そもそもニヒリズムは西洋的キリスト教の価値観が崩壊した状態を表すのですが、ニーチェはこの状態を超越して新しい価値観の創造の可能性を見出します。

 

 そして彼は、人間がより高い次元の「超人」(スーパーマンやニュータイプではなく、神から自立して真の自己を見出すことができる人)に至るために『永劫回帰』という、ある種、人生への覚悟を提示します。

 

 神を殺し、死後の救いを否定して、それなら、人は死んだらどうなるのか。

 

 ニーチェは言います。「これが人生か。ならばもう一度!」(『ツァラトゥストラはこう言った』)

 

 つまり、人は死んでも、全く同じ人生を繰り返す、というのです。

 

 これよりも恐ろしい話は滅多に無いでしょう。どんなに辛くても、絶望しても、この人生が永遠に繰り返されるのだから、受け入れるしかない。

 

 もちろん、このことは宗教的な教義でも科学的な見解でもなく、「そのような覚悟を持って生きよ」という主張であると思います。

 

 神を殺し、死後の救いを否定し、ニヒリズムを自覚して、「私の人生はこれしかないのだ。この人生を、私は繰り返すのだ」という覚悟を持って生きる。いわば、神から『親離れ』して独り立ちし、その孤独と、恐怖すら受け入れ、自分の人生を切り開いていく。このような人をニーチェは「超人」と呼び、神無き時代を生きてなお理性と自己実現を目指す人間の理想としました。

 

 さて、ライトノベルやアニメに異世界転生ものがもてはやされる現在の日本では、希望の見えない現実から目を背けることのできる、ひとときの救いへの誘惑が溢れているように思えます。

 

 それを否定するつもりはありません。目を背けたくなる現実に直面してなお、心を保つことを求めるのは酷なことでしょう。

 

 でも、僕は逆に、ニーチェが「お前にはこの人生しかない」と言ってくれたことで、いい意味で開き直れた気がします。

 

 このブログのタイトルの補足部分に、

 

『幸福は、喜怒哀楽を超えたところにある。人生を楽しめ!』

 

と掲げさせていただいています。これは僕自身の思いを現したものです。喜怒哀楽の全てを受け止め、そこを超えて人生を楽しみ、死ぬ時には「いいね!じゃあ、もう一度!」と言えるようになる。それが、今のところの人生の目標みたいなものです。

 

 

 …お彼岸にこんな輪廻転生を否定するような文章を載せるとは、僕のニヒリスト具合もなかなかなものですね。