いよいよ、新学期がはじまります。
今回は始業日から、私の出番なので、
もうスイッチが入っています( ̄▽+ ̄*)

それにしても、
こんな回想記の多い、自画自賛のブログに多くの方が
アクセスしていただいているようです。
まことにありがとうございます。
(半分くらいは、運営会社の水増しアクセスと疑っております。
 本当の訪問者の方々、すいません。)
これからもよろしくお願いします。
あっ、
「あけましておめでとうございます。」(*^o^*)/~
今年もよろしくお願いします。

ラグビーや駅伝など、大学スポーツも花盛り。
一方で、まもなくセンター試験。
新聞には、私立大学の願書の申し込み方法や、
願書出願の広告が多く掲載されるようになりました。
いよいよ、本校もそうですが、入試の時期になりましたね。
ああ、また緊張の瞬間がくるなあ。

自分の半生記は、
このブログを書き連ねることで、
思い出されました。
その結果、この職業を選択したことが
間違いでなかったことを(当たり前ですが、)
確信した、現在です。

私は自分の自尊心を満たすことを最優先とし、
その後の就職のことよりも、
当時の自分の興味を鑑みて、
入試を受け、上京しました。
そして、当時の私は、
「コーチング・マインド」を有しており、
それを発揮したいと思っていたのです。

「コーチング・マインド」と言っても、
正しく言葉の定義をしたものではなく、単に、
「誰かに自分の方法を教えたい。
 自分が教えることで、他の人をレベルアップさせることができる。
 他の人をよりよくすることが、自分にとっても喜びである。」
といった精神性のことである。

おそらく、いまの受験生にも、
そういった、ある意味、「おめでたい」精神性を
持っている人もいるだろう。
これは決してバカにしているのではないが、
ちょっと冷ややかにされても、
それを貫ける心の強さが、現在の教員には求められているので、
そういった意味で書いてます。

「おめでたい」精神性で良いんだよ。
それが君(私)なんだから仕方ない。
「たかだか教員になるんだから、
 そんな難易度の高い大学に行く必要はない。
 地元の大学で、教員免許を取れば、
 あとは知り合いの議員に頼むから。」
と、近くの分け知った大人が、
安易な方法をウイスパーするかもしれないが、
そんなのは、面白くない。
もちろん、どこの大学を卒業していたってかまわない。
(最近の都市圏の保護者は高学歴の人も多いから、
 その人たちに負けじと、勉強を重ねることは、
 決して無駄ではない、と思うよ。)
も熱意と「コーチングマインド」さえあれば、それでいい。

最近は、教職は学生に魅力のある職種でない、と噂のようですが、
「なりたいなあ」と思っているひとは、なりましょう。
もちろん、ストレスは多いですが、
子どもの笑顔で、それが吹っ飛ぶときがあります。
嬉しくて、泣けるときもあります。
だから、教職志望の受験生の人も、スイッチを入れてください。
未来はいつだって、明るい。(ノ´▽`)ノ
ごぶさたしてます、マスター・ロベルトです。
師走もまもなく終わりますね。

12/26に補習を終えて、オフになりました。
やっと一息。
それでも補習で、驚愕の事実が。゚(T^T)゚。
本当に勉強してない生徒がいる。
中学受験は何だったのか。
いや、中学受験が悪いのか。

馬の耳に念仏、
糠に釘、
馬耳東風、
なんて言ったらよいのか。

「自分で考えない」生徒を目の当たりにした、このショック。
しばらく抜けそうにありません。
そういうわけで、このブログの継続も辛くなっているわけです。

どうしようかなあ。

話は変わって、
このブログでもたびたび取り上げてきた、
K.I.T.こと、金沢工業大学、
先日の朝日新聞朝刊に関連記事が掲載されていました。
「教育付加価値日本一を目指して」
とありました。

?「教育付加価値」とは?
まあ、いいです。
塾・予備校が一方的に決める難易度・偏差値に対して、
地方の工科大学が追求する、大学教育の本質とその内実。
学長のインタビューがほとんどでしたが、
その教育に対する熱意や創意工夫を聞くと、
こちらの心も熱くなります。
それにしても、地方の理工系大学とはいえ、
多くの教授や事務職員などの、
教職員全員が同じ方向で仕事をするなんて、
よっぽどのエネルギーがなければ、できないでしょう。
想像するだけでも、熱くなります。

