偏った美の姿


私の容姿について。

目はクリクリしているけれど

くっきり二重でもなく、

ぱっちり大きなお目々でもない。

髪はサラサラ黒髪でなく、

少し茶色が入った緩やかカーリーと縮毛。

産後、ぽっちゃり体型になってしまったけど

それまでは中肉中背。

太ってはいなかったけど

細いとか痩せてるタイプではない。

卵型のフェイスで大きさも普通かな?

ホリは深くないけれど鼻は高い。

全体のバランスも取れているので

自分では

まあまあ、いいんじゃないって思ってる。


イヤ、正直に言うと

可愛い方なんじゃないのって、

自画自賛してあげている。

自分だけでもね…ニコニコ




子供の頃、大きくなったら

女優さんになりたいと思ったことがあった。

でも親や祖父母には

美人さんじゃないから無理だよと言われ、

しまいには

個性派女優ならいけるかもねなんて言う始末。

他所のご家庭はどうか分からないけれど

私の家庭は

何故か欠点をふざけてけなすフシがあった。

信頼と愛情の裏返しなのかもしれないけど

子供の私にはその違いが分からなかった。

だから子供の頃、私は、

自分は“おブス”なんだと思っていた。



でも薄々子供ながらに矛盾に気付いていた。



かっこよくて目立っていた

クラスの人気者の男子と両思いになる。

転校して初めて仲良くなった友達が

その友達に私を紹介したら

その子は私を見て可愛いじゃん。と言った。

一定数の同年代の子から、

マスミーちゃんは可愛いから〜$€!$•~

と言われることが侭あった。

意地悪女子には

ちょっと可愛いからって調子づくな

みたいなこと、言われたり。

部活で使う用具の色を

私の好きなピンク色で選んだら

女の先輩に、

可愛い子はそれ、選ぶんだ〜。って

あからさまに嫌味な感じで言われたり。

同学年の男子からは

事あるごとに

ぶりっ子とからかわれていた。

の、割には

みんなだいたい優しかった。

机の中に誰か入れたであろう

可愛い女の子向けのお土産や

プレゼントが入っていたりしたことも

何度かあった。

同じ部活の男の先輩は、

明らかにピンポイントで

私の気を引こうとふざけてみたりしていた。



これらの既成事実を踏まえ

客観的に自分の容姿を検討すると

やっぱり私、

親が言うほどおブスじゃないな、と。

なんならまあまあ可愛い方かなと、

自分で自分を認めてあげられるように

なってきていた。



中学生くらいまでは

たまに嫌味な女子が現れたが

そこまでイヤな思いはしなかった。



高校生にもなると

今まで女子だった子の多くが

女の要素を強めてくるのか、

女子校でありながら

女の圧をかなり感じるようになった。

嫌味や勝手な噂話をされるようになった。


その一方で

男子は本能が向き出てくるようで

帰宅途中に男子高校生に付け回されたり。

男子高校生達とすれ違った後

けっこう可愛いじゃんと

言い合ってる会話が聞こえたり。

買い物中に男子高校生に

しつこく声をかけられたり。



その状況とは反比例のように

私が持ち得る特有の”美“を認めない

アンチ女性がどんどん増えていく。


つまりは

くっきり二重の大きい目でないから、

サラサラストレートヘアでないから、

棒のように細い手足でないから、

そもそも痩せてないしすらっとしてないから、

自分より女として

異性から評価されるなんて認めない!

ってことのようで。


で、認めたくないアンチジョシー(女)は

私にマウントを取るか、ディする方に

意識を向けるようになる。

何故でしょうね〜。


あるジョシーズさんは

一緒に撮った写真を見て、

マスミーは写真に写るの上手だね〜。

だって。

実際は違うのにとでも言いたいのかな〜?



また、あるジョシーズさんは

夏場に露わになった

ワタクシの腕を見て

なんかお母さんみたいで安心感あるよね〜。

って、

腕太いってこと??



