プロフェッショナルはロックやで | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

今日も公人・マツモトは「プロフェッショナルな仕事をしよう」と心でブツブツつぶやきながら仕事に向き合った。

それは、冷静、沈着、明るく、困った人に寄り添うこと。一緒にジタバタする事。解決まで出来なくても一緒に右往左往することぐらいならできる。「ここにいる」という信号ぐらいならいつでも送れる。敷居を下げれるだけ下げて使い慣れた実用品のように気軽に活用できるツールになること。

結局、「プロフェッショナル」っていうのは決して「大物然」とした「敷居の高い」人の中からは生まれてこない。

政界の二階や麻生に安部、芸能の世界にも「敷居の高い」大物はたくさんいる。そいつらのエピソードなんて聞いていたらどれだけ畏れ多いスター気取りでいるかがよくわかる。腫れ物に触るように周りの人間がびくびくしながらご機嫌を伺い、わがままな大物のご機嫌損ねぬように気を遣いながら生きていく。そういう奴ってぼくの中では素人だ。

芸人がダウンタウンの松本を異様に怖がる、そのあり様はヤクザ世界のそれと何ら変わりない。

プロフェッショナルはそんな理不尽な状況の中には存在しない。そうでしょう、実用的でないものをプロとは言わないよねえ。

カッコだけつけて周りに異様な緊張感を強いる奴って単なるアホ。

プロフェッショナルはロックやで。

常軌を踏み外すぐらいの狂気と殺気が必要だ。

仕事であるとかないとか関係なく、そんなこと考える暇もなく、困った人がいたら色々考えずにその人のところへ行こう。

その人が抱えている問題を解決しに行くのではない。一緒にジタバタしに行くんだ。

それだけしに行くんだ。

プロの福祉実践家はロックやからね。計算などしない。

『こいつなにしとんねん』と世間に思われてなんぼの世界観を持ってないといい仕事はできない。

ロックやからね。