やはり、ということが新聞に掲載されていた。
「大規模の有名難関大学って、そんなに良い大学なんだろうか?」
ということである。
もちろん、記事の内容は真逆で、
「小規模単科大学の優位である点もある。」
といったことである。

例に挙がったのはアメリカのリベラルアーツカレッジである。
有能な人材を輩出しているとか?

私自身、都心の有名大学に進学したが、
居場所を見つけられず、悩んだ時期がある。
数学もちっとも解らず、途方に暮れた。
「大学院生に質問するといい。」
と教授が授業で言ったので聞きに行くと、
「○×△□」
何を言っているか、わからない。
こういう人たちに聞いても無駄だ、と思った。

もう少し我慢強ければ、という自戒の念もあるが、
大規模教室で受ける楽勝科目の一般教養とか、
「俺っていま何してるの?
 こんなことがしたくて、大学受験の勉強したの?」
ということばかり考えていることが多かった。

小規模単科大学へ行けば、こんなことはなかった、
とは思わないが、
3,4年のゼミ、大学院のゼミでは、
少人数だからこそできる意見表明など、
自分の存在が確認できた。

入学当初から、こういう機会があれば、と思う。
かたや文系は、ほとんど大規模教室で授業とか?
これでは学生もかわいそうだ。

近くの単科大の女子大生が、
楽しそうにキャンパスに入っていく。
僕はああいうふうにキャンパスに向かった記憶がない。
わが子たちには、僕のような大学生活を送らせたくない。
大規模・有名・難関大学がすべてではない、と考える。
ちょっと待て。
それは仮面ライダーと5人戦隊ものの「ゴーオンジャー」のことである。
平成仮面ライダーシリーズは、
初作が「仮面ライダークウガ」という作品で、
これでアメリカ帰りのオダギリジョーがブレイク。
小さな子どもを抱えるお母さん方に大人気に。
このあと、何人もの若手俳優が、
この手のヒーローものをジャンピングボードに、
ゴールデンタイムのドラマにデビューしていく。
要潤や水島ヒロも、その後進である。
逆に細川茂樹さんのような、再ブレイクもある。
また、一度、主役をはった人が再びキーパーソンとなって、
ワンポイントの出演(友情出演?)のようなストーリーもある。
とにかく、そういった意味では現在のヒーロー番組は侮れない。

ちょっと待ってほしいのは、5人戦隊もの(実は7人戦隊)の、
ゴーオンジャーである。
とにかく、出てくる女の子が可愛い。戦闘服はミニスカート。
(おい、普通、戦闘服は肌を露出しないだろ!)
悪役の女性も及川ナオさん。胸元もあらわ。
もはや、ターゲットは子どもではなく、その父親。
実は私、毎年夏に、この手の番組の映画版を、
子どもを連れて観に行ってます。
(いやー、もはやパンフは父のものだね。)

今回、文句があるのはその映画版で出てきたロボットが、
テレビ版にも出てきたこと。
映画の公開も終わり、レンタルDVDも発売されたのか、
ここで子どもの購買意欲を高めようと、
クリスマス商戦の近いこの時期に、テレビ出演させるとは、
映画版ロボットを!
これでわが子もまた、あのロボットを祖父にねだる!
じつはこの手のヒーローものは、1月末、2月末に順次、
最終回を迎え、新番組が始まります。
せっかくクリスマスでこの手のレプリカオモチャを買っても、
これが番組で見られるのは、もうほとんどない。

だから息子には言って聞かせます。
「もう次のヒーローものが始まるから、
 いまのレプリカ武器を買っても、
 その活躍はほとんど見られないので、しょうがない。」って。

そういった観点から見ると、今回の映画版ロボット登場は、
クリスマス商戦で、現放映もののレプリカ武器の在庫処分が目的、
と思われても仕方がないのでは、と思います。
小学生の子どもは、
「これまで映画版の役やロボットがテレビ版に出ることはなかった。」
と、別の意味で憤慨しています。
テレビと映画は別物であってほしい、っと思ってるからでしょう。
また、年によっては、
完全なパラレルワールドで映画版を創っていますから。
小学生の子どもにもそう擦り込まれています。
まあ、作り手の方もいろいろ考えての、
映画版とテレビ版のコラボレーション。
とりあえず、
子どもの潜在的購買意欲の喚起をした、
という点で、反対意見を表明したいと思います。
また景気後退局面らしい。
景気・不景気が直撃しない職場にいるので、
その風を感じることは少ないです。
ただ、ここ10年の経験から、
まったく不景気が関係ないということはない、
ということもわかってきました。

