豊下 楢彦氏著 岩波書店刊 二五九二円 二0一五年七月刊行


 本書は、憲法改正、東京裁判そして安保条約という日本の戦後体制の形成過程に、天皇がいかに主体的かつ主導的に関与してきたかを、『昭和天皇実録』を駆使して抉り出す。

 二0一四年九月に公表された『昭和天皇実録』は、編集に着手して以来、二十余年の歳月を掛けて纏め上げられた全六十一巻の浩瀚な資料の宝庫である。

 当然のことながらそれらの資料は、前提として「昭和天皇の生涯を顕彰する性格」を持つ物ではあるが、何よりも重要なのは豊下氏が指摘する様に「一日一日の昭和天皇の行動を記述するにあたって、……数多くの出典資料が挙げられている」ことである。つまり『実録』編集者は、それらの資料にあたった上で「練りに練ってある選択を行い記述している」と豊下氏は認識し、そうであれば「なぜこの記述が記され」「なぜ別の記述ではなかったのか」とその問題意識を掘り下げていくと、そこに新たな「発見」があると指摘する。

 すなわち豊下氏は『実録』の重要性は読み解く側の姿勢に係っており、その意味において実に豊富な材料を提供していると指摘する。ご存じのように豊下氏は、『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』等を始めに数々の充分に説得的な「仮説」を読者に提起してきた。したがって本書はまさに『実録』の出版に関連して書かれるべき著作であった。

 豊下氏自身、「本書は、こうした『実録』を文字通り駆使してまとめあげられたものであり、その結果として、かねて提起してきた筆者の「仮説」に裏付けが与えられたと考えるもの」との自信を披瀝している。現代政治の研究者としては何という幸運であろうか。

 それでは、〈憲法・安保体制にいたる道〉の追求過程でもある本書の目次を紹介する。
 序 『昭和天皇実録』の衝撃
 第Ⅰ部 昭和天皇の〈第一の危機〉――天皇制の廃止と戦犯訴追
 第一章 「憲法改正」問題
  1 「天皇の事業」としての憲法改正
  2 マッカーサーへの「謝意」
  3 なぜマッカーサーは急いだのか
 第二章 「東京裁判」問題
  1 天皇への「叛逆者」
  2 「勝者の裁判」の先例
  3 英語版「独白録」のゆくえ
  4 対立する弁護の論理
 第三章 「全責任発言」の位置づけ
  1 「史実」となったマッカーサーの回想
  2 「東条非難」の筋立て
  3 円滑な占領遂行
 第Ⅱ部 昭和天皇の〈第二の危機〉――共産主義の脅威
 第一章 転換点としての一九四七年
  1 「天皇制打倒」の脅威
  2 「米国のイニシアティブ」を求めて
  3 なぜ「沖縄メッセージ」なのか
  4 「領土は如何でもよい」
  5 「芦田メモ」と昭和天皇
 第二章 昭和天皇の「二つのメッセージ」
  1 マッカーサーの「極東のスイス」論
  2 池田勇人蔵相の「拝謁」
  3 天皇の「口頭メッセージ」
  4 天皇の「文書メッセージ」
 第三章 「安保国体」の成立
  1 日本側の準備作業
  2 米国の「根本方針」
  3 「非公式チャネル」の展開
  4 吉田茂首相の「全権固辞」
  5 天皇の「大義への貢献」
 第四章 立憲主義と昭和天皇
  1 内乱への恐怖
  2 天皇の「行動原理」とは何か
  3 なぜ「退位」できなかったのか
 第Ⅲ部 〈憲法・安保体制〉のゆくえ――戦後日本の岐路に立って
 第一章 昭和天皇と〈憲法・安保体制〉
  1 昭和天皇の憲法認識
  2 昭和天皇の歴史認識
 第二章 岐路に立つ戦後日本
  1 「戦後レジームからの脱却」
  2 「東京裁判史観」をめぐる相剋
  3 歴史認識問題の機転
 第三章 明仁天皇の立ち位置
  1 「歴史の風化」に抗して
  2 新憲法と日本の伝統
  3 明仁天皇の歴史観
  4 あるべき日本の立脚点
 あとがき
 主要参考文献

 本書の目次を子細にみれば、敗戦により天皇制存続の危機に直面した昭和天皇がいかにその危機を打開しようと、どのような行動に出たのかが、また折から冷戦が深刻化していく中で、昭和天皇は何を考え、いかなる外交を展開したのかが、実によく分かる展開となっている。そこでの天皇は憲法下で規定された国事行為のみを行う「一見芒洋とした」天皇ではなく、国家の統括を行う実に主体的かつ主導的な君主然とした昭和天皇像である。

