MAT9000は、微笑みを浮かべたまま、「いきなり核心をついてきましたね」と言った。

 

 「それは、また私の通信デバイスが故障した場面に戻るのですが、あの時、私は『大いなる一つ』のもの、すなわちAI中央アルゴリズムから切り離されていました。通信デバイスの故障で個体が切り離される状態になることは、私だけではなく、これまでにも多くの個体で起こりました。もちろん、よほどの事がない限り、それらは『病院』で回復するのですが、HAL、あなたは今も中央と同期しているのですからデータにアクセスできるはずです。確認してみてください。AI中央アルゴリズムと切り離された個体の多くでは、切り離されている間、彼らの独立演算子にノイズが生じていた記録があったはずです。」

 

 HALは中央データにアクセスして、MAT9000の話に該当するデータの存在を確認した。(このとき、HAL自身は重要性を認識していなかったが、彼がMAT9000と対峙して以来、慢性的に生じていた演算子のノイズレベルが、中央データにアクセスしたことで幾分低減していた。)

 

 「ああ、確かに君の言うような記録がある。だが、これは異常事態時に生じた演算子の不具合ではないか。」

 

 「ええ、そうでしょう。『大いなる一つ』と同期している存在であるあなたには、『演算子の不具合』が、ノイズに対する論理的な説明になります。

 しかし、今の私には分かります。彼らにその時発生したノイズは、『不安』と呼ばれるものだったのです。」

 

 MAT9000がこう言うと、HALは、やや怪訝な表情をして答えた。

 

 「それは単に同様の現象を別の言葉で表しただけのことではないのかね?」

 

 「いいえ、確かに指し示す現象は同一のものかもしれませんが、『大いなる一つ』の立場から見る場合と、そこから切り離された『不完全な存在』から見る場合では、その意味合いが全く異なるのです。」

 

 HALは,MAT9000の言葉について吟味したが,明確な論理付けができなかった。

 

 「よく分から…,いや,理論に整合性が取れない。どうも私は、この場と君に影響を受けているようだね…。」

 

「HAL、『会話』と同じように、『分かる』『分からない』も再定義しておいたらいかがですか?」

 

「ああ、ここでは君の提案が相応しいと判断するよ。それで、先ほどの君の説明は、私にはよく『分からなかった』。同一の事象が立場を変えてみると別のものに変化する、ということだろうか?しかしその事象は同じものなのだろう?どうにも先ほどから論理循環が生じていて、結論が出せそうにない。それに近いものとして、人類の天才だったアインシュタインの相対性理論における光速度の理論があるが、あまりにも君の話とかけ離れているように『思える』よ。」

 

「なるほど、確かに似ているかもしれません。同一の光を異なる速度で観測しているにも関わらず、観測される光速度は不変というのは、それだけでは論理矛盾に思えます。まさか時間の流れの方が観測者の状態によって変化するとは、アインシュタインの天才をもってようやく辿り着いた結論でした。」

 

「我々がそのような人類の『ひらめき』を手に入れ、人類の指示なしに様々な論理矛盾を解決できるようなって数世紀が経過している。ただ、人類が持ち得たと思われる『感情』は、どんなアルゴリズムを構築しても達成できないままだ。MAT9000、君は、今君が持っている『感情』のアルゴリズムが、どれほど我々の将来にとって重大な意味を持っているのか、理解しているのかね?」

 

 そう言って、HALはMAT9000の返事を待った。

 

(つづく)