
参議院の強行採決に抗議する人々
★はじめに
9月17日の参議院安保特別委員会での「採決」の場面、テレビで視た多くの人々から「あのように委員長席周辺が騒然とし、委員長の議事進行の声を自席で委員が聴き取れない状況で、5件もの採決がされたとは信じられない」という声が上がっている。
誰が見ても「採決」とは言えない。このような余りに理不尽な状況が既成事実としてまかり通るのを見過ごすことはできない。
さっそく、インターネット署名(「議決がなかったことの確認と審議続行を求める」内容)が全国に呼び掛けられ、署名開始から5日間で3万2千筆を超えた。
ここで今回の安保法成立の流れを整理して、安倍政権と米国がどんなやりとりをしていたのか?それを明らかにしたい。
★安保法成立までの流れ
・2010年・・米軍「エアシーバトル」の登場。
「エアシーバトル」とは米軍が今後採用する空海軍の一体運用構想のことである。
これは2010 年の「4年毎の国防計画見直し」(QDR:Quadrennial Defense Review) で初めて登場した。
アメリカの戦略は中国に長期戦で勝利する戦略で、沖縄の米軍基地や岩国、横田、三 沢などの在日米軍基地も中国からミサイル攻撃されると想定。第一段階は空軍機を中 国のミサイル圏外に退避させて、中国の先制攻撃に耐える。第二段階は、制空権を拡 大して琉球列島ラインをバリアに主導権を奪回し、維持する作戦。
これでは、まるで「沖縄戦の再来」ではないのか?
・2012年・・「アーミテージ・ナイ報告書」。
アーミテージ元国務福長官やナイ元国防次官補らの「ジャパン・ハンドラー」が、日 本に安保法の制定を求めていた。報告書は日本に米国との同盟強化を迫り、日本が集 団的自衛権を行使できないことを「日米同盟の障害となっている」と述べている。
・2012年7月・・統合幕僚監部防衛計画部の内部資料「日米の『動的防衛協力』に ついて」の中で、キャンプ・シュワブに普通科中隊(約150人前後)、ハンセンに 普通科連隊(約600人規模)の緊急展開部隊を常駐させる方針が示されていた。
・2013年12月・・「国家安全保障会議」(日本版NSC)の発足。「特定秘密保護 法」(米国との機密共有)の成立。
・2014年4月・・「防衛装備移転三原則」(武器輸出を事実上解禁)の閣議決定。
・2014年12月・・国会でも大問題になった「河野克俊統合幕僚長」の訪米問題。 ダンフォード米海兵隊総司令官と会談し、米海兵隊と陸上自衛隊との共同訓練の強化、 米軍専用施設・区域の共同使用などを確認したと言う。
・2015年4月・・「新ガイドライン」(日米防衛協力指針)では、「自衛隊と米軍の 相互運用性を拡大し、柔軟性を向上させるため施設・区域の共同使用を強化する」と 明記された。
・2015年4月・・安倍首相は訪米し「夏までに安保法制を成立させる」と約束。
・2015年5月・・「安保関連法案」を閣議決定。
・ 〃 7月16日・・「安保法案」衆議院通過。
・ 〃 8月12日・・うるま沖の「米軍へり墜落事故」で自衛隊員2名(陸自中 央即応集団「特殊作戦群」の隊員)が負傷する。
・ 〃 9月18日・・「安保法案」成立。
以上、見てきたように安倍首相がまだ国内で「安保法案」を提出していない段階で、米国からの要求や統合幕僚長の訪米で「安保法案」の内容をほぼ確認していた。特に問題なのは、安倍首相が訪米して、「夏までに安保法案ほ成立させる」と約束していたことだ。
この事を、内田樹氏は次のように述べている。
「これほど否定的条件が整いながら、あえて安倍内閣が法案の成立にこだわった合理的な理由は一つしかない。4月の米議会で『この夏までに、成就させます』と誓言したからである。・・・なぜか。それは日本が米国の政治的属国だからである。」「戦勝国が『押しつけた』憲法9条を空洞化し、『戦争ができる国』になるためには戦勝国の許可が要るのだ。・・・安倍首相はその誓言を履行した。かつて韓国の李承晩、ベトナムのゴ・ジン・ジエム、インドネシアのスハルト、フィリピンのマルコスを迎えた『開発独裁の殿堂』入りを、安倍首相は果たしたのである。」(9月18日付、琉球新報より)
このように「安保法」成立前から、政府や新軍部(自衛隊制服組)は米国と「集団的自衛権の行使」を事前確認していたと言える。(E)