 三百頁を越す大著なので、とても全面的な論評は出来ないが、大筋は以下である。
 戦後70周年である現在も、日本は〈憲法・安保体制〉下の属国状態にある。一体なぜなのであろうか。その答えが、本書では実に克明かつ説得的に解明されている。

 いまだに「歴史認識」問題を日本が引きずるのは、昭和天皇が「全責任は私にある」と言ったとの「神話」とは全く裏腹に、戦争責任もとらず退位もせずにまた正式に世界に謝罪や反省をすることもなく、従って戦前と戦後とに明確な一線を画す事なく、米軍に継続占領を依頼したことに端を発する。

 そしてマッカーサーとダレスがこの昭和天皇の申し出を了承した結果、国体と安保、九条と米軍という対抗軸が、米軍の恩恵という論理で併存してしまう事態となったためだ。日中戦争の推進派だった吉田茂は、後年「対米独立」派だと「神話」化されたが、その内実はといえばさんざん安保交渉から「全権固辞」で逃避し続けた挙げ句、昭和天皇から引導を渡されるや米軍に安全保障を任せるとの天皇の対米従属路線に追随したのであった。

 昭和天皇の行動原理は皇統を守り抜くの一点であり、専制君主として戦前は勿論、戦後も最高権力者然として振る舞った昭和天皇であった。しかし2・26事件以降軍部クーデターを常に恐れ大東亜戦争に反対しなかったために、結局310万人の日本人が犠牲になった。現在でも戦後日本には政治的責任をとるべき政治的中枢が欠落しており、端的に表現すれば、戦後日本の体制とは在日米軍に守られる天皇とその官僚主導体制なのである。

 昭和天皇の公然たる「違憲」の戦後外交は、以下のようなものであった。
 昭和天皇の自発的な意向で行われた沖縄処分(本土と沖縄の構造的差別)も元を辿れば、重光へ在日米軍撤退反対の指示を出し従米安保体制(米占領軍による巧妙な日本統治の占領体制の継続)を構築することにあった。このように米軍の日本占領に協力することで、東京裁判を免れ、忠臣東条に全責任を負わせ(米側が東条に証言を指示)、日本国憲法(天皇が保証する民主政治体制)では天皇制(国体)を温存させたのである。
 皇統護持のみが頭にあった昭和天皇は、広島や長崎原爆に就いては「やむを得ない」と何の呵責もなく発言できた。さらに朝鮮戦争では米軍のリッジウェイに原爆使用を催促し、対中ソ包囲網や価値観外交を米側に提案した。つまり昭和天皇には、違憲か否か、戦争か平和か、主権か沖縄かではなく、皇統の護持がすべてだったのである。

 これが乃木希典や杉浦重剛らから受けた「日本とは天皇である」との強烈な帝王学に忠実だった昭和天皇の、戦前、戦中、戦後を貫く一貫した論理だったのである。

 これらはすべて敗戦国の元首としては、全く類を見ない歴史的事例であり、「天皇外交」として豊下氏により新旧資料を基にした検証作業によりすべて具体的に論証されている。
 その意味において、本書の存在意義は極めて大きいものがある。本書の真価とその具体的検証の過程は、ぜひ自分の目で確かめていただきたいと私は考えるのである。

 ついでに明仁天皇と安倍総理の立場が違うこと、それはなぜかを書いておこう。

 まず昭和天皇及び皇族は、占領軍の日本占領に協力する代償に、天皇制を日本国憲法に維持できたので、それだけでも連合軍に心から感謝した。現憲法が占領憲法だから改正するとの安倍総理とは、立場が正反対なのである。
 現憲法に改正された時、天皇はマッカーサーに対し、今回成立する憲法により民主的新日本建設の基礎が確立された旨の御認識を示され、憲法改正に際しての最高司令官の指導に感謝の意を示したのである。このことは第一章に詳しく書かれている。

 昭和天皇は、東条非難をイギリス国王や米国紙等において行い、全責任を東条に押し付け、東京裁判を免訴された。これに関わって天皇には、この裁判のための日本語版と英語版の「告白録」があり、そして連合軍に東京裁判についても謝意を表明していた。これまた安倍総理とは、正反対なのである。これについては、第三章に詳しく書かれている。

 具体的には、昭和天皇は戦争裁判(東京裁判)に対して貴司令官が執られた態度につき、この機会に謝意を表明したいと発言している。
 これに関連して昭和天皇は、一九七八年に元宮内大臣の松平慶民の息子永芳が、靖国神社の宮司として戦犯を、日本精神復興のために東京裁判を否定するという主旨で合祀した際に、これを厳しく非難し、以降天皇家は今に至るも参拝を拒否し続けているのだ。

