第2章 はじめての滑り・その1 

 オーナーの家に着くと、僕たちは車から降ろされ、袋から出された。そこには、お店と同じような作業台があった。もっとも、ずいぶんと汚れていたけれど。
 僕は裏返しにされ、万力のような物で動かないように固定された。
 オーナーは、クリーナーで僕をきれいにし、それから、両側のエッジを研ぎ始めた。
 それから、アイロンで溶かした固形ワックスを僕の裏側に垂らしだした。
「う、うわっ。あ、熱いですよ。サロモンさん、いったい、こ、これは何なんですか。」
「ははは、がまんしな。これが一番いいワックスの塗り方なんだ。ゲレンデじゃ、他のスキー板の連中がうらやましがるんだぜ。」
「きゃあ、アイロンがけされてる。あ、熱いですよお。」
「大丈夫だよ。通過儀礼みたいなもんさ。これでおまえさんも、一人前のスキー板になったってわけだ。」
 僕は、固形ワックスが滑走面に染みこんでいくのを感じながら、二度、アイロンがけをされた。ワックスを塗るためのワックスと、滑るためのワックスなのだそうだ。
 次にオーナは、盛り上がった余分なワックスをプラスチックの板を用いてはぎ取り、僕たちを袋にもどした。

 それから、僕たちはまた車に戻された。
 しばらくして、何やら別の荷物が幾つか運び込まれているようだった。
 別の袋の中から、僕たちを呼ぶ声がした。
 「おーい、サロモンさんにロシ君。」
 「お、ありゃ、ブーツのラングだ。こいつはいい。おめえさん、早速デビューできそうだぜ。......おおーっ、ラングか。」
 「こんにちは。あの、よろしくお願いします。」
 「あれ?ロシ君の声じゃありませんね。ロシ君はどうしたんですか?」
 「こいつは、二代目のロシだよ。先代は今日引退さ。」
 「そうなんですか.......。彼も、今シーズンは引退を覚悟してましたからねえ。あの怪我さえなかったらって、悔やまれるでしょうねえ。オーナーも何とか補修してくれてたようですけど、エッジが曲がってしまいましたからねえ......。」
 「あの......、怪我って........?」
 「ああ、おめえさんにはまだ話してなかったっけなあ。先代のロシは、先シーズンの最後の滑りの時、茶色の雪を滑っちまったんだ。そこは、『石』っていう危険なモンがあってな、オーナーが足を取られた場所に、運悪くその『石』があったんだ。さすがのオーナーもとっさにはよれきれなくてなあ、やっこさん、腹に深い傷を負ったうえ、エッジまで曲げちまった。あんときゃ、俺も先代も、引退を覚悟したさ。オーナーも、今シーズンは新しいタイプの板を購入しようって気でいたみたいだしな。」
 「えっ?でも僕は、新しいタイプの板じゃありませんよ。」
 僕がそう尋ねると、サロモンさんは、とても気まずそうに困った顔をした。
 「あちゃ、こりゃあ、どうも口が滑っちまったなあ.......。おめえさんにとっちゃ、あんまりいい話じゃないんだが.......。」
 「かまいません。聞かせてください。」 
 僕のお願いに、サロモンさんはしぶしぶ口を開いた。
 「そうかい、おめえさんがどうしてもって言うなら.....。実は、オーナはこの次のシーズンに購入するつもりの新しい板を、もう決めているみたいなんだ。今シーズンはその板のプロトタイプは出てたらしいんだが、手に入れ損なったらしい。それでやむなく、しばらくの間、俺と先代をがまんして使ってたんだ。けど、ふらりと立ち寄った店に、おまえさんがあった。言いにくいことだが、おまえさんは1シーズン限りの板としちゃ、ちょうど手頃だったんだよ。」
 サロモンさんはそう言い終えると、気まずそうに押し黙った。
 確かに、サロモンさんの言葉は少しショックだった。でも、僕にとっては、お店に並んでいたままでいるよりは、遙かに素晴らしいことではないか。
 「気にしないでください。僕だってお店に並んでいた時は、もう今シーズンで最後だって覚悟をしていたんです。多分、自分の役割を知らないまま終わるんだな、って。それが、たとえ1シーズンだけでも、僕がスキー板としての役目を果たすことができるなら、こんなに嬉しいことはありませんよ。」
 僕がこう言うと、サロモンさんは、にやりと笑って、
 「そうかい、おめえさんがそう言ってくれると、俺も嬉しいぜ。」
と言ってくれた。
 「いやあ、2代目さんも、なかなかの方のようですね。そういえば、ご挨拶が遅れてすいません。私はブーツのラングといいます。」
 「あ、どうも。僕の名前は、えっと.....、ロシニョール・デユアルテック・RNSです。」
 「おや、先代さんの後継機ですね。これは楽しみです。良い滑りを期待してますよ。」
 「はい。まだ僕がどれだけできるか分かりませんけど、精一杯やってみます。」
その時、カランと音を立てて長い棒のようなものが荷台に積み込まれた。
 「おっと、ストックのカーボンも来たか。ロシ、あいつもおまえさんと同じロシニョール製だぜ。」
 「えっ、そうなんですか。ご挨拶しなきゃ......。こんにちは。」
 「わっ、誰だい?」
 「あの、今日からお世話になります。スキー板のロシニョール・デュアルデック・RNSです。」
 「あれ?ロシさんと違うの?じゃあ、サロモンさんもかな。」
 「俺はいるぞ。なんだ、嬉しそうに。」
 「わあ。ち、違いますよ、サロモンさん。心配したんですよお。」
 僕は、うれしくなった。
 雪の上を滑るという僕の役目がどういうものなのか、それをこれから知ることができる。もちろんその事もうれしい。でも、それ以上に、こんなに沢山の気のいい仲間達ができるなんて思ってもみないことだった。そして、この仲間達がいなければ、僕は僕としての役目を果たすことができないのだ。僕たちは一つのチームなんだ。
 けれど同時に、彼らが先代のロシさんをいかに認めていたかを感じた。果たして僕に、彼の後釜が務まるのだろうか。
 そして、恐らく僕にとって、最初で最後のシーズン。
 サロモンさんの言葉が残念じゃないと言えば嘘になる。でも、僕にはこのシーズンすら与えられなかったかも知れないんだ。
 僕は僕に与えられた唯一のシーズンに感謝しよう。

(つづく)