今日は長崎原爆投下の日。
休みをいただいた僕は、朝寝坊して遅い朝食を食べながら、テレビで記念式典の中継を見ていた。
テレビは、長崎市長が読み上げることになる「平和宣言文」の作成ドキュメンタリーを伝えた。今年は、東日本大震災とそれに続く原発事故を平和宣言文に盛り込むことは避けられないという思いから、作成委員の人々が例年以上に活発な議論を交わされたという。
放映の中で、委員の一人が「科学者」として立場から、単に脱原発を目指すだけでは、現実問題としてあまり意味がない、という主張をされていた。
「例えば遺伝子組換え技術などが良い例ですが、この組換え技術には様々な規制が加えられ、コントロールされようとしてきました。しかし、実際には研究はどんどん発展していってます。
人間の科学的探求心というものは非常に強いものがあり、原子力の研究も同様で、無くそうとしてもうまくいかないでしょう。」
「科学者」という立場からの発言で、一見尤もそうだが、少し論点に飛躍があるように思う。
まず第一に、原子力発電は、「研究」というよりも「産業」としての側面が強い。
原子力発電を「研究」したいのであれば、全国に五十数基も必要ないだろう。「研究炉」が1~2基あれば済むことだ。
なので、研究を継続できるような「研究炉」を(これだって何も臨界状態にしなくても十分研究できるのだから、大学の構内に作ったって安全は十分確保されるはずだ)残せば、人間の探求心とやらも満足させることができるのではないだろうか。
それから、原子力発電を「産業」という側面から見たとしても、ずいぶん歪な産業構造をしていると思う。
例えば、週刊誌の報道では、現在福島第一原子力発電所で作業をしている作業員には、毎日「危険手当」も含めて、東京電力から日当が10万円程度支給されているという。ところが、この10万円が、下請け、孫請け、と下り、酷い場合には5~7次の下請けまで下りて行く間にほとんどがピンハネされ、実際の作業員に支給される額は1万~8千円だという。
結局、「原子力産業」とは、そこに関係する企業や団体にとっては実に「うまみ」がある産業構造になっているのだ。
この「うまい汁」を、原子力発電の既得権益を持っている人々から取り上げようというのだから、一筋縄ではいかない。
「脱原発」を声高に主張する者は、たとえ一国の首相であろうと潰される。
11時2分。原爆投下の時間に、黙祷が行われた。
僕は、誰も居ないリビングで、朝食の手を休めて黙祷を捧げた。
休みをいただいた僕は、朝寝坊して遅い朝食を食べながら、テレビで記念式典の中継を見ていた。
テレビは、長崎市長が読み上げることになる「平和宣言文」の作成ドキュメンタリーを伝えた。今年は、東日本大震災とそれに続く原発事故を平和宣言文に盛り込むことは避けられないという思いから、作成委員の人々が例年以上に活発な議論を交わされたという。
放映の中で、委員の一人が「科学者」として立場から、単に脱原発を目指すだけでは、現実問題としてあまり意味がない、という主張をされていた。
「例えば遺伝子組換え技術などが良い例ですが、この組換え技術には様々な規制が加えられ、コントロールされようとしてきました。しかし、実際には研究はどんどん発展していってます。
人間の科学的探求心というものは非常に強いものがあり、原子力の研究も同様で、無くそうとしてもうまくいかないでしょう。」
「科学者」という立場からの発言で、一見尤もそうだが、少し論点に飛躍があるように思う。
まず第一に、原子力発電は、「研究」というよりも「産業」としての側面が強い。
原子力発電を「研究」したいのであれば、全国に五十数基も必要ないだろう。「研究炉」が1~2基あれば済むことだ。
なので、研究を継続できるような「研究炉」を(これだって何も臨界状態にしなくても十分研究できるのだから、大学の構内に作ったって安全は十分確保されるはずだ)残せば、人間の探求心とやらも満足させることができるのではないだろうか。
それから、原子力発電を「産業」という側面から見たとしても、ずいぶん歪な産業構造をしていると思う。
例えば、週刊誌の報道では、現在福島第一原子力発電所で作業をしている作業員には、毎日「危険手当」も含めて、東京電力から日当が10万円程度支給されているという。ところが、この10万円が、下請け、孫請け、と下り、酷い場合には5~7次の下請けまで下りて行く間にほとんどがピンハネされ、実際の作業員に支給される額は1万~8千円だという。
結局、「原子力産業」とは、そこに関係する企業や団体にとっては実に「うまみ」がある産業構造になっているのだ。
この「うまい汁」を、原子力発電の既得権益を持っている人々から取り上げようというのだから、一筋縄ではいかない。
「脱原発」を声高に主張する者は、たとえ一国の首相であろうと潰される。
11時2分。原爆投下の時間に、黙祷が行われた。
僕は、誰も居ないリビングで、朝食の手を休めて黙祷を捧げた。