旧国鉄篠山線は、かつて兵庫県の篠山口駅から福住駅までの17.6kmを結んでいた鉄道路線である。開業は1944年の3月であり、先の大戦における終戦間近となる。
この路線が終戦前の逼迫した時期に造られた理由であるが、軍需物資であるマンガン等の運搬に使用する目的以外に、空襲を避けるために、山陰本線と福知山線のバイパス代わりにも考えられていたようだ。
結局、バイパス代わりの路線の建造は終戦には間に合わなかったようだ。
 
戦後は地域輸送の為に使われていたが、篠山市内から離れた位置に路線を引いたために客足が芳しくなく、1972年に全線が廃止されている。
 
この路線の特筆事項としては、昨年に訪れたことがある、国鉄有馬線が戦時下において不要不急路線として認定され、それらのレール等の鉄道設備が篠山線に移設されている。
 
それでは、旧国鉄篠山線の廃線めぐりは、現在のJR福知山線の篠山口駅からとなる。このあたりは、完全に整備されており、遺構は残っていないそうである。(地元の散歩しているかた談)
 
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国土地理院の古い地図によると、このあたりを通っていたようだ。痕跡は一切無い。
 
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廃線跡は、農道として活用されている。もしかしたら、圃場整備で若干ずれている可能性もある。
 
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このカーブ具合と、築堤の雰囲気から線路跡だと思われる。
 
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RC造のカルバート暗渠がある。こちらは鉄道由来の物と思われる。
 
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グーグルマップの航空写真を見ながら廃線跡と思われるところをトレースしていくと、やっとこさ廃線跡が証明される場所に出会った。小川を渡す橋梁であるが、よくみると2径間連続のRC橋梁であった。
 
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橋梁の上には線路が残されていた。田んぼの畦でタバコを吸いながら休憩されている方に話しかける。ここは、もともと線路は無かったが、イベントで線路を復活されたようである。
 
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それから先は、築堤と用水路を跨ぐ、RC橋梁が見られた。
 
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築堤だが、比高差が2m程度で標準的な構造だといえる。
 
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村雲駅跡に到着。こちらには、駅跡を明示する看板が飾ってあった。
 
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村雲駅から先は、まったく線路跡の痕跡が消滅していた。
終点である、福住駅へ到着。
 
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なかなかの寂れ具合であるが、非常に雰囲気を持った終着駅跡であった。
 
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国鉄篠山線跡であるが、あまり見るべき遺構は少なかった。しかし、廃線後47年が経過しても、その雰囲気はかろうじて残っており、想像力をかきたてることが出来る廃線跡であった。一度巡ってみてはいかがでしょうか。
 
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