【ハント症候群】

 目尻と口角が下がってきて

 顔が歪んで、動かなくて

 と

顔面神経麻痺を前面に書いてる方が多い中


目眩で動けなくなり、

平衡感覚が戻らず

歩けなくなってしまった

ことを母に知らせた


目眩入院(一般的にはステロイド入院と書くところだろう)から退院した頃に電話した記憶がある


そして、減荷術のことは母には知らせなかった


当時私も高齢者と呼ばれる年齢だったが、

母は更に高齢

発症時 私65歳 母86歳


「手術する!」

という言葉だけでは心配するだろう


同居する弟には知らせた



北陸の山村で義父の介護をしていた時に

その地区の色んな役職が回ってきた

自治会長、老人会長、、、、

あとなんだったっけ?

1年に3つ~4つの役職がまわってきた

その大部分は夫が引き受けていたが


お寺の役員だけは夫婦で務めていた

介護も終わり、関西に戻ってからも

役員の務めを果たすため北陸へ通っていた


お寺の行事に世話役で行くことができなくなってしまった私は同じ役員の1人に連絡をした

彼女はたまたま実家近くの介護施設に勤務しており、元気な母はそこへボランティアで出入りしていたこともあり、手術のことは黙っといて!

と頼んだ


私と夫は同郷なのです



減荷術から退院して

丁寧に、心配しないように

との思いを込めて

母に手紙を書いた


それから母との文通が始まった


病気のことを思い切り母にぶつけることができるようになった



タイトルは

文通が始まり半年後位に

交叉神経移植を受けた時、病室から送った

私の手紙に対する返事だった



それ以前に、顔が曲がって

「ひょっとこみたいな顔になった」

下眼瞼の下垂と外反で

「ウサギの目になった」

食べ物が口の中に溜まり

「リスのお口」

と伝えていたけれど、

さらに

手術後 頬の内出血で

「おてもやん」も加わったと伝えた



その返事だった

「ひょっとこでも、おてもやんでも

masumi はmasumi や」と



その母は去年(2022年)正月に会ったとき

目眩が出てな~

と、言ってた

聞くと私の目眩とは違うみたい

沢山の薬が処方されてた


その年2月に筋移植を受けることを母にしらせていた

弟から

「手紙を書きたいんだけど、

集中力がなくて書けない、言うとる」

と、母の様子を知らせてきた

多分薬の影響だと思い、

その薬飲む必要あるのか聞いてきて!

と、弟に頼んだ


減薬して落ちついたのか

筋移植手術で入院中に母からの手紙は届いた

その時 私67歳 母88歳



退院して少し落ちついた頃

目眩が恐くて長いことお風呂に入ってない

という


私もオペから1ヶ月経ってなかったが

北陸の実家へ移動して

一緒にお風呂に入り、母と過ごした


介護認定の申請もしていたが

審査には時間がかかり

「要支援2」との判定

が出た頃には、

他の病も出てきて

歩行が難しくなってきた

判定後直ぐだったけど

介護認定の見直しをお願いした


要支援2でケアマネさんに来て貰い、

お風呂の介助など受けられるようになったが、

もうすでにお風呂に介助で入れられる状態ではなくなっていた


細くなっていた食は更に細くなり、嘔吐もあり

点滴が始まった

尿閉もあり、尿バルーンも入れたまま

3月後半からは2週間 毎日点滴に

往診くださった医師から


これ以上の在宅医療は無理です

入院してくださいと言われ


2022年4月11日入院


訪問看護師さんも決まり

介護ベッドも届いた3日後のことでした


入院後に判った介護認定は

  要介護5


コロナの関係で面会は難しい


鉛筆を握る力も弱くなって来ているようで

メモのような「母からの手紙」が何度か届いた

のは入院初期だけ


最近の文通は一方通行

そして、だんだん

書く頻度が減ってきた


読んでくれるうちに

読んで貰わねば、、、


誕生日の関係で

私69歳 母89歳

今年90歳になる母


また、書くね


修正手術で

顔がひょっとこじゃなくなったよ



イメージ画としてネット上のものお借りしました