つい最近まで、息子をエンジニアにしたくて、
どこの単科工科大学がいいか、
なんて検討していましたが、
ちょっとどうでもよくなりました。
それは、彼は彼の人生ですから。
僕にできることはありません。
僕もそうでした。親の期待に応えて、
いまがあるわけではありません。

それでも、この数週間、大学関連の記事を読んで、
一部の大学も、
学生募集・教育に熱心に取り組んでいることを知りました。
私たち教員も、大学名ばかりで進路指導しないで、
もっと内実にせまったアドヴァイスができるようにと、
あらためて考えました。

まもなく大学入試が本格的に始まります。
多くの受験生の夢が叶いますように。
良いお年を(*^o^*)/~
師走も残すところわずか。
ほんとに忙しいですね、師走。気を失いそうです。
いや、気を失った日もあります。
そうしているうちに、終業日。
忙しい原因の一つが、
長期休みの課題作り・補習の教材作りですから、
「冬休みなんて、正月の3ヶ日だけで十分だ!」
なんて叫んでみたくなりますが、
なには、ともあれ冬休みが来ます。

そういっているときに、
やっと、高校の新指導要領が発表になりました。
一番の驚きは、「複素数平面」の復活です。
たしかに、あのような行列の扱いでは、
関数と行列の融合問題(1次変換)の出題は難しく、
中途半端な印象はぬぐえませんでした。
それなら、複素数平面で回転変換などを扱った方が、
新しい計算体系を導入しなくてすむ、
と考えられるので、
高校3年間の限られた時間内での指導は可能でしょう。
それにしても、_。
数学の活用ということで、
「データの分析」「確率分布と統計的推測」の単元もありますね。
また、数学A、数学Bは、
以前のように4単元の中から2単元を選択するものとする、
という表現ではなくて、
「適時選択するのもとする」
という表現になっていました。
つまり、「進学校などで、可能ならば、全単元を指導せよ。」
ということか?

それにしても、
いよいよ、高校数学のカリキュラムは印象がかわるな。
「コア&オプションカリキュラム」+コンピュータ利用から、
ずいぶんと混乱したようなカリキュラムの変化にうつる。
「コア・オプ」から、前回の「3割削減」が失敗の始まりか?
そして今回は、
「数学の活用」「『確率』単元の充実」
か。個人的には、古典回帰を誓っている自分と別路線だから、
「ええ~」
と思う。
高校数学のア・ラ・カルト化が進むような印象を受ける。

生徒側からすると、
「で、この単元は、どういうこと?
 他の単元と、どういう関係になるの?」
となるまいか?
数学Aの「空間図形」って、どんな構成なのか?
はあ、3学期も忙しそうだ。
「博士の愛した数式」は映画よりも原作である小説の方が、
ロマンチックだと思っています。
もちろん、映画の主演の方などの魅力も素晴らしいのですが、
小説の最後の数ページは、涙があふれてきます。

「師走」とはよく言ったもので、
本当に倒れそうなくらい忙しいです。
「それでも、ブログ書く暇があるじゃないか!」
とツッコミが入りそうですが、
この「ブログを書く」という行為が、
私にとって、ストレス解消となっています。

どれくらい忙しいかというと、
気がつくと、水分も食事もとらないうちに、
放課後になっているくらい忙しいです。
でも、「忙しい」という字は「心」を「亡くす」と書くので、
「忙しい」と1つ言うたびに、心が荒んでいく、という話を
聞いたことがあるので、なるべく言わないようにしています。
とにかく、何も考えずに、
1つ1つのことを確実に誠実にこなしていけば、
この激務は通り過ぎていきます。
事実、もう激務の峠は過ぎました。

先日は、ノーベル賞の授賞式でした。
あのノーベル賞に輝いた、素粒子の話を聞くと、
心がドキドキするのは、
やはり物理学を志したことが時期があったからでしょう。
小林・益川両氏出身の名古屋大のゼミの映像が流れましたが、
ああいう光景はいいですね。
あらためて、理論の前に人は平等だな、と認識しました。

