『余は如何にして基督信徒となりし乎』 余の回心は遅々として漸次に進行した | サムライ英語 with 韓国・中国語のすゝめ

『余は如何にして基督信徒となりし乎』 余の回心は遅々として漸次に進行した

内村鑑三著(原著 How I became a Christian)

わたしは内村鑑三の著作を通してキリスト者としても生き方を学びました。
少し説明させていただくと、内村は一高(現在の東大)で不敬事件を起こし干されてしまいます。

*不敬事件とは、明治天皇のご真影に対して内村は(敬礼はしたが)最敬礼をしなかったことで、教師の職を失います。これは、彼が日本を愛し、天皇を敬う気持ちを持っていたが、キリスト者として神以上に天皇に最敬礼をささげることはできないという気持ちからでした。

内村は日本から見捨てられたような中で、『代表的日本人』(原著 Japan and the Japanese)を著します。この時、日本は中国と日清戦争に突入していくときでした。英文で著された代表的日本人は世界中で読まれました。西郷隆盛や中江藤樹などを紹介しながら、キリスト教徒でなくても道徳的に豊かな人物を生んできたのが日本であるという日本紹介の本でした。

日本に見捨てられながら、内村は日本を見捨てなかった。これが、内村のキリスト教徒としての生き方でした。

この内村のキリスト信徒としての生き方は、けっしてすぐに確立したものではありませんでした。

札幌農学校の学生時代に洗礼を受け、その後不敬事件があり、内村は米国へ留学し、病院での慈善活動などを通して少しずつ信徒としての意味を感じていきます。

内村はこれをコルボルジョン(conversion)と呼んでいます。conversionとはまさに改心、改宗のことですが、改心・改宗の漢字では意味が伝わりません。漢字で表記するなら回心・回宗です。なぜなら、信仰とは角度の問題だからです。

わたしの生き方がどちらを向いているのか? 神の方に自分の向きを変えていくのが回心です。

それは、すぐに起こる奇跡のような事件ではありません。少しずつ自我の向きが変わっていく(変えさせられる)というプロセスを辿ります。