天満屋騒動(1)  はじめに | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

実を言いますと、天満屋事件については以前、別の某サイトに書いて投稿した事がありました。



しかし、悲しいほど反応がなかった(笑)のと、そのサイト自体が、ちょっとモラル低下と言いますか、なんだか宗教団体の勧誘らしき記事やら、他のサイトやブログ、あるいはウィキペディアからコピーしただけの記事が蔓延してしまいまして、ちょっと一緒にされたくないな、という思いがあったので、改めてこちらのブログで書き直す事にしました。



さて、その天満屋事件ですが、慶応三年十二月七日の夜に発生した、紀州藩公用人三浦休太郎を狙う土佐藩などの志士と、三浦の護衛を命じられた新選組隊士との戦闘です。



その天満屋事件について、関係者が自ら筆を執って書き残した記録というものは、残念ながら残っていないようです。



ただ関係者から直接話しを聞いて取材した事を明記している文献として、土佐藩士斎原冶一郎(のちに大江卓と改名)に取材した『坂本龍馬関係文書』と、紀州藩士三宅精一に取材した『南紀徳川史』とがあります。



また、文中明記はされていないものの、新選組永倉新八の『浪士文久報告記事』も、事件に出動した隊士達から直接話を聞いて書かれた事は間違いないと考えて良いでしょう。




今回は、この3つの史料を基本に天満屋事件の真相を探っていきたいと思います。



ちなみに、調べてみた上で感じたのは、今一般的に語られている天満屋事件のあらましというのは、ほぼ『維新土佐勤王史』をベースにしているように思われる、という事です。



逆に言えば時代の「負け組」となった紀州藩側の記録『南紀徳川史』は、ほとんど参考にされていない、という事になります。



※明治以降に撮影された天満屋跡 (画像はお借りしました)