もう一度、自分が物理でなく数学を選んだことを思いだし、
自分の中の数学を、大事にすることを確認しました。
ちょうど、月刊「数学セミナー」が届きました。
いま自分が研究できて、後世にバトンを受け渡していける数学。

「自分の中の数学」
良い言葉だなあ。(///∇//)
自分の中の数学を探す旅。
冬になると、かつてヒットした曲が
クリスマスのイメージに合わせてテレビから流れてきます。
先日、ミーシャさんの「エブリシング」が流れてきました。
この曲は、フジテレビのドラマ「やまとなでしこ」の主題歌でした。

堤真一氏演じる、アメリカのMITの大学院を中退した、
現在は家業の魚屋を営みつつ、数学を諦めきれない人。
その純粋な人が、
松島菜々子さん演ずる、高飛車で合コン三昧の美人フライトアテンダントに
かつての恋人の面影を見て、思いをよせる、という設定でした。
紆余曲折して、
堤氏演ずる主人公は、アメリカで数学の仕事を得て、
松島菜々子さん演ずるヒロインはそれについてアメリカに渡るという、
ハッピーエンドで終わります。

今月の数学セミナーのあるエッセイで、
映画「容疑者Xの献身」で、
堤氏演ずる数学者が秀逸という評価をされてましたが、
それも当然で、堤氏は以前、数学者を演じていましたから。

私も職業柄、数学を生業とする人の映画・ドラマを見ますが、
「やまとなでしこ」はその中でもとても良かったと思います。

何が良かったかというのは、また後で。
師走のちょっと静かな日に、本校の数学科準備室で、
来るべき高校の新指導要領発表にむけて、
あらためて現カリキュラム・後期版の教科書の目次を、
パラパラと見ていた。ビックリした(@ ̄Д ̄@;)

ゆとり教育の徹底ということで、
「3割削減」という方針のもと実に多くの内容が
削減されていたはずだが、
後期版の教科書では、発展的内容として、
これまで教科書にあった内容以上のことが
盛り込まれている。たとえば、
三角形の面積の「ヘロンの公式」の、
四角形への拡張「ブラマグプタの公式」が掲載されている。

昨日の国際的数学・理科の学力調査TIMSSの発表を伝えるニュースでは、
「来年から、小中学校では『ゆとり教育』の方針は転換されます。」
と報道されていました。
文部科学省のチラシでは、「理念は変わりません」と書いてありますが、
事実上のゆとり教育の撤廃、体系的知識の指導という方針は、
世論も理解を示すことでしょう。

それでもビックリしたのは、この発展的な内容ではありません。
私たちが学んだ、
数学Ⅰ、基礎解析、代数・幾何、微分積分、確率・統計
シリーズの頃より内容が易しくなっていることです。
数学Ⅰ、数学Aの教科書は、なるほど、学び易い順に配列され、
しかも数学Aには、集合・命題・論証の節のあとに平面幾何が
掲載されています。ああ、平面幾何が必修になったのか、
と感慨深げに眺めました。

こういうのも、本校では、
数学Ⅰ・数学Aに盛り込まれている内容は本校独自の教材で、
教えているので、教科書が変わろうとも、普遍に教えてきました。
円に関する定理も、メネラウス・チェバの定理も、
中学生の幾何で教えています。
現カリが新カリだった頃見た教科書以来ですから、
あらためて19・20年度移行版の教科書を見ると、
ビックリした、というのが正直な感想です。

しかしながら、それ以前のカリキュラム「コア&オプション方式」
は大変評判が悪かったものの、当時、編纂に携わった大学の先生の話を
聞く機会がありました。その先生の悲願としては、
「高校生に平面幾何を教えたい。」
そして、
「数学Ⅰの最初にある、論証の基礎は、幾何をちゃんと教えてこそ、
 意味がある。現代化の名残のように、頭ごなしに、
 ああやって教えても、ほとんどの高校生は数学が嫌いになるだけだ。」
と言っていた。

