歴史は繰り返される ~フィレンツェに咲く菫を摘み取るトリノの貴婦人~ | GG Forza SINRA

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1981-82シーズン。ディノ・ゾフ、パオロ・ロッシなど1982スペインワールドカップの中心選手を多く擁するユヴェントスとフィレンツェの至宝ジャンカルロ・アントニョーニ擁するフィオレンティーナは熾烈な優勝争いを繰り広げていた。最終節、両者同ポイントで首位タイの状況下フィオレンティーナはサルデーニャはカリャリにてカリアリと対戦。グラツィアーニのゴールを取り消され0-0の引き分けに終わる。一方ユヴェントスはアウェーの地にてカタンザーロと対戦。試合終了前に与えられたPKをリアム・ブレディが決め勝利、優勝を果たした。これにフィレンツェの人々は八百長と大激怒。これが現在にまで続くユヴェントスとフィオンレティーナの因縁の始まりとされている。

 

1985-86シーズン、フィオレンティーナは一人の至宝を獲得する。その名もロベルト・バッジョ。冒頭のマチルデとフィオリンドの6番目の子供だ。移籍二日後に右ひざ十字人体断裂の大怪我を負い、2シーズン棒に振るも、1987-88シーズンから徐々に才能が開花、1988-89シーズンは15得点をあげ、フィオレンティーナのUEFAカップ出場権獲得に貢献、1989-90シーズンはハットトリックを決めるなどの活躍で17得点を挙げる。しかし1990年に入りフィオレンティーナは財政危機に陥る。苦渋の決断で光り輝く菫の蕾の売却を決断するも買い手はあの憎き白黒貴婦人だった。その後バッジョは古巣フィオンレティーナ戦でPKキッカーを拒否するなどフィオレンティーナ愛を示し続けた。

 

99-00シーズン夏の移籍市場でフィオレンティーナはユヴェントスへの意趣返しが如くユヴェントスからトラパットーニに見出されリッピに信頼されたソルダディーノのアンジェロ・ディ・リービオを獲得した。

 

1997年10月25日。パルマの黄金期の支えたエンリコ・キエーザは当時所属していたサンプドリアの本拠地ジェノヴァにて一人の子宝に恵まれる。エンリコはその子供にフェデリコの名を授けた。このフェデリコが因縁の3例目を作り上げる選手になるとはその時はまだ誰も思わなかっただろう。(当たり前

 

2002年。6歳になったフェデリコは父エンリコの転勤によってフィレンツェに在住しておりセッティニャーノのサッカースクールでサッカーを始める。

 

2003年。一人の10歳がヴィオラの門を叩く。名はフェデリコ・ベルナルデスキ。下部組織の各年齢のカテゴリで常に存在感を示し続け2011年にはマンチェスター・ユナイテッドがオファーするほどの逸材はフィオレンティーナ愛を示しプリマヴェーラまで上り詰める。得点王になりキャプテンとしてチームを牽引していたベルナはいつしか「新たなバッジョ」と呼ばれるようになる

 

2007年。フェデリコ・キエーザ、フィオレンティーナの下部組織に入団。

 

2012年。ブルガリアの英雄ディミタール・ベルバトフがこの因縁の関係をいたずらに引っ掻き回した。ベルバトフまずフィオレンティーナに移籍するのにメディカルチェックと3年契約のサインをする為フィレンツェ行の飛行機に乗ることにした。しかし土壇場でユヴェントスが横やりオファーしフィレンツェに行かずトリノに行こうとする。そしたら今度はフラムが横やりの横やりオファー。結局ベルバトフはフラムに移籍。フィオレンティーナは横やりオファーをしたユヴェントスと契約を反故したベルバトフを痛烈に批判。これに対しユヴェントスもフィオレンティーナを批判。ベルバトフに関しては家族の事情でイングランドに残ったと理解を示した。

 

2013年6月。フェデリコ・ベルナルデスキがトップチームのサマーキャンプに招集され13-14シーズンにはトップチームで背番号32番を与えられる(公式戦の出場はなし)。9月セリエB・クロトーネにレンタル移籍した。13-14シーズンは39試合12得点7アシストでチーム得点王になる。この活躍を受け14-15シーズンはフィオレンティーナに復帰。15-16シーズンには背番号10番を授けられる。

 

2015年1月。ベルナルデスキがユヴェントスへの移籍の噂に関して「11年間フィオレンティーナのユースに所属した選手がユベントスに行けるわけがない(行かないとは言ってない)とコメント。

 

16-17シーズン。フェデリコ・キエーザはフィオレンティーナのプリマヴェーラにまで登りついていた。そしてプレシーズンのトップチームの夏合宿に招集され、当時の監督パウロ・ソウザは今シーズンキエーザをトップチームで起用することを示唆。開幕戦で4年後禁断の移籍を犯すユヴェントス戦に先発で公式戦&セリエAデビュー。一方のベルナルデスキ、16-17シーズンはセリエA32試合11ゴール4アシスト、ヨーロッパリーグ8試合2ゴール1アシストと活躍した。

そして。

歴史は繰り返される。

2017年7月24日、ベルナルデスキはユヴェントスに移籍した。新たなバッジョはバッジョと同じ道を辿った、、、、

 

17-18シーズン。キエーザはリーグ戦36試合に出場し6得点を記録。

18-19シーズン。コッパ・イタリア準決勝ローマ戦で初のハットトリックを達成。リーグ戦は37試合6得点を記録。

19-20シーズン。ビッグクラブから熱視線を送られる中、第37節ボローニャ戦でセリエAでは初のハットトリックを達成。試合後ユヴェントスへの移籍の噂について「私がフィオレンティーナを離れたいだと?このクラブを応援していない人が広めている噂だ(フィオレンティーナから離れないとは言っていない)(ユヴェントスに移籍しないとは言っていない)とコメントした。

19-20シーズンはリーグ戦34試合10得点でプロキャリア初のリーグ2桁得点を達成。

そして。

またまた。

歴史は繰り返される。

2020年10月5日。既にフィオレンティーナでリーグ戦3試合1得点を記録している中、ユヴェントスに2年間のレンタルで移籍した。

 

れ き し は く り か え さ れ る 。

 

12月22日第14節。フィオレンティーナはアウェーの地でユヴェントスに挑み3-0で勝利。16-17シーズン第15節ユヴェントスをホームに迎え2-1で蹴散らした試合以来7試合ぶりに勝利し、ユヴェントスに20-21初黒星をプレゼントした。

 

20-21シーズン第33節のフィオレンティーナがホームの対決は2021年4月25日キックオフ予定。