不景気となると、
私学の学校経営も緊張することは、
経営者の顔つきや言動から察せられる。
ただ、だからといって他で利益が向上できる仕事ではないので、
できることと言えば無駄なものを消費せぬこと。

また不景気は、保護者からも感じられます。
もう行事の残金や部活の遠征の残金は即刻、返す。
以前は、「合宿行くことに意味はあるのですか?」
と問われたこともある。1円も無駄にできない。
また、そう言った声が聞こえてくることも覚悟せねば。

そんな中、朝刊で大学の広告が目立つようになった。
こういった広告費も大変な額になるだろうが、
それでも全国から優秀な人材を集めたい。
それは少子化が懸念される昨今では、
私立学校として死活問題であることは理解できる。

田舎の高校生だった頃は、
その高校でけっこう成績が良かった方だったので、
「どうしてこんなに勉強できる奴が全国にいるのか?」
と不思議がっていたが、東京に出てきてそれはわかった。

先日も、大きく「N」と書かれたバッグを背負う少年が、
土曜の早朝、銀杏のきれいな通りを急いで駆けていった。
小学校6年生には見えない。
4年生か5年生。
近くの市営グラウンドでは、ボーイスカウトチームが集合し、
グラウンド中央には、
少年野球の指導者らしいお父さん達が集まっている。
都市近郊では、
田舎者の教師が過ごした風景と異なる多様な時代が、
小学生を取り巻いている。
小学生とその親は、どの道かを選ばねばならない。
すべては決まらないが、小学生時代に大きな岐路がある。

新保守主義?市場原理?の影響で、
教育の現場にも「選別」としての機能が目立ってきた。
「学校の選別としての機能」はもうずっと前から指摘され、
事実、その役割を果たしてきたわけだが、
ここまでハッキリとメディアでも言われたのは、
ここ数年のこと、だと思う。
保護者との面談を終えたが、
「自分の子がこの学校でどのくらいの位置にいるのか?」
はおおきな関心事である。
自分の子どもがどっち側なのか、それは気になることだろう。
でも、
「どっち側ということはないんですよ。
 それに彼は彼ですから。」
ということにしている。親は、私の言葉を何となく聞いている。

私たちの学校は、彼らの心と知的能力を育て、
大学に送ることが社会的使命である。
だから最近は、
「大学がこの生徒たちをどのように育ててくれるのか」、
ということが気になる。
自分の大学時代を振り返っても、
難関大学にこういった「育成観」みたいなものがあるのか、
疑わしいからである。

それでも最近は、
「うちの大学はこのように育てます」といったコピ-や、
事実、「シラバス」といったものあるらしく、
先日、公募された方の成績表を見ると、
半期制なのか、細かく単位化された科目の、良い成績が目立った。
「そうだよな、試験範囲が狭い方が対策は立てやすいよな。」
僕たちが大学生だった頃、確率論の授業の考査は年に1回だった。
あれは最悪だった。
無理に勉強して、自分の能力を超える東京の大学に来たものだから、
本当に僕は数学の学習に苦しんだ。

最近の大学は、東大でさえも、入学初年度に少人数ゼミを開き、
「学びの技法」セミナーみたいなものを開いているらしい。
昭和の終わり、平成の始まりの頃の第2次ベビーブーム世代には、
羨ましい限りの「育成コンセプト」だ。

雑誌や新聞を読む限りでは、
やはり旧七帝大や東京の大学が高評価である。
でも担任として、あるいは親として大学に期待したいのは、
やはり「育成」である。
研究者の卵として、あるいは企業社会の担い手として、
どう面倒をみて、育ててくれるのか。
そういった熱意が見れれば、それでいい。
もちろん、難関大に入った生徒に、
過度に干渉するのは良くないかも知れない。
しかし、ちょっと記憶力に優れただけで
大学に入ってしまった子がいることも事実。
そういった子にも論理の魂を注ぎ込み、
安定で誠実な社会の担い手として飛び立ってもらわねば、
困るし、そうすることが明るい未来につながる。

