東日本大震災から9年が経ちました。


いつもこうしてブログに綴らせてもらっていますが、あの日私は日本にいませんでした。

実際の様子を知らずに、発信し続けていいのかと思い、去年の4月、思い立って仙台の被災地に行ってきました。


自分1人で知らない土地を周りきるのは無理だと思い、調べたところ、いろいろなサービスがあることを知りました。

その中で目に止まった、仙台中央タクシーさんの“語り部タクシー”にお願いしました。



タクシー1台を貸し切って、被災地を回っていただくというものでした。

私は2時間半のコースを。

当日は、仙台駅で担当してくださる女性ドライバーの佐藤さんと合流。
とても優しそうな、笑顔の素敵な方でした。


道中、実際に津波にのまれた時の様子を、とても丁寧にお話ししてくださいました。

穏やかな口調とは裏腹に、語っていただいたものは本当に想像を絶する世界でした。
ときおり厳しい口調になる佐藤さんを後部座席から見ながら、あの日の激しさや水の冷たさ、孤独感に苛まれながら救助を待つ途方もない時間…
お話だけでも、その時の風景が見て取れるようでした。

報道番組で頻繁に見たり、動画を見たり…
あの日どんなことが起きていたか知っていた気ではいましたが、実際に足を運び、こうしてお話しを聞くと
同じ日本で起こっていることなのに
知らないことがたくさんあって、まだまだ他人事で…そんな自分が恥ずかしいと感じました。

被災地は、思っていたものと全く違い、あの日のまま時間が止まった場所がたくさんありました。

無責任に言えば、“もっと復興している”と思っていました。

仙台駅は傷痕を全く感じさせないもので、だから、周りもそうなっているだろう…と。

荒浜地区周辺になると、瓦礫こそ撤去されているものの、そこだけあの日のまま、ポッカリ開いていて。
全てを一瞬にして掻っ攫っていく、津波の恐ろしさを肌で感じました。


ふと高く見上げたところに長い松の木があり、
この松は無事だったんですね。
そう言うと、「あそこに傷跡があるでしょう」そう言って佐藤さんが指さしました。

遠くて。見えないから、少し高さのある高台に登って松の木の横からその傷を見ました。

「ここまで津波が来たんですよ」

言葉が出ませんでした。




その傷は恐らく車や瓦礫で出来た傷痕で
こんな高さまで津波が…と身震いしました。
私たち人間じゃとてもじゃないけど太刀打ち出来ない。そう感じました。




その後、近くにある“閖上の記憶”と書かれてある場所に向かいました。



目の前にある文字が今にも浮き上がって肉声で聞こえてきそうな程
書かれてある言葉の想いやパワーに
言葉が出ず、息がうまくできませんでした。

リアリティがないけど、やはりこれは現実で
そこに事実が書かれているんだと思うと、歯を食いしばっても涙が出てきて
この方たちは、忘れてゆく人たちをどんな風に見ているんだろう?と思いました。







最後にお邪魔した荒浜小学校。

あの日のまま、でした。










あの子何してるんだろうねぇ…

遠い目をして話してくださった佐藤さんが忘れられません。

ある親子のお話し。

地震があったあの日、帰ってこない子供の事が心配で、津波が来る直前にお母さんはここの小学校に迎えに行ったそうです。

その途中、お母さんと妹さんさんは流されてしまった。と。


今では小学校の屋上に避難した女の子だけが生き残り、親戚に引き取られたのだと。

思いを馳せても馳せても
うまく言葉にできなくて、「そうなんですね…」としか言葉が出てきませんでした。






最後に見させていただいた海が

皮肉にもとっても穏やかで

平穏な日々の中に脅威は潜んでいると。





報道で流れるコメントの
“忘れないでほしいですね”という言葉がなんだか上っ面に聞こえてきてしまって、
他人事のまま、何も無かったようになってしまう人もいるのか…と、今年の3.11は素直にそう感じました。

私は、こうして毎年訪れるこの日を
起きたこと、実際に起こった現実を
自分に改めて知らせる。そういう日にしたいと思いました。


ブログを通して
またあの日のことについて考えるキッカケになれれば、幸いです。


被災された皆さまが元気に、幸せに過ごせますように。

亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。



増田有華