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流山市議

戦争法反対の駅頭活動をしていると、「中国はどうする?」と聞いてくる人がいる。戦争法を採決されてしまった根本原因は、結局はここにある。安倍晋三の最大の拠り所は、彼自身が意識的に煽ってきた中国脅威論だ。

中国脅威論の本質は「力には力を」の論理
中国の強大化と軍拡推進は事実である。しかしその軍拡の動機は、先発の経済軍事大国である米国そして日本に対抗して、新興の大国としての権益を追求し拡大しようというものであり、日本や米国は紳士的で中国が乱暴者というわけではない。

中国は遅れて国民経済発展を成し遂げ、ようやく日本を追い越し、米国にも迫ろうという段階まできたのだが、既得権益を守ろうとする米国や日本が牽制を加えている構図だ。日本の支配層の中でも安倍晋三はとりわけ、中国への対抗心が旺盛で、劣等感とも優越意識ともつかぬ立場から、反中国の政策を推し進めてきた。中国の経済軍事大国としてのめざましい台頭に対して、日本自身も更なる軍拡を、米国との軍事同盟の強化を、そして戦争が出来る国内体制づくりを、と突っ走っている。

この悪循環にどう対抗し、この構図をどう崩していくべきなのか。戦争法を使わせず、廃止に追い込んでいくための市民の闘いは、このことへの答えを持たない限りとうてい勝ち目は無い。

「力には力を」の論理の背景には、利権や権益をめぐる争いがある。資源や商品市場や金融覇権、そして何よりも民衆への支配力を、どの国の支配層が手中に収めるかという利害争奪があり、それを確実なものにするため外交覇権、軍事覇権が追求されている。

 かつてなら列強の独占資本による市場分割・再分割・ブロック化の闘争をいうことだが、現在はかつてとは比較にならないほど高度に発展した生産力の故に、世界市場をどの国の支配層が一手におさめるか、ないしは主導しつつ牛耳るかの争いとなっている。

中国は米国に対して、世界を中・米の2国で別け合おう、分割支配しようと持ちかけているが、米国支配層は「10年(30年)早いわ!」と拒絶し、米国の専一支配にこだわり、日本などを従えてそれを追求している。そこから、中・日・米の間の外交上、軍事上のあらゆる問題が発生している。

連帯し自国の軍拡勢力と闘おう!
では、「力には力を」ではない、他の解決法はあるのか。それは、ある。あるだけでなく、これこそが、「力には力を」のえせリアリズムに対する本当のリアリズムに立った方途だ。

それは第1に、日本や米国や中国のそれぞれの国内において、働く者や市民が政治への影響力を強め、自国の覇権主義的外交・軍拡政策を押さえつけ、発動させない力を大きく形成していくことだ。それぞれの国の民衆が、敵は海の向こうではなく「国内にいる」ことをしっかりと理解して、自国の支配層に対する牽制力と規制力を高めていくことだ。この闘いは、当然に諸国のとりわけ日本と中国の民衆の連帯と共同の追求、そしてそれに基づく闘いにならざるを得ない。日中の民衆は相互の連帯を切実に求めており、その試みはすでに開始されている。

第2には、それぞれの国の民衆が、それぞれの国の社会経済の仕組みを変えていく闘いを発展させることだ。それは、各国において、利潤のための経済活動と、その活動を後押ししている既成政治を後退させ、人々の福祉と生活の向上のための新たな経済活動と、それを創りだしていくための新しい政治の力を発展させていくことだ。これは、中長期の展望に立つ闘いだが、しかしこれがあればこそ、当面の、目の前の闘いの意味も正しく理解され、背骨の入った力強いものとなり得る。

こうした闘いの前進が実現されないならば、この利潤動機の経済システムはますます矛盾と混乱を深め、人々に対する災厄の大きな震源となっていかざるを得ない。

資本の強欲は、格差と貧困を耐えがたいまでに深刻化させ、利権や権益をめぐる争いは破壊と殺戮を繰り返し発生させ、自然環境の破壊は不可逆的な段階にまで達しようとしている。これらは、ヒトが本来持って生まれた、社会の一員として調和と友好を愛し、人の役に立つことを尊び、自然の懐に抱かれることで健康に過ごし、その中でこそ幸福を感じるという本性と端的に対立するものだ。この対立の程度が、かくも著しく高まり、飽和点に達してしまった以上、私たちは社会変革の闘いを前進させることに、生き残りの道を求めるというリアリズムに立つしかない。