大学の学長の文言だけでなく、教員・職員をあげて、
学生の育成に傾倒していってほしい、と願う。
本校の高校3年生もそうですが、
世の中の受験生が志望校・受験校を決定する時期になりましたね。
新聞を広げれば、それが実感できます。

それにしても私立大だけでなく、
国公立大もサービスが良くなってきましたね。
願書の宅配サービスとか、大学によっては願書無料とか。
また奨学金も充実してきましたね。
羨ましい限りです。
バブル景気にもかからわず、我が家にはその影響は皆無で、
また競争の激しい第2次ベビーブーム世代(団塊ジュニア)。
同級生でも、大学に受からず、
別の進路を選んだ友人も少なからずいます。
それがいまや、全入の一歩手前とは。(ノДT)
嘆いても仕方ありませんが、就職も氷河期だったので、
時代の流れに愚痴の一つも言いたくなります。

ところで最近の学生にとっては、
「教職」はあまり魅力のある職業でなくなっている、
という話を聞きました。
とある大学が開いた「教員就職セミナー」では、
新卒3年くらいのOBを数人呼んで、
「教職のすばらしさ」を志望者に伝えてもらおうとしたところ、
「もうやめたい」「モンスターピアレントは想像を絶する」
「教員なんて何もいいことはない。」
「年収もたかが知れてる」
と言いまくったらしく、セミナーのテンションはドンドン下がるとか。

これは、ある1つの大学の話かと思っていたら、
どの大学でも教職セミナーは似たような状況とか。
それは講師として呼んでる若い教員にあるんじゃないか?
あるいは、そういう風にしか話が出来なくしている、
若い教員をとりまく現場に問題があるんじゃないか?
と思います。

いきつけの床屋でも、髪を切りながら床屋のご主人と話す話は、
「また、私の子どもの学校の新採の先生、辞めましたよ。
 これで昨年から5人目かな。最近の若い人はこらえ性がないようね。」
と若手教員をばっさり。
2年で5人も新採が辞める学校っていうのもどうなのか、
と聞き返すと、「校長がね、…」とか「親がね…」とか話になりますが、
まあ、それはそうかなと。保護者からすればその辺しか見えないので。
私が問題だと思うのは、それ以外の人たちですね。
具体的には先輩や同僚の先生方です。
もちろん、保護者や校長もですが、
どんな「若手育成」の考えを持って、新人を迎えているのか…。

はじめからなんでもできる20歳代の若者なんていませんよ、ホント。
有能な方はいますよ、ホントに。
でも多くの人間のなかで教育を行うには、
「上手に折り合いをつけること」。
もちろん信念をもって教育を行った上でですが。
最近は、この「折り合いをつける」加減がねぇ、
なかなか難しいですよ、ホント。

話は戻って、
大学もそうですが、教職現場もそうらしいですね。
なにかというと、「成果主義」「公約実現」。
先日、朝日新聞では「公立学校も公約を打ち出す」という
記事が掲載されてました。東京のある1つの区の話らしいですが。
大学のアピールでも、「就職率100%」とか、
「留学経験、○○%」とか、達成率とか結果が掲載されています。
でもこういう数字、100に近づくに連れ、
私なんかは「なんか無理してない?」と思ってしまうのです。
別に100%じゃなくていいから、
「学生、1個人を大事にしてほしい」、
と思います。
「○○大学合格□名!」よりも、その数字の1つ1つ、
「1」に対してのドラマが、彼の本意に寄り添うものであったのか。
もちろん過保護はよくありませんが、
おおきな数字の中にある、
1つ1つのヒューマニズムにもう少し視点を合わせても良いのかな、
と思います。
「親はわが子1点集中、経営者は結果の数字のみ。」
いびつな時代になりました。
複眼的でもいいかなあ、と思う昨今です。
中高一貫の私立男子校に勤務してるロベルトです。
私が就職した当時は、中高一貫の学校が評価をより高めつつあり、
公立でも中高一貫校を設立する、
という動きが見えはじめていた頃でした。
私も数学のカリキュラムの合理性・効率性から、
「就職するなら私立中高一貫」と絞り、
そこで現在の勤務校と縁が出来ました。

