イエス様の孤独な3年間の旅路
メシヤの道を自覚されたイエス様は、ご自分の孤独な事情が神様の御旨を成就する上で深刻な障害要因であることを一人で嘆いておられました。
メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の花嫁を迎えなければなりません。
天使長がアダムと兄妹のように育ったエバを偽りの愛で堕落させたことを根本的に復帰しなければならなかったのがイエス様でした。
したがって、アダムの代わりに神の子として来られたイエス様は、天使長の妹を妻として迎えなければなりませんでした。
それが、サガリヤの娘、洗礼者ヨハネの妹だったのです。
サタンの権勢が主としていた世界でこのことが成就するためには、絶対的な信仰で形成された保護期待がなければなりませんでした。
残念ながら、イエス様の周りでは、このような土台がすべて崩れてしまいました。
もしサガリヤとエリザベトが、神の啓示と霊的な恵みの下で最初に持っていた絶対的な信仰を持ち続けていたら、状況は変わっていたでしょう。
彼らが責任を果たしたなら、マリアは3ヶ月後にその家を出て行ったとしても、引き続き彼らと交わり、話し合ったはずです。
サガリヤの家庭は、イエス様の誕生後も、地上を代表して一番先頭に立ってメシアを保護し、礼拝し、証ししなければならない人々として神様が選ばれた家庭でした。
彼らはイエス様を神の子、メシアとして至極心から礼拝するだけでなく、イエス様を通して神の御旨を受け、絶対的に従ったはずです。
そして、イエス様のために生まれた洗礼者ヨハネだったので、彼が悔い改めた民がイエス様を信じて救われるように導く責任を果たしたはずです。
しかし、残念ながらサガリヤも、エリサベトも、洗礼者ヨハネも、イエス様を神の子として証言しただけで、仕えた実績は一つもありませんでした。
尊敬される祭司であったサガリヤが傍観し、洗礼者ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つことで、むしろイエス様の道をより困難にし、民が従うことができないようにしてしまいました。
ましてや、彼らが信仰を失い、人間的な考えに流されたとき、イエス様が望まれた花嫁を迎える仕事を手伝ったはずがないのです。
次に考えるべき点は、ヨセフとマリアの関係がイエスに与えた影響です。
マリアはエバとタマルを蕩減(償い)復帰しなければならない立場であったため、ヨセフとは婚約関係になければなりませんでした。
しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではあり得ませんでした。
ですから、彼らはイエス様が誕生するまではもちろん、その後も性的関係を結んではならないというのが神様の望みでした。
ヨセフはマリアに対して、イエス様の誕生後もずっと愛の心を持ち続けました。
マリアはヨセフと別れて、イエス様を神の子として育てたい気持ちだったでしょう。
しかし、現実はそれを簡単に許可しませんでした。
本心はダメだと言いながら、マリアはヨセフと性的関係を結ぶことになり、子供を持つことによって、罪と過ちを繰り返した結果になってしまいました。
サタンはこれを条件に彼らに侵入することになりました。
イエス一人を残して全てがサタンの管轄下に入った結果になってしまったのです。
イエスを守るべき父も、母も、アベル側の兄弟(洗礼者ヨハネとその兄弟)も、カイン(サタン的)側の兄弟(ヨセフの子供)も、全てサタンの味方になってしまいました。
人がサタンの侵入を受けると、すでに霊的に受けた恵みと感動を失います。
神に対する確信と感謝を失うことになります。
すべてを人間的に考えるようになります。
こうして、マリアまでがイエス様が望む結婚を助けられず、むしろ反対してしまったのです。
これが、イエス様が花嫁を迎えて真の父母になれず、十字架の道を歩まざるを得なくなった直接的な原因となったのです。
ガリラヤの婚宴でイエス様がマリアに「女よ、あなたと私に何の関係があるのですか」と言われたのも、
最も尊い摂理の要請であるイエス様の花嫁にふさわしい仕事をおろそかにして、遠い親戚の婚宴を手伝おうとしたマリアを叱責した心情が表出されたものです。
誰が私の母であり、私の弟なのか」と言われた言葉も、このような基準で理解しなければなりません。
イエス様も母マリア、サガリヤ、エリザベトから反対を受け、最後に洗礼者ヨハネからも反対を受け、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念せざるを得ませんでした。
新たに霊的な基盤を探し、再び復帰摂理をしようと出発されたのがイエス様の出家でした。
出家されたイエス様は行くところがありませんでした。
'キツネも巣穴があり、空中の鳥も居場所があるが、ただ人子は頭を置くところがない'と嘆きました。
家系の基盤を失ったイエス様は、それに代わる基盤を探しに出かけたのです。
これがイエス様の3年間の旅程でした。
平和経 - (008) - 救援摂理史の原理観