※本ブログは3度繰り返して読んでいただくと情報が有益なレベルにまで浸透します。

 

 

日々、瞑想を習慣化するメリットは直接的に現れるわけではない。料理を作るためにはキッチンに立つ必要があり、瞑想をしても料理はできない。お金を稼ぐためには仕事をする必要があり瞑想をしてもお金は入ってこない。アメブロを更新するためにはパソコンの前に座る必要がり、座禅を組んでも更新はなされない。

 

 

私たちは自分たちで直接的に何かをしていくことで日常を回しているのである。そしてこの直接性は必ずなんらかの間接的な行為によって補完されているということに気が付いた時に瞑想はその圧倒的な威力を私たちに供給してくれる技術になるのである。

 

 

料理は人の手によって作られるのでもっともわかりやすい。なぜなら同じラーメンでも、カレーでもたとえそれがチキンラーメンやボンカレーであっても違いがでるからだ。なぜなら素材は同じでもまさしく作り手となる人物が違うからである。この人物の違いは料理の作り方がうまいとか、下手という行動レベルでの違いではない。フランス料理になればそれには何工程も複雑さがあるので料理の仕方、という意味での技術力の差は大きく結果を変えることになるだろう。

 

 

しかしチキンラーメンという蓋を開けてお湯を注ぐだけの行為に味の違いが現れるのはなぜかといえば、作り手の技術が異なるのではなく、作り手の存在力が異なるからである。この存在力のことを波動が高いと言ったり、振動数が細やかと言ったり、オーラが強いとか綺麗と表現するのである。

 

 

この存在力というのは全ての行動の土台にして日常生活のすべての行為の根底に内在されている側面である。そして瞑想は直接的に具体的な行動を効率化することは決してしない。しかしもっとも根本である人間の存在基盤に対して直接的に働きかけるのである。

 

 

これは“汎用性”の観点から考えた場合、絶対的な有効性がある。お金があればなんでも買えるし、どこにでもいける。お金は物理次元において社会的にはとても汎用性の高いものだ。ところが、こと、次元が引き上がるともうお金は使えない。代表的な言い回しは「愛はお金で買えない」というものだ。なぜなら愛は物理次元にはどこを探しても見つからない。愛は非物質であり、物事の表面にではなく、奥行きにしか存在しえない類のものだからである。

 

 

そして、その愛を膨らませたり、思い遣りを育んだりすることはすべて、その行動のプロセスの中で「血の通った」と表現される温かみのある状態を必要とする。これは人間が一人ひとりが愛を必要としているがゆえに、必ずそれがその特定の行為に多いか、少ないかを敏感に感じ取るのだ。

 

 

これらは常に間接的に人間間でやり取りされるエッセンスなのである。だから数値化することはほぼできないし、それができないからこそ、数字の奥に数字でない情報を読み取れるような洞察を持って数字を扱うことをしてきていない人間はその奥行きの次元をごっそり削ってしまうのである。

 

 

私たちは常に直接的に目の前の仕事や家事に関わりながら、その背後で間接性に支えられている。この間接性の枯渇が死活問題だとわかってくると、目の前の外界のバランスを必死に取ろうとすることから、一歩意識を引いて、今一度間接性としての存在力そのものを再統合することにベクトルを方向修正ことが重要だと思い出すことができる。

 

 

具体的に大切にしたいものがある人ほど、瞑想をしてみてほしい。

 

 

 

 

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