私自身も、高校・数学Ⅰの教科書にあった、
「単射」とか「全射」とか、上への写像とか、
まったく意味がわからなかった。また使っていた教科書が、
○ャート式で有名な会社の、難しい版の方だったから、
なおさらたちが悪い。
「どうしてそうなるのか。」なんてことはさておいて、
「さあ、こうやって問題は解きますよ。」
の連続だったので、本当に数学の勉強には苦労した。
また、教科書傍用問題集が「クリアー」というやつで、
とにかく反復・反復し、計算力がついたが、
肝心の思考力はサッパリだった。
私が実習に行く頃には、サクシードに変わっていたので、
「そうだよな、こういう方が、できる子にはいいよな。」
と恨み節だった。
話は戻って、現代化の名残で、抽象的で頭ごなしで、
高校生の理解を無視した構成という印象だった高校数学の教科書も、
カラフルで、高校生の脳の成長・発達に沿った構成になっており、
「これなら、ゆとり教育のすべてが悪かったわけではないな。」
と思えていた。また、あの教授の悲願も、
20年近く経って、それが実現されていた。

「そうだよ、現代化カリキュラムと、
 その後の問題可決優先型カリキュラム、急ぎすぎていた。
 一次変換も微分方程式も、それはそれで学ぶと面白いが、
 あれはやはり大学で、『へぇ、そうなんだ』と学ぶ内容。
 日本型大学、つまり教育力が期待できない大学の先生方が、
 カリキュラム編纂の際に盛り込んだ、過度な内容が、
 大学で学ぶべき、線形代数や微分積分の威力・魅力を
 そいでいるところがあったのだ。」
とあらためて思った。

小平邦彦氏著作の「幾何への誘い」では、
微分積分は大学で始めて学んだ、と書いてあった気がする。
旧体制の高校・大学制度であったから、現在と区分が違うと思うが、
高校生に微積分を教えて、難しい問題を解かせていると、
「こんなことは大学に入ってから学ぶことだよな。」
と、微積分の楽しさを知って教師を志望した私でさえ、思う。

それよりも高校生には、ユークリッド幾何と、
図形と方程式(解析幾何)を教えればいいかな、と思う。
文系諸君に教えていると、
やはりベクトルは異世界のものを見るような顔をしている。
「便利なんだよ~。」
と絶叫しても、彼らは楽しめない。出現が、「ありえない」らしい。

微積分がいらないというものの、
あの面積の公式で、判別式やら解と係数の関係等を使うと、
「ほえっ~」
という顔を生徒はする。あれは、やはり数学という教材の魅力だ。
「ほら、世の中、うまくできているんだよ。」
なんて、こちらの自然観・数学観を擦り込んだりする。

話は戻って。
少子化社会になって、
バブルが崩壊して、着実な積み上げこそ、最もな美徳という
世間的な風潮が出てきて初めて、
社会が生き急ぐことを強いることなくなった、と感じている。
勉強も同じ。
学び急ぐ事なかれ。
中学生・高校生の成長・発達に即したカリキュラム・教科書であるべき。
まだまだ、「国際競争力」の名の下に、
学び急ぐことを強いる人たちは多いが、
それももうすぐ、マイナーになるだろう。

あとは大学の教育力。
今日、届いた数学セミナーに、
「読者の進める数学の本」という企画があり、
そのなかに数点、「18世紀の数学」とサブタイトルがついた本があった。
そう、そうなんだよ。
現代でなく、近代の数学を学ぶ必要があるんだよ。
おそらく、ちょっと数学が得意で数学科に入った学生のほとんどが
面食らう、現代数学。先に登場した、うちの大学の先生は、
「6割が理解不能で全体の3割が留年。
 大学の数学科は機能していない。」
とばっさり。そうだよ、俺も留年、退学しそうになったよ。
学び急ぐな、学生よ。学び急ぎを強いるな、教師よ('-^*)/
このブログの使命も終わった気がします。
タラタラと自身の学生時代を振り返ることが多かったですが、
おかげで当時、何を考えていたのか、
あらためて整理することができました。
仕事を得て、無我夢中で中高生にぶつかって、現在に至ります。
私生活も充実したモノになってきました。

学校での活動を報告のブログに切り換えようと、
これまでの記事で匿名性が保てなくなりそうなものを
非表示にしてきましたが、
ちょっとそれは難しいそうです。
というわけで、こちらは
「マスター・ロベルトの秘密の日記」
という感じで、日々考えることを、
ツラツラと書いていこうか、と考えてます。

