こんばんは
前回、不妊治療中のお話を書かせていただきました。
「胚盤胞2つ戻しの結果」の続きは後回しにして・・・・・
ここでは私のこと、少し深いとこまで紹介させて下さい。
まだこのブログの扱い方に慣れず、みにくい部分もあるかと思いますが、ご理解くださいませ。。。
私が中学に入学して直ぐ、GWでした。
家が火事になり、50%弱の火傷を負います。
炎の暑さと、姉の叫び声で目覚めました。
出口がない
ナント!火の中から母が現れ、私と姉を助け出してくれたのです。
母は、ほぼ100%の熱傷を負いましたが奇跡的に助かり、今も元気に生きております
もう76歳というのに去年まで、自分で仕事をしていました。
いまだに形成手術を繰り返し、見た目は若くしています。
勿論、かなりの傷跡です。
50年弱経過し、医学の発達と共に形成技術もかなり進化しました。
私もそこそこの傷跡があり、30歳までは形成手術で少しずつ傷跡を除去してきました。
母には感謝にしようがありません
そして、入院生活も長かったです。中学生活の1/4程は入院していました。
母は2週間、救命センターで三途の川を彷徨っていたと言います。
私と姉は小児観察室に運ばれましたが、当時姉が何処にいるのかは知りませんでした。
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とにかく耐えられないほどの処置の痛みにうなされていました。
熱傷した傷口から、手の骨が見えるんです。
そこを毎日たわしのようなもので洗って処置が始まります(>_<) (私の記憶ではタワシなんです)
数週間が経ち、腫れが引いたせいか、目が開くようになったのです。
横を向いた時、隣のベッドのステンレス部分に写るものがあるのですが・・・・それが自分の顔をだと理解した時はショックを受けました。
続く。。。
またまた中途半端ですが、長くなりそうなので、今日はここまでにしておきます。