ところでやはり内部にはいると見え方は違ってくるモノで、
本校でもやはり一般にあるように「中弛み」というか、
中学3年、高校1年の生徒の不勉強は目立ちます。

しかし、これは単に「中弛み」という言葉でくくれるような
事柄ではないなと最近思っています。
やはり身長が急激に伸びるこの時期、彼らの世界の見え方は、
日々変わっていくのでしょう。
視線は高くなりますから、視界は広くなりすよね?
もちろん脳も成長し、
それまで偉大だった父や母も、気がつけば自分より小さく、
また以前より確実にだんだんと年老いていく。
反抗期とはその過程の、
世代の新陳代謝というべきモノであって、
たんなる心理的不安定ではないのではない、
と思っています。

しかし大人は、あるいは人類はこれまで文明の発展の中で、
たしかな人間社会を築いてきました。
これは単に身長が170cmを越えたからといって、
その辺の男子が簡単に超克出来るような社会ではありません。
そこでまた青年は、社会への適応を考えるわけです。

ところが中高一貫校では、15歳の少年が適応すべき社会は、
相も変わらず、いつも通っている親しみのある学舎。
受験失敗という不安は12歳で済ました特権で、
そこでの葛藤は微々たるモノです。

(だれが作ったか、
 教育原理の授業で習ったのかさえ忘れてしまいましたが)
6-3-3制というのは男子の成長を考えた場合、
けっこう良い制度では無いのかと、最近、思っています。
「15の春を泣かせるな」と金八先生も言ってましたが、
15歳というのは、そういった身体的成長と精神的成長の時期で、
そういう現実と向き合う大切な時期だと思い始めています。
最近は「子どもは小さな大人」とトリートするようなことが増え、
「それはちょっとちがうんじゃない?」と度々思うので、
こういった観が、日に日に増しています。

また、教育現場にも市場原理が入り込んできて、
私たちの職場も、
サービスとしての教育という観点が強くなってきました。
しかし本来、教育というのはサービスとは違うモノではなかったか?
でも実際ににサービス向上という市場原理が入ることで、
中高一貫の学校も中学受験専門塾と一緒になって、
今、教育の本質不在の教育過熱現象が小学校と中学校という、
義務教育年代にまでどっぷり浸っていると言えます。

これまで高校・高校受験、
あるいは大学・大学受験・就職活動が担ってきた社会的機能が、
(正しくは背負わされてきた制度が)
現実と夢想の境界になっていたと、
僕が田舎にいる頃まで(つまり昭和の終わりまで)は、
言えると思います。そういった点で、
最近、子どもの活力が失われていると評判ですが、
失わせているのは大人社会とその価値観ではないでしょうか?
中学1年生の段階で、
「Jリーグに行くか、有名大学に行くか」
を選択し、どちらかを諦めなければならない現実を
子どもに見せているからです。

すいません、評論(結論ありきの思いこみ)が過ぎました。
とりあえず、
私の子ども達は公立の中学校に行かせようと思っている、
ということを書きたかっただけです。
15歳と16歳の間に関門があることも、
大学受験という灰色の季節があることも、
そんなに悪いことではない、と思うからです。
6-3-3については、うまく書けませんでしたが、
子どもの成長にとって合理的な制度だと今は思っている、
ということです。
ちょっと疲れ気味です。。(´д`lll)
昨日は夕飯を摂ると、倒れるように寝てしまいました。

夢見も悪かったです。
母校と勤務校の周りをなぜかマラソン(走り込み?)をしていると、
突然、小川に遮られ、その小川をよく観ると、
古代の巨大魚が。ヽ((◎д◎ ))ゝ
「シーラカンスか?」と言いながら、闘う私。
ハッと目が覚めると、足元で息子が寝てました。
私の脚を枕にして。

起きると、まだ五時。
目が冴えてしまいました。
昨日はお風呂にも入ってないので、
よくあることですが、朝刊読みながら朝風呂。
ちょっと気分良くなってきました。

とりあえず、今日の授業の予習。
「フムフム、今日は幾何で『三角形の性質』か。」
朝はやはり勉強に向いています。

高校生の頃は、ほぼ毎日、
サッカー部の朝練(自主的に)をしてました。
もし高校生をもう一度出来るなら、
朝勉をしてみたいですね、毎朝、数学を。
そうだ、生徒にも言ってみよう。
『朝の数学って、いいぞう』って。

