人は狂気に囲まれて正気のままではいられない | やせ我慢という美学

やせ我慢という美学

夢はきっと叶う ひとつだけきっと叶う
そのために何もかも失ってかまわない
それほどまでの夢なら叶う
一生にひとつだけ
夢はきっと叶う 命も力も愛も
明日でさえも引き換えにして きっと叶う

生き延びようとする本能が発露した結果、狂気の中に生き抜くことは自ら狂人になるか、逃げるしかない。

「結婚」を例にとるとわかりやすい。「似たもの夫婦」ってよく言うけれどそういうふうに擬態しないと生きてゆけないのだ。一緒にいて狂気を感じる瞬間てあるでしょ。結婚ってハラスメントの塊だ。その中に幸せを探すなんて至難の業。逃げるのが正解なんだと思うけれど、そんなに簡単に逃げられない。

もうすぐ結婚して37年になるけれど、なぜこんなところにいるんだろうとずっと思っている。

多くは語りたくはない。今憂鬱が支配している。

 

 

今年になってある保護者と電話で初めて話しした。要件を終えて「そしたら、よろしくお願いします」と〆の言葉を言った後、先方から「どうぞ良いお年を」って返ってきた。まだ今年は350日以上残っているが。

ご両親ともに軽い知的障がい。精いっぱいのあいさつだ。笑うどころかその邪気のなさに涙がこぼれそうになった。精いっぱい生きている人をどうして笑えるだろう。

去年はその人に「あけましておめでとうございます」と挨拶したら「ありがとうございます」と返ってきた。心はほっこりした。こんな人と一緒にいることの幸せを感じた。

善人に囲まれていると人は善人にしかなれない。