今日は東日本大震災、12年目の3月11日。

あの日、仕事が休みの私は学校から帰ってきた次男と今日の出来事などの話をしていました。


おやつと飲み物を出して、テレビを見ながら

おしゃべりしていたその時、14時46分

とても大きな地震が部屋をかなり揺らしました。

北海道なのに…。


私は思わず、とっさに食器棚に手をかけ

次男は食卓テーブルの下に隠れました。

愛猫くろみちゃんも後からテーブルの下に

入ってきたのにはびっくりしました。


結構な揺れを感じて、驚きながら少ししてからテレビで状況が流れてきて…。


東北地方に友人の家族か3組いるので

すぐ連絡を取りましたがなかなかつながらず

とても心配でした。


テレビで津波の映像が流れる度に

何とも言えない気持ちになり

おろおろする自分がいました。


翌日、やっと返信が来て。

電波や充電の関係で

つながらなかったとの事でした。


友人家族、同じ区に住んでいるのに

被害の大きさは違いました。


翌月4月下旬、宮城県仙台市に

気持ちボランティアとして

友人宅に手伝いに行きました。


仙台空港は津波でやられていたので

山形空港に飛び、そこから高速バスに乗って

仙台に入りました。


可能であれば、結構な期間滞在し、友人宅の手伝いだけではなく避難所に避難している方々の炊き出しでも、掃除でも荷物運びでも何でもいいから行きたいなと思っている位でした。


でも、職場に頭を下げて休みを取ったのが

ギリギリ5日間。

だから、友人たちのお手伝いで

いっぱいいっぱいでした。



ライフラインはある程度戻っていましたが

余震が酷くて怖かったです。


N友人宅の部屋には割れた食器の破片など

仕事もあるから、そのままだったりして

一緒に片付けてました。


もう1人のS友人宅は地盤の硬い高台方面に住んでいたので、それほど被害は大きくなく、家族もみんな無事でよかったです。


もう1人のK友人家族は同じ仙台市内のご実家に避難されていて、お手伝いは大丈夫と言われました。




あれからもう12年。


今日は昼から中居くん司会の

キャスターな会を見て

その後ずっとNHKで震災についての番組を

見ていました。


様々な家族の当時・それから・現在に至る…お話などを映像とともに見て

〝自分だったらどうしていただろう〟

〝自分だったら乗り越えられるんだろうか〟

と考えると、胸が苦しくなりました。

 


ワタシも人生で色々な試練がある中

父が亡くなって、20年

母が亡くなって、18年

特別な愛猫たちが亡くなり6年。


一応普通の生活はしていますが

振りかえればすぐ当時の自分の辛い思いが

甦ると言う気持ち。


東日本大震災で被害に遭われた方々、ご家族は

12年と言う月日はまだ辛い悲しみの中だけど

時間とともに、いやでも前に進まなきゃいけない生活を送られているのかと思うとやりきれなくなります…。


今日、放送された番組をいくつも見ていると

一家族一家族、それぞれの思いの中

とにかく必死にがんばっているんだなって…。


自分も頑張らなくちゃなって

再度思わせてもらえました。



時間がたって薄れていくものと

全く変わらないものと

個人個人、思う気持ちは違うと思います。



『応援しています!』…ではなく

『自分ペースで一緒に頑張りましょう』と

言わせて頂けたらと思いました。




亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


行方不明の方々の身元が、一日でも早く家族のもとに帰れますように。