頭がスッキリしてきました。
テーブルの上には、昨日届いた、
定期購読している数学セミナーの最新刊が。
開けて、巻頭言を読むと(((゜д゜;)))

「そうだよなあ、いつも数学してないとなあ。
 いつ数学しても良いように準備してないとなあ。」
心が洗われてきました。
(でもそれでもまだ体が重いな。)

何、岩波書店からユークリッド幾何の書評が刊行されている?
それは買わねば。

だんだん元気になってきました。
でも、今日は説教しなきゃいけないだよなあ、アイツを。
ああ、(ノ_-。)

追伸 読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。
  毎日の更新は難しいですが、週二回は「数学教師の日常」と、
  「生徒の数学での成長日誌」を書いていきたいと思います。
  これからもよろしくお願いします。
1つの大きな仕事を終えました。
その結果、大きな喜びを感じることが出来ました。

多くの教員志望の若者の声を聞きました。
十人十色。
それぞれがそれぞれの思い出と願いのもと、
生徒の側に立とうとしていました。

自分を思い返します。
僕もこんな風に熱く思いを語ったのだろうか?
しっかり語ることが出来たのだろうか?
そして職に就いた後、その熱意を忘れることなく、
これまで歩んできたのだろうか?
特に後者は、心許ない。
あらためて、反省である。
若者の真っ直ぐな思いに、もう一度、背筋を伸ばした。

このブログで、自分の半生を振り返ったり、
別の人生があったのではとシミュレーションしてみたり、
あるいは多くの人と語り合ったことを思いだして書いたり。
そうすることで、
僕は今の自分に自信、あるいは確信を持てるようになってきた。

「俺は俺だし。」
とある、プロサッカー選手の座右の銘である(そうだ)。
思わず、吹き出してしまった。
思い出すたびに、大笑いしてしまう。
でも一方、この言葉を発するその精神的な強さに憧れもする。
「俺も俺だし。」

こんな自分であっていいのだと、自信が持てる。

「俺は理系です」というのにも、実は少し抵抗があった。
暗算は遅いし、計算ミスも多い。
見ている人に、「ホントに数学科卒?」
と言われることもあった。

「なんで数学科に入ったの?」
それを聞かれると困った。
「そんなん、数学好きなん?数学オリンピックとか出とん?」
数学オリンピックなんて、存在すら知らなかった。
数学に憧れた。
何でまだ、数学に研究することがあるのか、知りたかった。
数学が世の中の役に立っていることを知り、
数学の応用に興味を持った。
あるいは、
すべての事象は微分方程式を解くことで説明できる、
と思ったからだ。

自分がそれほど優秀でないことを受け入れるのに、
ずいぶんと時間がかかった。
それでも自分にしか出来ないことがあると気づくのに、
ずいぶんと時間がかかった。
自分がどれくらい数学が好きなのか確信するまでに、
ずいぶんと時間がかかった。
こんな自分の中ににも数学があることに気がつくまでに、
ずいぶんと時間がかかった。
自分が論理よりも情に流されやすいことに気がつくまでに、
ずいぶんと時間がかかった。
自分がもう現代数学の何を求めようとしなくてもよいと、
確信するまでにずいぶんと時間がかかった。

僕は、初等幾何とプリミティブな微分積分を生徒に教えたかった。
だから教員になった。
忘れていた、自分の理想を。
忘れていた、それを求めることを。
僕は、モダン以前の数学の生まれてくる過程に憧れ、
それを知りたいと思い、それが個々の数学の理解にシンクロする、
と思っていたのだった。
僕は、古典としての数学に憧れ、そして脅えていたのだった。
いま、ハッキリと思い出すことが出来た。
「数学は怖いが、理解できたら、これほど面白いことはない。」

