熊のニュースを見るたび、
胸の奥が、きゅっと苦しくなる。
そんな感覚を抱えている人は、
きっと少なくないのだと思います。
危険だから、
人の暮らしを守るために、
駆除は必要だ。
そう言う人の気持ちも、わかる。
同時に、
熊が里に下り、
命を落とすたびに、
心が追いつかない人がいることも、
確かに、ここに在る。
どちらが正しい、
という話ではなくて。
その両方の気持ちが、
今の私たちの中に、
同時に存在している。
では、
そのあいだに立たされている
私たちに、
何かを
声高に主張することでもなく、
誰かを説得することでもなく
できること。
その一つが
”祈る”という静かな選択。
冬のお祈りの中では
熊もクジラも人も森も
「それぞれの場所で
安心して生きています。」
と、唱えています。
それは、
誰か(何か)の行動を
変えようとするわけでも、
現実を思い通りに
しようとするわけでもありません。
祈りは、熊に届くかもしれないし
そうでないかもしれない。
ただ、
この祈りを唱えたとき、
確かに、変わるものがある。
それは、
祈る人の内側です。
熊を、
「怖い存在」
「排除すべき存在」
として見ていた目が、
少しずつ、ほどけていく。
山や森を、
管理すべき対象ではなく、
共に生きる場として
感じ始める。
恐れや怒りの強い言葉に、
以前ほど、
飲み込まれなくなる。
その変化は、
とても小さく、
とても静かです。
けれど、
言葉や、行動や、
日々の選択を通して、
必ず外に、にじんでいく。
熊が里に下りてくる背景には、
森の環境の変化や、
食べ物の減少、
そして人間側の恐怖や警戒が、
複雑に重なっています。
この祈りは、
その現実を
否定するものではありません。
熊に何かを命じたり、
行動を変えさせようと
するものでもありません。
ただ、
人間側の内側に、
「安心」を少し増やす。
それだけ。
恐怖は、恐怖を呼び、
緊張は、緊張を広げます。
けれど、
安心は、
とても静かに、
広がっていく。
この祈りは、
熊を守るための祈りでも、
人間を守るための
祈りでもありません。
対立の構図から、
一度、降りるための祈りです。
熊も、
人も、
同じ地球の上で、
それぞれの場所を生きている。
そのイメージを、
もう一度、
人の内側に戻す。
それだけで、
世界のトーンは、
ほんの少し、変わる。
私は、
その静かな変化を、信じています。
もし、この祈りに
何かを感じるものがあったら
答えを出さなくていい。
正しく祈ろうとしなくていい。
ただ、
一緒に、
そっと祈ってみませんか。
このお祈りは、
特別な日を選ばなくていい祈り。
むしろ合うのは、こんな時。
眠る前。
森や山を歩いたあと。
ニュースや現実を見て、胸がざわついたとき。
何もできない自分を、責めそうになった夜。
理由はわからないけれど、ただ静かになりたいとき。
この祈りは、
「何かを起こすため」に
唱えるものではありません。
自分が、
無理に動かなくていい場所に
戻るためのもの。
だから、
うまく唱えられなくてもいいし、
途中で眠ってしまってもいいし、
言葉を飛ばしてもいい。
それでも、
ちゃんと成立しています。
熊も、
人も、
クジラも、
森も。
それぞれが、
安心して生きられる世界が、
よい形で、静かに、
実現していきますように。
とうとがなし
(奄美の感謝と祈りの言葉)
*冬のお祈りは、こちらから。
