我こそはエル・カンターレなどと口走ってしまったところで、既存のカルト団体はこいつらは敵に非ずと判断しただろう。大川と幸福にはどうしてもマンガ的要素を感じてしまう。いやマンガそのものなのだ。幸福の科学はそのマンガ的ステレオタイプを愛してやまない単純オツムの巣窟だ。
(続く)
《大川隆法かく語りき…灰から復活するNO5》
信者は絵に描いたような典型的な笑スピで、オウムの狂信者とよく重なる。教団幹部は高学歴を誇っているようだが、これもオウムと同じ。お勉強ができて優秀であることが、バカの溜まり場になってしまうという愚かさこそが、まさしく真正カルトの証みたいなものだ。
社会学者の橋爪大三郎氏は《まじめで知力の高い若者ほどカルトの教義に感染しやすい…》みたいなことをどこかに書いてあったが、《教義》と言うほどのものなどはない。幸福もオウムも統一も笑スピマンガ教団に過ぎない。それをサブカルチャーの産物などといったのでは褒めすぎだ。
物事をステレオタイプに落とし込み理解し覚え込むという、マンガ脳ばかり鍛えたものが優秀な学生とされる。それが《知力の高い若者》の正体なのだ。オツムが水素より軽い笑スピさんの脳みそと、まったく同じ構造だ。だから同じ場所…バカの巣窟に転がり込んでしまう。
大川の探索は興味はあるが今一つやる気になれない。大川の泣き声…と決まったわけではないが、それだけが何なのか気になった。他にこれといったターゲットもないのでやってみるか程度だった。PCを切って、オーディオからヘミシンクのメディテーションをBGMとして流しておいた。
とりあえず音で雰囲気だけつくったが、部屋の灯りはつけっぱなしで、ドアも開け放したままだった。机の前に座ってすぐに始めた。どうせ何もないだろうと思い、さっさと終わりにしたかった。そして今取り組んでいる、新しい瞑想テーマに切り替えようと考えていた。
しかし目を閉じるともうすでに何事かが始まっていた。すぐに向こうの世界の私の声が聞こえてきたのだ。《大川さ~ん、泣いてんの~?……》私はこのフレーズをまるで呪文のように繰り返していた。周りは暗黒で何も見えていなかった。
《大川さん、どうして死んだの?》
《それとも死んだつもり~?》
《死体焼かれたそうですよ》
《知ってますか?》
《戻ってきても体ないよ》
《殺されたんですか?》
《きっと証拠隠滅ですよ》
《それとも殺されたことも》
《わからなかった?》
ここにいる私は大川はまだ死んでいないと思っているようなのだ。それを前提にして喋っているということが私にはわかった。
《これであんたの死の真相は》
《永遠の謎ですね》
《灰から復活できればいいけどね》
《あんたには無理だ》
(続く)
マサト