ジョシーズさん達は

決まって和かに笑いながら

ディスってなんかいませんよ風に

こちらから聞いてもいないのに

わざわざ伝えててくる。

そして笑顔で隠している裏の

本心の音がテレパシーのように

私に伝わってくる。

トゲトゲしてるのよね…








なんとなく

ずっと不思議だったんだけど

私が今まで感じてきた

個人的見解からの結論では

多くの日本人女性と

虚栄心強めの日本人男性が

‘’美しい”

とする容姿は刷り込まれている。



たいてい

棒みたいに細い身体で

クッキリ大きめの目に

長くて濃いまつ毛



要は、

日本(東洋)離れした顔つきと

昔の日本人体型に手足が伸びた感じ

だったりする。



頑張ってそれを目指すか、

生まれつき細めの身体だったりすると

多くの日本人女性と

虚栄心強男の求める

美の条件に当てはまりやすくなる。



たとえお顔がサッパリしていても

年頃になり化粧をすれば

たいてい顔つきもクリアできる。



美の価値観は

人それぞれだから

それが美しいと思うなら別に良いと思う。



別に良いと思うけど

私の美的感覚とは少し外れる。



私が美しいと思う価値観は

一定の形には収まらない。


だから

私が美しいと思う容姿は

その人それぞれで異なる。



肉付きがよくても

目が細くても

その人に合っていれば美しい。

だから

自信を持って

生まれた時にいただいた

そのギフトを愛して

前を向いていければ良いのに。



もし

世の中のみんなが

自分を美しいと思えれば

きっと

今のような

偏った美には

ならないんじゃないかなって思う。



それとは別に

バランスとして

整っていて美しいものもある。

やっぱりバランスも

先天的に備わったもので

それぞれのパーツのバランスが

整っているほど

安定感を感じるので、

美しいと感じるみたいだ。



これは、姿・形に留まらない。

全てにおける美に通じてる。

例えばマインド

信念が定まらず、

強いものに流されてばかりいる人より

自分の価値観を持って

意思をしっかり持っている人のマインドの方が

安定感があり美しく感じる。

例えばスポーツ

無駄のない安定したフォームは

美しいばかりか

良い結果を生み出す。

例えば所作や動作

美しいとされている姿勢や動作は

全て無駄は感じない。

そればかりか筋肉の使い方にまで無駄がない。



一本の筋が通っている事は

美しい。

柔軟性があるのも美しい。

でも

声が大きい人の筋道に合わせ

その行き先が変わるたびに

必死について回る。

そこに私は柔軟性も一貫性も感じない。


他人の筋道ばかり追い続けている人達の

目的地はあるのかな?



自分の中にある美しさを無視して

誰かさんの“美しい基準”に

自分を当て込めようとするのは

三角形の容器に無理矢理

丸を押し込めてるみたいだ。



自分の美に気づけなければ

他の人の美しさにも気づけないよね。



どこかの誰かさんが言う

美の基準にハマらなければ

それは美とは認めない。

みたいな現象

起こっちゃってない?



自分が持つ基準が見えないと

声の大きいどこかの誰かさんが

「いいよね。可愛いね。かっこいいね。」

と言うと

「私もそう思う」

ってなる。

今まで散々「これ好き〜」

みたいに言っていたのに

人気が集中しすぎてアンチが生まれる。

そのアンチの中にも

やっぱり声の大きい人がいて

「気に入らないよね〜」

って言うと、

「私もそう思う」って同調して

あっという間に行き先が変わってしまう。

そして、みんなもそう言ってるから

私、間違ってないよね。

そう自分に言い聞かせてしまう。



自分なりの基準が見えてないからそうなる。



『メンタル強め美女白川さん』で

アラフォー美女羽柴さん登場回の話。


いつも白川さんを妬んでいる周囲の女子。

アラフォー美女の羽柴さんが

同じ部署に移動してきたことで

白川さんを陥れようと

ニコニコしながら

わざわざ白川さんに言ってくる。


『今まで白川さんに言い寄ってたくせに、

 本当の美人

 目の前にした男って正直だよね〜。』


そんなアンチ女相手でも白川さんは

笑ってスルーする。

そして白川さんは言う。

『私は美に競争は持ち込まないタイプだから

 自分が出来ることを毎日コツコツやるだけ』

と。

そうなんだよ。

自分と誰かを比べようとするから

優劣付けたくなるんだよ。

でもね。

そもそも土台が違うのに、

いったい何をどう比べるの?



比べられるのは昨日の自分と今日の自分。

過去の自分と今の自分だけだよ!

昨日より今日の自分、

過去より今の自分の方が

少しでも素敵になっていればいいんじゃない?

まあ、

細胞も身体的機能も劣化していくから

容姿だけで判断すると難しくなるかもね〜。



美は1日にして成らず。

美は周囲を蹴り落としても成らず。

マウントしても、

ディスっても、

ハブにしても

1ミリたりとも自分の美にはならないのよ!