第3章・倉庫の中の住人達 ・その1


 スキーから帰ると、オーナーは僕たちを薄暗い倉庫の中にしまい込む。その倉庫の中には、僕たちの他に、スキーに関する道具達が沢山いた。


 
 『ボードのエアウォークさん』

 
  スノーボードのエアウォークさん(実はメーカー名は違うらしいけど、何故か「エアウォーク」というステッカーが貼ってあるので、みんなからそう呼ばれている)は、僕が来た時は倉庫の隅の方でしょんぼりしていた。なんでも、一昨年にはシーズン中1度だけ、昨シーズンはとうとう一度も雪の上に出られなかったそうだ。
 「もともと、オーナーはスキーヤーだからな。実は俺とエアの野郎は同じシーズンにオーナーが購入した同期なんだよ。暫くは一緒にオーナーの車に乗せられてゲレンデに向かったものさ。でも、どうもエアのブーツがオーナーの足に馴染まなかったらしいんだ。それに、オーナーもスキーの方をしっかり基礎からやろうって気になってな、俺達には良かったが、エアの野郎には気の毒なことだったよ。」 
 サロモンさんはそう言って、かつては一緒にゲレンデに向かっていたエアウォークさんを気遣った。
 ある日、オーナーがエアウォークさんを引っ張り出して、どこかへ連れて行ってしまった。ゲレンデに向かうにしては、他の道具を持っていかない。これはひょっとすると、処分されてしまうのではないだろうか、と皆がささやきあった。使われなくなった道具の宿命さ、と、何とも言えない重苦しい空気が倉庫の中に漂った。
 ところが、数時間後に、エアウォークさんは帰ってきたのである。その時の彼は、涙を流さんばかりに喜んだ声で、僕たちに向かって叫んだ。
 「新しいビンディングを付けてもらったんだよ。最新のステップ・イン式のやつなんだ。ブーツも新しくなったんだよ。本物のエアウォーク製なんだ。僕はもう一度、雪の上に出られるんだよ。」
 あんまりエアウォークさんが興奮して話すものだから、新しい”本物の”エアウォーク製のビンディングとブーツさん達は、あっけにとられて挨拶もできない状態だった。
 それから、ゲレンデに向かうときはいつも僕たちは一緒だった。新しいエアウォークさんのブーツは、オーナーの足に馴染んだらしく、時には僕たちの方が車の中で待機する時があるくらいだった。
 彼は時々、謙遜しつつもうれしそうに僕たちに話すときがあった。
 「いやあ、なんだかんだ言っても、オーナーはスキーヤーだからね。僕なんか、ロシ君達が行くような上級者コースなんて何年かかったって行くことは無いと思うよ。」
 そんな時は、僕たちはただニコニコして彼の話を聞いている。
 ある時サロモンさんが、エアウォークさんの事に関して、僕にぼそりと語りかけた。
 「確かに、オーナーがボーダーじゃないって事は、奴の不幸かもしれないな。けど、逆に言うと、オーナーはボードに関しちゃ、エアで十分満足してるんだ。それは、奴のビンディングとブーツを取り替えたことからも容易に分かる。奴はこれから何シーズンも、ずっと滑っていられるんだよ。」
 サロモンさんは、皆までは言わなかったが、僕たちが多分このシーズン限りである事と比較したのだろう。
 確かに僕も、エアウォークさんを少しうらやましく思う。これからもずっと、雪の上に居続けることのできる彼。でも、多分エアウォークさんも、僕たちをうらやましく思っていることは間違いない。
 比較のできない幸福を無理に比較しようとすると、こういう変なねじれが生まれるのだろう。



 『ストックのスワンさん』

 倉庫の片隅に、一本の、つまり片方だけしかないストックのスワンさんがいる。

ほっつそりとして端正なスタイルの彼は、恐らく相当の能力を持っていると思うのだが、彼はずっと倉庫の片隅にいて、眼をつぶったまま一言も話さない。
そして誰も、彼に話しかけようとはしない。
 ただ、カーボン君だけは、スキーから帰ってくると、まず真っ先にスワンさんにその日の滑りについて報告をする。そしてなぜか、カーボン君は、スワンさんに話しかけるときは心持ち言葉が丁寧になるのだ。
 今日のゲレンデは良いコンディションでしたよ、今年はあのコースが改良されてましたよ、高速道路が大雪のため通行止めで、オーナーがずいぶん苦労してました......。
 でも、スワンさんはその時も眼をつぶったままなのだ。

 サロモンさんが教えてくれた、とても悲しいお話。
 「スワンは、凄い奴だったよ。グラスファイバーっていう特殊な素材でできていてな、細くて軽くて、弾力があって、しかも丈夫だった。普通にスキーをしているなら、折れたり曲がったりすることは考えられなかったな。奴こそオーナーがもっとも気に入っていた道具だったんだよ。多分、オーナーはすっと使い続ける気持ちだったに違いない。.......今でも、あの一瞬の出来事は、鮮明に覚えてるよ。
 あれは、それまで行ったことのないでっかいスキー場へ行ったときの事だったよ。いつものように、俺や先代のロシ、ラングと、それにスワンがゲレンデで大はしゃぎだった。特にその日は、初めてのでっかいスキー場をあちこち探索したり、ロングコースを思いっきり滑ったりして、本当に楽しかった。
 まったくありゃあ、誰が悪かったわけでもないんだ。言ってみりゃあ、オーナーの優しさが仇になったようなもんさ。あの時、オーナーはゲレンデベースまで滑り下りてきて、もう一度てっぺんまで登るつもりで、初心者コースのリフトに向かったんだ。そして、リフトに乗ろうとした時、オーナーの横に並んだ奴が、バランスを崩して倒れそうになったんだよ。もうリフトはそこまで来てる。オーナーはとっさに、そいつを助けようとして左手を差し伸べ、ぐいとつかんだんだ。おかげて、そいつは倒れることなくリフトに乗ることができた。ところが、そいつの体の下にオーナーの左手とスワンの片方が入り込んじまった。しかも、ああ、なんてことだろうな、スワンは、リフトの外の支柱にひっかかっちまったんだ。リフトは動き続けた。それはあっという間だったよ。グラスファイバーでできたスワンが、ものすごい曲がり方をしたよ。スワンだったから、あれだけ曲がることができたんだ。けど、次の瞬間、スワンは、まっぷたつに折れちまった......。
 カーボンの野郎がスワンに気を遣ってるのは、そんないきさつで自分がスキーができるって事に、引け目を感じているからなんだよ。実はな、ロシ、カーボンもおまえみたいにシーズン終了直前まで売れ残ったやつなんだよ。新製品だったのに、高性能と値段の高さが災いして、誰も手に取ろうとはしなかった。ストックってのは、ただの棒としか思ってない奴も多いからな。
 オーナーが奴を手にして購入した時、カーボンはわんわん泣いてたんだぜ。あいつはそういう繊細さがあるんだ。普段の陽気さは、奴の繊細さの裏返しなんだよ。」
 
 僕はサロモンさんに尋ねてみた。
 「スワンさん、カーボン君の話をちゃんと聞いているのでしょうか。」
 サロモンさんは少し考えて、答えてくれた。
 「ああ、奴もちゃんとカーボンが滑ったゲレンデを滑ってるよ。それが奴にとって、幸福なことなのか、不幸なことなのかは分からないけどな。」
 
 
 (つづく)