4月から新しい仲間を迎えることになりました。
可能性にあふれた新人です。
私自身も新たな気持ちではじめられそうです。
涼しくなると、(っていうか、もう肌寒いですが)
本を読むのにちょうどいいですよね。
一時期、毎日のように新書を買っていたら、
カミさんに呆れられたので、
新書・雑誌は出来るだけ買わないようにしています。
しかしそれでも、雑誌「数学セミナー」は定期購読し、
また書店にも度々寄って、
「これは」と思う本は買っています。

新書・芳澤光雄著「出題者心理からみた入試数学」は面白いです。
なんというか、「その通り!」と、
胸の透く思いがします。とくに、
「数列のときは、『n=1,2,…ではなくn=1,2,3,…』です。」
というところには感銘しました。
自分ではうまく表現できなかったので。
最後のまとめも素晴らしい。
もしかしたら、このブログをはじめたときの疑問が解決するかも。

「数学セミナー」の黒木哲徳教授の連載、
「教師のためのやさしい数学の話」というのも素晴らしい。
大学入って、ああいう数学教育の話が聞きたかったなあ。
いや、ああいうのは自分で勉強して得るものなのかな。
思わず家に帰って、朝倉書店の「ガロアと方程式」という、
昔、図書館で毎日のように読んでいた本を取りだした。
「そう、たしかそういう話だったと思うが、…。」
その後の不勉強で、知識が有機的につながっていない。
ああ、もう一度勉強したい。

新書といえば、加藤文元著「数学する精神」も面白い。
わずかな期間で書き上げたとあとがきにあったが、
一流の人が数学を俯瞰して、啓蒙書として書くと、
こんなふうによくわかるとは。あっぱれです。
「そう、僕は『数学的帰納法の根拠がじつはわからない』と、
 やっと胸を張って言えるなあ。」
あまり書くと、また不勉強がばれるので、この辺で。


やはり、自分は数学科に行くべきして行ったのだと、
このブログを書き連ねることで、確信してきた。

大学時代、あるいは就職まで、いや、いま現在でも、
『数学とは何か、自分は数学の何が好きなのか』、
ということについて、明確に表現できないが、
スッキリしてきた感がある。

今度、大学のキャンパスでゆっくりコーヒーでも飲んでこよう。
この10数年の惑いが必然だったことを納得してこよう。
いまが楽しい。いまからでも数学は勉強できる。
ちょっと大学のことを調べていたら、
「もしあのとき、別の選択をしていたら…。」
なんてことを考えはじめて、眠れなくなってしまった。
以前も書いたように、大学時代は不勉強だったので、
(もう数学なんか勉強したくない、
 って投げ出しそうになったので)
後悔がいっぱい。一時期、孤独にさいなまれたし。

というわけで、高校生の頃を思いだし、
「もし○○だったら」ということを書いてみたい。

(1)もし、地元の国立大に行っていたら。
   親の希望は国立大だった。
   それは家計が苦しかったので。
その①教育学部に入る。→地元の(おそらく)中学教師。
    うーん、おそらく器の小さな、神経質は人間だったろう。
    おそらく、体罰が問題になり、懲戒処分。
その②工学部に入る。
    おそらく学科とミスマッチ。
    「オレは本当はこんなことは勉強したくない。
     やっぱ教師になろうと、転科願を書き始める。」
    母ちゃん、ごめん。もう一度受験するわ。

(2)もし、あのとき、別の私立大学の推薦に応募していたら。
   高3の9月ごろは、どちらかというと物理学科を目指していた。
   志望大学から指定校推薦枠が来たが、それは数学科。
   それよりやや難易度が低い大学からは物理学科の枠が来ていた。
    悩んだ末に、数学科に志願。
    私より数学が出来る奴が合格し、私は不合格。
    ちょっと(2週間くらい)凹む。それほど期待してなかったのに。
    クラブの顧問からは、
    「物理学科のある私立大学に出すと先生方は思っていた。
     志願すればおまえで決まりだったのに。」と言われ、また凹む。
    でも逆に吹っ切れ、一般入試で合格を決意。現在に至る。
   もし、あのとき、そっちを志願していたら。
   ああ、指定校推薦の責任に負け、勉強が手につかなかったろう。
   「もし俺が留年したら。母校に推薦枠が届かなくなる。」
   この大学、留年が多い、勉強が厳しくて有名な大学。
   一般入試で入ってきた同級生にコンプレックス(劣等感)を持ち、
   小さなプライド(昔は優等生だった)だけを頼りに、
   進級は毎回綱渡り。
   「究極の粒子発見」というビックマウスを吐きまくり。
   学科では、「ちょっと変人」で有名に。ノーベル賞か狂人か。
   ああ、進学しなけりゃよかったと、後悔の嵐に。

