翌朝、客室の外が騒がしく目を覚ます。朝食の車内販売だろうか。話の内容はわからないが怒号とも取れる勢いで喋る声が聞こえてくる。時計を確認すると8時を回っていた。思いの外よく眠れたようだ。窓の外に目をやると雨が降っていた。晴れ空の田園風景を楽しみにしていたのだが、この天気ではあいにくそれを拝めそうにない。しかし、雨の中の田園風景も悪くなかった。どこか懐かしさを感じながら列車の揺れに身を任せていると私は再び眠りに落ちた。

しばらくすると我々は扉を叩く音で再び目を覚ました。重い腰を上げ扉を開くと、昨晩のそっけない女性乗務員が朝食を持って立っていた。我々は散らかったテーブルをすぐに片付け、皿を置く場所を作った。朝食を置くと彼女はそそくさと出て行った。朝食はうまいとは言えないが、腹を満たすのには十分だった。我々はただ車窓から景色を眺めたり、本を読んだりして時間を過ごした。




15時頃、列車はダナン駅に到着した。構内を出るとすぐにタクシーに乗り、宿屋と向かった。宿に着くと、運転手が電話番号を半ば強引に私に渡してきた。ダナンにいる間は俺のタクシーに乗れということらしい。これも何かの縁だと思い連絡先を受け取りタクシーを降りる。ダナンと言えば有名なビーチリゾートで、2人とも太陽の元で泳ぐのを楽しみにしていた。だが天気予報をみると我々が滞在する間は雨と曇りが続くらしい。その日も雨がパラパラと降っていたため、我々は日が落ちるまで宿で休むことにした。

小雨はまだ降り続いていたが、我々は空腹を満たすため外に出た。人混みを探せば良さそうな店が一つくらい見つかるだろう。我々はそう思い、あてもなく雨の中歩き続けた。40分ほど歩いただろうか。陽が落ち、夜の街が賑わいを見せ始めても良さそうな時間だったが、それらしい場所は見つからない。それどころか、雨のせいで道を歩く人すらたいしていない。空腹に耐えかねた我々は適当な店に入り食事をとることにした。店に入ると、中は豪華な装飾品で彩られていた。どうやら2月に控えた旧正月(テト)を迎えるため飾りらしい。我々はそこで麺料理を注文した。ベトナム風の油そばといったところだ。腹をすかしていたため、2人とも数分で食べ終えた。

店を出ると雨は先ほどより強く降り始めていた。しかし我々はそんなことを気にせず再び歩き始めた。2人ともホーチミン・シティ、とりわけブイビエン通りの活気と刺激の影を追い求めていたのだ。今度はビーチ沿いの大通りを歩いてみるが、どうやらここにも我々が探していたものはなかった。途中休憩を挟み、かれこれ1時間ほど歩き回った。我々の髪の毛からは雨が滴っていた。それでもホーチミン・シティの影を追い求めるように、寂しさを紛らわすかのように私はガールズバーへと吸い込まれて行った。



店に入ると2階の個室へと通され、店のママ(といっても27歳らしい)から店の説明を受ける。彼女は日本語を少し話したのだが、どうもカタカナのラ行のみ酷い巻き舌になり、横で聞いていて威嚇的に聞こえてしまう。一通り説明が終わるとママは一階へと姿を消し、入れ替わる形で2人の若い女が我々についた。私についたのは、ミチ、という源氏名を持つ女性で私と同い年の24歳だった。多少の日本語を話し、愛想も良かったので好印象を受けた。隣のツレはと言うと、なにやら悲しげな表情を浮かべていた。彼の担当についた女が愛想笑いの一つもくれずにただそっけない態度をとっているからだ。彼はもともと女性と関わることに苦手意識を抱いている。それなのにこんな態度をとられてしまったらもうどうしようもない。実を言えば彼はこの店に入ることに乗り気では無く、半ば強引に私に連れてきた形だった。私は彼に対し申し訳なく思った。

とはいえ、文句を言っていたって仕方がない。どんな状況からでも楽しみを見つけ出すのが旅の醍醐味の一つだと彼に言い聞かせる。狼狽するツレを尻目に私はミチとの会話を楽しんでいた。すると彼女は日本の曲を歌うと言って、カラオケの機会をいじり始めた。中島みゆきの「糸」を歌うらしい。ベトナムでは有名だと言う。曲が終わり、私にも歌うよう促すので私も一曲歌う。すると次にツレにも歌うよう促し始める。心に傷を負い、歌うどころではないはずと思ったのだが、意外にも彼は歌う気のようだ。

彼が機械に入力を終えるとWANDSの「世界が終わるまでは」が流れ始める。そして曲が始まると彼は半ばヤケクソといった感じで熱唱し始める。彼の横の担当はというと、曲に合わせて手拍子はしているものの、ただぼんやりと死んだ魚の目で空を眺めていた。

適度に酔いも回り、私としてはそこでの時間を楽しんだ。勢いで何曲か続けて歌ったりもした。おそらくツレはすぐにでもその場を去りたかったのだろうが、彼も最後までそこにいた。依然として狼狽えた弱々しい表情ではあったが、歌うよう勧められると潔いほど素直に応じた。途中から彼はステージに1人立ち、熱唱するまでになった。そこにカタルシスを求めているのだろうか。どうであれ、彼は自らを包み込む殻を破るべく自らと戦っていたことに違いはない。

結局我々は2時間ほど滞在した。気になる会計はというと思っていたよりも高く、辛い思いをさせたツレには申し訳ないため私が多めに払うことにした。

彼を巻き込み、辛い思いをさせてしまったのは申し訳なかった。しかし同時にそれは、苦しみに耐え、殻を破ろうとする彼の確かな意思を見るきっかけを与えてくれた。果たして彼は殻を破り、新たな姿を見せてくれるのだろうか。それともその一生を殻の中で終えてしまうのだろうか。