ちょっと毎日書こうかと頑張っていましたが、
仕事関連のブログというのは難しいですね。
週一回程度にします。('-^*)/
今朝の新聞を見て驚いた。
朝日新聞の小見出しのトップは「農地借用、原則自由化へ。」

農家出身ながら、知らなかった「農地法」。
9月頃のTV番組「太田総理、秘書田中」で、
農地法の理念、「耕作者が農地を保有すべき」とする自作農主義。
それは家族で農業する形態を守るための法制度で1952年制定。
これが企業の、農業への参入を阻み、農家を守ってきた、という。

テレビに教えられた農家の現実。
「そうか、だから父親は、…。」
合点がいった。

来年度の通常国会に関連法案を提出と、
これまたテレビ番組のレギュラーだった、
石破農水省大臣(元防衛省大臣)が示した、という。

農地に資本がはいるかも知れない。
もしかしたら、農業に光が差すかも知れない。
農業にビジネスチャンスが生まれるかもしれない。

毎日、新聞は読む。
職場にある新聞各紙にも時間があれば目を通す。
ニュース番組も9時台、10時台、11時台、
民放各局のニュースを見るようにしている。
目当てはほとんどがスポーツで、あとは天気予報。
それでも、各局の報道姿勢とか、
取り上げるニュースの時間配分などで、
その局を評価したりしている。

最近は、テレビを見過ぎ、食事中も新聞を読んでいる。
もしかして、マスメディア中毒なのか?
とも、思ったりしている。

新聞を読む習慣がついたのは、やはり中学生くらいからか?
当時の担任(おばさんの数学教師)が、
天声人語を毎朝印刷し、黙読させることを強いた。
「社説を毎日読むと、読解力がつく。」
といった気がする。
同じ頃、大学受験生だった兄もそう言ってた気がする。
でも実は、僕が新聞を読もうと思ったのは、
父が毎朝、縁側でそうしていたから。
父も兄に、「もう少し、新聞読んだら!」と言われていた。
ちょっとした口論の後のことだった。
父はそれから、毎朝、新聞を読むようになった。
僕も、毎朝、プロ野球・巨人と他のチームのゲーム差を調べ、
また社説と余録(毎日新聞だった。実家はいまも毎日新聞)を、
読むことにした。
そのうち、JFL(JSL)の結果もチェックするようになった。

新聞読むのがエスカレートしたのは、
大学生活で、ひとり暮らしを始めるようになってからだと思う。
ひとり暮らしを始めて、新聞は取らなかった。
部屋にテレビもおかなかった。
だから、阪神淡路大震災も地下鉄サリン事件も、
リアルタイムで映像は見ていない。
毎朝、大学の図書館か、朝食を食べる場所で、
新聞をむさぼり読み、情報を仕入れた。
夕食を食べる定食屋で、それらのニュースを見て、
驚いて、箸を落とした。
僕のアパートは、
事件の起きた地下鉄は僕の下宿のそばの駅を通っていたからだ。

最近、妻が私のニュースメディア依存体質に気がついた。
同時に僕も気がついた。
いつも何かしらの新聞をバックに入れ、出かけてゆく。
朝風呂でも、夕方の入浴でも、新聞を持って入り、長湯をする。
もちろん、長湯(半身浴)は体に良く、
気持ちもリフレッシュされる。
そこで新聞を隅から隅まで読む。
それでもニュース番組を見る。
挙げ句の果てに、それを、このブログのネタにしている。

一方で、そこに費やしている時間のために、
十分な時間がないこともある。
それは数学の授業の予習、それから自分の勉強の時間である。
休日も気がつけば、半日は、新聞とニュース・ワイド番組で過ぎる。
そして1時間のブログ書き。
おいおい、いつ数学の問題を解いているのか。

だから、最近、やめようと思っている。
1つはニュース番組を見ること。
9時台のNHKのニュースを見れば十分か、と思う。
もう一つは、新聞を繰り返して読むこと。
広告である、新刊本の案内なんて、もうどうでもいいだろ、実際。
そう思いはじめている。
なかなかやめられないが。

