 

 

同じく『激録新撰組』に掲載されていた写真なんですが、ちょっとヘンだと思いませんか?

 

よく見ると左肩が不自然にせまく、左右の肩幅が大きく異なっている事がわかります。実はこの写真も『幕末の素顔』に掲載されています。それが下の写真です。

 

 

 

 

おわかりでしょうか。少しボヤけてはいますが、上の『激録新撰組』の写真と同じように左肩が狭く小さくなっています。実を言いますと、このボヤけているのはちょうどここが本の綴じ目(中心部分)に当たるからなのです。そのため、写真の一部が見えなくなっており、左肩が縮んで見えてしまっているのでした。

 

とどのつまり、『激録新撰組』で使用されている、これら『幕末の素顔』と同じ写真たちは、別のルートで入手したものなどではなく、この『幕末の素顔』に掲載されている写真を、そのまま転用しているのだという事がわかります。

 

それはつまり、著者の原康史氏も、出版元の東スポも、これらの写真が沖田総司や芹沢鴨や、新選組隊士たちの写真ではない事は百も承知だったという事になります。

 

小説の中身にいくらウソが含まれていても、それは一種の面白みと考える事は出来るけれども、写真の説明文がウソというのはどうなんだろう。

 

 

※.ご参考にどうぞ。

「沖田じゃない」こちら

「鴨じゃない」こちら