書いていて気がついた。
「隣の芝生は青く見える。」
もしあのとき別の選択をしていたら、
もうちょっと気楽な、ストレスの少ない幸せな人生があったかも。
あるいは、ちょっと出世して、あるいは海外留学して、
一攫千金なんて、ビックなことがあったかも。
そう思ってみたけれど、
おそらく私は、紆余曲折しても、教師の仕事を選んだに違いない。
実は、履歴書的には単線に見える僕の選択も、
そのときどき、滅茶苦茶、悩んだ。
いまだって悩むことはある。
「ああ、しんどい。ああ、逃げ出したい。」って。
でも最近、確信しつつある。
「これが一番。」

寝ますm(u_u)m

    
    
先日の朝日新聞に、イギリスの大学評価機関が発表した、
世界の大学ランキングが載っていた。
たしか東京大学が19位だった。
記事としては、東大がベスト10に入ってほしいかったような表現だったが、
個人的には、「意外と高評価だな」と思った。

日本の大学の順番は、総合順位は別として
ついで京都大学、大阪大学ときて、次が東京工業大学だった。
そのあとに名古屋、東北、九州、北海道と続き、
私立大学として早稲田大学がはじめて顔を出す。
早稲田大学の順位は確か190番台。

旧七帝大がランキング上位のなのは、
「やはりそうなのか。そういうものなのか。」と思った。
評価の基準は、研究の評価(論文の引用数や成果)や教育水準など、
多岐にわたるようである。
国立大学も独立行政法人と変わるなかで、
いろいろな変革を迫られ、苦労してきたところもあるだろう。
それでも(それだからこそ?)旧七帝大が強いのか、
とあらためて感じた。

そこに東京工業大学が食い込んでいるのは、意外だった。
確かに首都東京にある大学。
人材は豊富のなのかも知れない、教授も学生も。院生も。
しかし、単科大学(ん、理学部と工学部だから正確には単科大学でない?)
だからちょっとビックリ。
また、このランキングは理工系学部のある大学の評価が
比較的高いのかな、と思った。
東京の一橋大学のような社会学系大学のランキングが
上位ではなかったからである。

また意外だったのは、
早稲田大学の方が慶應大学よりランキングが上、
だったことである。
最近の本校の受験生の動向を見ていると、
やはりブランドとしては「慶應」の方が上なのか、
慶應大の方が人気があるように見えるからである。
まあ、これは人気ランキングでないので、
それはある一面と理解すれば良いのだろう。

同じ頃、雑誌「東洋経済」で恒例の企画(?)、
「本当に強い大学」の記事が掲載された。
読者層を意識したような、徹底した比較。
あまり教育の内実にはふれられていなくて残念。
それでも話題の私立大学にも足を運び、
徹底比較した様子。ふーん( ̄_ ̄ i)。

こちらの総合ランキングは、
1位東大、2位京都大、3位が一橋大と、
今度は法学・経済学系の評価が高い。

ついで興味深かったのは、
卒業生の年収ランキングでは一橋大学が1位。Σ(゚д゚;)
それは、やはり金融系の就職が多いかららしい。
都市銀行などのサラリーがいいとうことは想像に難くない。
でも、それって本当?
やはり開業医のOBが多い大学の方が…。
また東大OBでも楽天の社長とか、ソフトバンク社長とか、
天文学的数字の年収があるのでは?
これは、あまりにも読者層に…。

ついでビックリしたのは、総合順位14位の豊田工業大学。
「えっ(=◇=;)」
調べました、豊田工業大学。
なるほど、少数精鋭の工科大学。
以前は普通科高校の卒業生には門戸が開かれていなかったよう。
名前の通り、「トヨタ」の大学。
なるほど、なるほど。
しかし、このような「知り人ぞ知る」大学が総合順位14位。
経済雑誌、トヨタ、…。

「もう、何もいえねぇ。」