それよりも、C・G活動の幾何の問題を解かねば。
数学セミナーを隅から隅まで読まねば。

農業に明るい光が差すかもしれない、このタイミングで、
ニュースメディア依存症を治し、数学に没頭しようかと、思っている。


農林中金が資産運用失敗でかなりの損失をしたとか。
○兆円とか。ヽ(`Д´)ノ

田舎では「農協」がすべて。
いまは「JA」というのか。
とにかく、子ども心に傍目で見ていて、
「農家」っていうのは儲からないな、
国の農業政策って当てにならないな、
「○協」の人って信用がおけないな、
って思ってました。

母親も私に言いましたが、
「農業以外の仕事に就け。まして長男じゃないから。」
長男であっても、どうだったか。

農林中金は農協が末端の金融機関のようです。
その一方で日本最大の機関投資家とか。
田舎を出て教師を目指す一方で、
「農業にたずさわって、なにか父や母を助けることができないか。」
と、心残りもあったのです。
以前教えた生徒が、日本最高学府に入学し、
「農家の人を助けたい。」
ということで農林中金か農水省かに就職したと思いますが、
元気にやっているかな?
あのとき、
「そうか、そういうふうに田舎の手助けができるのか。」
と一本とられた気がします。
いまや、僕は田舎には戻れません。

つい最近、法要で久しぶりに実家周辺の空気を吸いましたが、
辺りを見回しても、
僕が就職できそうな教育機関や受験産業はありそうもない。
この土地の人たちが屈託のない笑顔で暮らせるようにするには、
僕は間接的にしか働きかけができない。
教え子が志と優しさをもって、農業を支えること。
そういう生徒を育てること。

また総理大臣が失言をしたとか。
思えば、小泉元首相も酷い発言があったように思う。
総理のイスを投げ出した阿部氏・福田氏は論外。
「それでもみんな生きていく。」
わけだが、ニュース番組を見ている限り、
この国の庶民は浮かばれない。

みんなよく我慢している。
すばらしい政治家が世に出て、それを官僚機構が支えない限り、
笑顔の世紀は来ない気がする。

話が逸れました。(ノ_-。)
お休みなさい。
このブログを書くことで、自分の考えをまとめようとしています。
「またか。」と思われた人もいるかも知れませんが、
ご了承下さい。自分の半生を振り返ることで、
生徒の進路指導に役立てようと思っています。大学進学の話です。

先月の雑誌「東洋経済」の恒例企画らしい「本当に強い大学」
という記事は、やはり経済誌らしく、
学生の入学前・入学後の「成長」というパフォーマンスの変化のコストと、
また大学の財務状況という点で分析し、多様なランキングを示していた。

しかし日本の社会のそれが、
インプット&アウトプットばかりクローズアップするように、
その大学の教育や研究の内実は分析されることなく、
そればかりに終始していた印象であった。

同時期に発表された英国の、世界の大学ランキングでは、
日本の大学の序列は、
旧七帝大を軸に理工系で研究成果をあげているらしい大学が上位で、
雑誌の記事とは様相がまったく異なっていた。
雑誌で「年収ランキング首位」だった大学が、
社会科学系学部のみの大学であったことからか、
英国の評価機関ではそれほど高評価ではなかった。

職業柄、経済に詳しくはないが、
これだけ世界経済が話題になっているので、
理工系だけでなく、経済学も時代の最先端で果たす役割を大きいだろう、
と想像すると、社会科学系大学の評価が低くないか、とも思う。
したがって英国の評価機関のランキングも、
「そんなに正統的、あるいは権威的であると言えるのか?」
と考えるのである。

思うに、この手のランキングを気にしている人は、
①その大学に勤務している教職員②卒業生
が大勢で、
③入学を考えている受験生とその保護者
はそれほど気にしていないのではないだろうか?

