もう半年くらいになるけど、知り合いから頼まれて、いわゆる「おやじバンド」でベースを弾いている。
 自分はどちらかというとギタリストのつもりだったのだが、趣味の自宅録音でベースも弾いていて、ちょうど知り合いのバンドのベースが他の仕事が忙しくて脱退したので、ともかく音だけ鳴らしてくれたならいい、と、口説かれて参加した。

 だいたい季節毎に知り合いを集めてコンサートらしきものを行っているのだが、先日は、障がい者福祉施設が企画する夏祭りに呼ばれて演奏した。
 僕は夏祭りで演奏するなど初めての経験だったけど、他のメンバーにとっては「恒例行事」であったらしく、『練習だと思ってやってよ』と言われた。あんまりちゃんと聴いてくれる人は少ないし、どちらかというとバンドが持ってくるPA機材をそのまま祭りで使いたい、という理由もあるのだそうだ。

 ただこれば、僕自身の思いなのだけれど、素人が努力して人前で何かを発表するとき、ともかく「がんばっている」事で許されたり、批判を封じ込めたりしてしまう事にどうしても違和感を感じてしまう事が多いのだ。
 確かに、そういう「素人の集団」の発表においては、その完成度うんぬんよりも、その集団としてのコミュニティの結束や、その周囲への影響をより高く評価される側面もあるだろう。しかしそれではやはり「内輪受け」の域を出ない。そしてそういう「内輪受け」は、コミュニティの外部にいる人間にとっては、「イタイ」ものに過ぎず、見るのが辛くなってしまう。

 とはいえ、そういったコミュニティの内側を活動範囲にしているからこそ「素人」なのであって、プロでもない限りはコミュニティの外側に目を向ける必要はないかもしれない。
 でも、少なくとも僕は、素人の「イタイ」発表は見たくも聞きたくもないから、僕自身の演奏を聴く人も、少なくともイタイ思いはしないで済むような演奏をしたいと思っている。

 と、まあ、そんな思いで演奏に臨んだのだけど、お客は、車椅子の方々と、ボランティアの人たちと、ずいぶんとお酒が進んでいる地域の人たちと、なぜかたくさん来ている子ども達。いわゆる「客層」なんて存在しない。出店のテントが立ち並ぶ屋外の簡易ステージで一時間ほど演奏した。まあ、完全にBGMでしたね。