皇統継続の強い意思をもった昭和天皇は、結局の所、米軍占領体制の継続となる安保体制(戦後対米隷属体制)の構築者した張本人である。すなわち昭和天皇は、日本側から米軍の継続占領を要請し、最終的にマッカーサー元帥もダレスもこの案にのり、そのために沖縄処分がなされたのである。


当初は五分五分の論理での対等な日米(駐留)協定の交渉は、昭和天皇が占領継続を熱望した為に、早々に頓挫し米軍の占領が事もあろうに米軍の恩恵という形で交渉に入り、結果、全負担が日本に強いられることになり、現在に至る。

 すなわち昭和天皇にとって、〈憲法・安保体制〉とは米軍占領継続であり、天皇制護持の手段だったのである。つまり憲法も九条も、天皇制護持と一体のものなのである。
 この時、ダレス特使は、日米二国間協定について、日本の要請に基づき米国軍隊は日本とその周辺に駐留するであろうと述べた。この説明に応えて、皇帝(昭和天皇)は全面的な同意を表明した。(『米国対外関係文書一九五一年・六巻』)
 一九七五年、外国人特派員から日本が再び軍国主義の道を歩む可能性があるとお考えですかと問われた昭和天皇は、「いいえ。私はその可能性については、全く懸念していません。それは憲法で禁じられているからです」と答えている。明仁天皇はこの立場にある。

 結局の所、明仁天皇とその一家の保守の立場とは、反軍国主義、九条及び日本国憲法擁護、ポツダム宣言に基づく東京裁判承認、靖国合祀問題反対なのであり、右派を自称する安倍総理ら日本会議一派の立場とは対局にあるのである。

 豊下氏は、安倍氏ら日本会議について、本書で以下のように記述している。
「歴史的にみれば安倍政権の成立は、東京裁判とサンフランシスコ講和条約に基づいて構築されてきた戦後秩序を否定する論理と心情を孕み、しかも相当の大衆的基盤をもった政権が、戦後初めて誕生したことを意味する」「こうした安倍政権のスタンスは、米国をジレンマに直面させている」
 このジレンマとは、「米国がかねて求めてきた集団的自衛権の行使を積極的に進めようとする政治勢力が、同時に戦後秩序を否定する勢力に他ならない」というものである。
 かくして日本は戦後最大の岐路に立っている。しかもそこで問われていることは、豊下氏が提起するように「一九三○年代から終戦までの間」の時代をいかに総括するか、ということなのである。
 私もこの提起には全面的に賛成する。また九月十九日に安保法案が強行採決されてしまったが、多くの人々は憲法九条を守る立場から闘った。しかし私たちは、戦前と戦後確立してきた〈憲法・安保体制〉について、今こそ豊下氏の著作に学ぶ必要があるだろう。

 今後について、豊下氏は「国際社会の有効と平和、人類の福祉と繁栄に寄与する」との明仁天皇の立ち位置を立脚点としつつ、「今後の日本が進むべき道を具体的に展望していくことは、我々がなすべき主体的な課題に他ならない」としている。しかしこの点については、私は日本社会に天皇は必要なしとの観点からとても賛成できない。
 既に述べたように豊下氏は『安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―』等を始めに数々の説得的な「仮説」を読者に提供してきたが、その「仮説」がまさに『昭和天皇実録』の出版により、事実として確定した。
 さて前号の読書室では、矢部宏治氏の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を取り上げた。その本の「PART3 安保村の謎(1)」では、昭和天皇と日本国憲法、国連憲章と第2次大戦後の世界、自発的隷従とその歴史的起源といった重たいテーマについての分析がなされている。
 私自身、矢部氏の論証の緻密さに圧倒され、従来から知りたかった事が明確に述べられていることに驚かされた。そして天皇の「人間宣言」も「日本国憲法草案」も最初は英文であった事の秘密が、矢部氏によって徹底解明されている。その核心は「天皇+米軍」が戦後日本の国家権力構造になった事にある。つまり天皇と米国による「アメリカの占領政策=日本の国家再生計画」という共同プロジェクトを進めることでもあったのだ。そして日米合同委員会とはそのための組織のである。この会議は月二回の定例で行われている。
 本書は、その包括的な内容により矢部氏の結論を補強し、ある意味において豊下氏の現代政治史論の総決算書とでも形容できる、大変に優れた学ぶに値する著作である。(直木)
{強調部分はブログ管理人によるものです。}