③入学を考えている受験生が考えているのは、
入試難易度ランキングと、ちょっと先見性がある人は就職状況
ではないかと思う。

1月になればセンター試験があるが、
このセンター試験を入試として利用する大学が増えた昨今は、
各予備校が、偏差値あるいは難易度、あるいはセンター試験の得点率で、
すべての大学・学部を序列化する風潮が強い。
それは、実は昨今に限らず、私が大学生であった頃もそうだった。
まったく学ぶことが違うのに、難易度で序列化されるなんて、
「なんて理不尽な」と、当時も今も思っている。

しかしながら、国の戦略なのか、
「勉強をして、良い大学へ行って、良い企業に就職する。」
という企業「就社」中心の価値観を超克する価値観を、
現場の先生も、受験生はもちろんその保護者も持ち得ない状況では、
予備校という大学の難易度評価機関と、
企業とまたその一部のマスメディアという大学の就職状況評価機関の
記事くらいしか、参考になるモノはない。

しかしながら、近年の情報化社会では、
「卒業生の満足度」という評価も集めやすいようで、
上の2つの評価とはまったく異なる様相を見せる。
どこまで客観的な評価であるのかは難しいが、
ここで上位に位置する大学が、都心のマンモス大でないのは、
また別の観点を教えてくれる。
また、この手の評価は大学にも企業にも都合が悪いのか、
あまり流布されることはない。
それとも、卒業生の数が問題を大きくさせないのか。

例によって、まとまりがない内容になってきた(ノ_・。)
すいません。

また先日の新聞記事から知った、
「卒業生の満足度の高い大学no.1」の大学が見本としている、
レベラルアーツカレッジについて調べてみると、
なるほど、
郊外の単科大学あるいは小規模大学というイメージが想起される。
寮を完備し、キャンパス内で一日の生活が完結し、
またヴァケーションになれば、実家や避暑地に繰り出す、
アメリカの若者の姿がイメージされる。
また、入学は易しくとも卒業が難しいというアメリカの大学。
学期中はアルバイトもせず、ひたすら勉強しているとか。

日本の大学にいた自分自身を振り返っても、
「あれだけ入学前勉強したのだから、しばらく(大学1,2年の頃)は、
 勉強しなくても良いだろう。」
「バイクや車に乗りたい。人気の服も買いたい。
 デート代も稼がねば。」
と生活したところ、いまでも後悔している大学生活。
いまさらながら、アメリカの大学生を羨ましく思う。

今朝の朝日新聞にも、大学のあり方の論評が数点、掲載されていた。
少子化が現実となった昨今、どうして大学の新設が相次ぐのか?
一方で、貧しい国だったからか、それとも「小さな政府」の思想か、
なにがなんでも「受益者負担」で、
こどもの教育費の負担も大きいこの国。
大学が増えても、「全入」とはならず、
定員割れや財務状況が悪い大学もかなりあるという。
論者の中には、「大学再編」という言葉がすぐ出てくるが、
なんでも大局観ですべてリセットされるものでもないだろう。
それぞれの地域や大学設置者の思いや思惑があるので、
簡単にリセットというのはやめてほしい。この手の方には多い論である。
そう簡単に、折り合いは付かない。

教師として思う。
健康を損ねるほど勉強することはないし、
心を痛めるような価値観をすることはない。
自分の能力を伸ばすように勉強を重ね、
自分の能力と興味に応じた大学に進めばよい。
ただこちらで強要することはない。
保護者にも、いろいろな考えの方がいるだろう。
わが子ではない子に、自分の考えを押しつける気はない。
いや、わが子であっても、押しつけることはない。
自分の考えで、大学に進めばよい。
人生は長い。ある方向性は決まるが、
入った大学で人生のすべてが決まるわけではない。
運・不運だってある。
人によっては、大規模で都心にあり、
研究者養成といったような、比較的放任な大学の方が、
気兼ねが少なくて良いかも知れない。
人によっては、教職員と学生が1人1人、名前と顔が一致するような、
こじんまりとした大学で勉強に邁進できるような環境が良いこともある。
最近は、大学生を囲む環境も、あまり良くないので、
ともすると勉強の目的を見失いがちである。僕がそうだったように。
だから、とくにわが子には、
「それほど有名な大きい大学へ行くことばかりが、すべてではないよ。
 僕は自尊心を満たしたくて、そうしたし、
 有名大学へ行ったことで職を得たが、
 大学生時代に失ったもの、あるいは得られなかったものもある。
 偏差値以外に大学を選ぶ観点はある。
 おまえはどうしたい?お父さんが話を聞こうか。」
大学生になっても勉強してほしい。
見聞もひろげてほしいが、遊び呆けてばかりは、いけない。
確かな知識を身につけるように大学に行ってほしい。
そういう大学を見つけてほしい。
僕は、労は惜しまないから。