「ワーカーズ9/15号」より転載
世界に拡がる反戦平和の闘い
戦争法案が最後の山場にさしかかっている。安倍政権は、とってつけたような国会答弁や院外で繰り返される妄言にみられるように、傲慢で支離滅裂な対応しかできない。にもかかわらず、過半数を持つ議席を唯一の武器として強行採決を図ろうとしている。
私たちは世論でも多数を占める反対の声を背に、安倍政権の暴走を強く糾弾するとともに、闘い抜く決意を固めるだけである。(9月10日)
◆強行採決?
安倍政権は、本号が読者の手元に届く直後の16日にも、参院特別委員会での強行採決で戦争法案を成立させようとしている。
その戦争法案は、〝限定的であれば行使出来る〟と、歴代自民党政権などがこれまで〝保持はしているが行使できない〟としてきた集団的自衛権の行使を、180度ひっくり返した。要は、存立危機事態や重要影響事態など、時の政府がどうにでも解釈できる概念をひねり出し、武力行使──戦争への道を大きく拡げたいということなのだ。現に政府は、「最後は政府が総合的に判断する」と言っているように、武力行使を政府に白紙委任するような代物に他ならない。この法案が通れば、再び〝政府による戦争〟や〝国策の過ち〟が繰り返される土俵がつくられることになる。
また、自衛隊法改定などによって,戦闘行動を実施している米軍への後方支援などもこれまで以上に拡大した。PKO協力法改正案では、自衛隊員の武器使用の緩和や、駆けつけ警護を可能にするなど、戦闘行為を前提とした法改正も強行しようとしている。
国会審議をはじめとして、この間の国民的な関心と議論の高まりのなかで、多くの人々は、この法案が日本を戦争が出来る、戦争をする国にしようとしているのではないかと、安倍政権の本音を見透かしている。
その政権不信や怒りが、国会をとりまく大規模な集会やデモ、全国に拡がる反対の声と行動、あるいは各界から発せられている決議や声明などとして、連綿と吹き出している。
その怒りを結集し、強行採決を目論む安倍政権にノーの声を突きつけていく以外にない。
◆戦争をする国
私たちがこれまでも訴えてきたように、今回の戦争法案の問題点は二つある。
一つは日本を武力行使──戦争が出来る国へと大転換させようとする軍事優先主義の野望だ。
戦後日本の圧倒的多数の国民は、あの敗戦を教訓として非戦・平和国家としての再出発を誓い、戦争を放棄し戦力も持たないという憲法を受け入れ、〝平和国家〟としての道を歩んできた。
しかし朝鮮戦争以降の米国の世界戦略の転換に寄り添うように、普通の国家、一人前の帝国主義への回帰を目論む勢力の主導によって、一つ、また一つと方向転換を重ねてきた。今回の戦争法案も、その大きな転換の一里塚に他ならない。しかもその一里塚は、その先に見据える武力行使と戦争のさらなる拡大に道を開くものでもある。
今回の法案審議でも、自民党議員などの質問や政府答弁は、敵基地への先制攻撃の必要性や核兵器保有の可能性について何回も言及した。これまで敵基地攻撃などは、「憲法で認められた自衛権」を超えるものだとして否定されてきたが、自衛権の拡大解釈でそれを可能にする道も画策されている。〝自衛権〟とは、何とも便利な言葉だという以外にない。
日本は、,すでに実質的な偵察衛星を保有しているし空中給油機も持っているので、現時点でも長距離攻撃は可能だ。ただしそれは敵基地攻撃にはまだ限定的なもので、彼らの次のターゲットは弾道ミサイルや攻撃型空母の保有などだ。すでに離島防衛のためと称して日本版海兵隊が創設され、空母保有を視野に入れた疑似空母(ヘリ搭載護衛艦)も持っている。核兵器の保有についても、自民党議員や自衛隊制服組の一部にとどまらず、原子力ムラ、それに官僚や民間にも積極的な面々が存在しているのが実情だ。
「攻撃は最大の防御なり」という言葉を地でいくような、〝抑止力〟や〝自衛権〟を拡大解釈した際限のない軍事拡大路線が、まさにいま進められようとしているのだ。
◆立憲主義
今回の法案の二つ目の問題は、いわゆる立憲主義の否定、その破壊である。
安倍首相は当初、憲法改定で集団的自衛権の行使に道を開こうとしていた。が、それが困難な状況を見て、憲法96条改定による改憲のハードルを下げる方策を目論んだが、それも頓挫した。やむなく目をつけたのが、歴代自民党政権が多用したいわゆる解釈改憲だ。今回の戦争法案も、これまで出来ないとされた憲法解釈を強引に変更することでそれを可能にするものに他ならない。
憲法の解釈を、時の政権、時の多数党が思うがままに変更できるとするならば、憲法で規定された国会発議と国民投票という改憲のハードルは取り払われてしまう。憲法は単なる飾り物にされてしまうのだ。自衛権を認めたこれまでの解釈自体が、すでに憲法を飾り物にしているのだが、それでも「ガラス細工」と称される苦しい解釈でなんとか整合性を装ってきたのが実情だ。
次の転換が解釈改憲で強行されるかそれとも明文改憲なのかまだ不透明だが、国民投票で改憲を認めてしまっては、立憲主義の否定もなにも意味が無くなる。だから立憲主義の肯定か否定かという問題は、どちらが正しいかという原理原則の問題というより、結局は、軍事優先勢力と反戦平和勢力の闘いの問題なのだ。その闘いは今回で終わることはない。今後へと続く闘いなのだ。
◆戦争をしない、させない
軍事優先政治と立憲主義の否定。そのどちらも許し難いものではある。が、もっと素朴で普遍的な闘いのスタンスが、今回の戦争法案反対行動で垣間見えた。あのSEALDs(シールズ)だ。
武藤貴也衆院議員。その武藤議員が一躍クローズアップされた瞬間があった。ブログでは「彼ら彼女らは『だって戦争に行きたくないじゃん』という極端な利己的考え……利己的個人主義」なのだそうだ。権力につながる自民党衆院議員としての地位からすれば、巷で「戦争はイヤだ」と叫ぶ若者や下々は、徴兵拒否なども含めてお上の指示に逆らう究極の利己主義にしか見えないのだろう。かつての日本の支配層や軍部エリートがそうだったように、庶民や末端の兵士などは、戦争遂行や国体護持のための捨て駒に過ぎない、と言うわけだ。
そんな武藤議員、自民党では別に珍しい存在ではない。その他、トンデモ発言で物議をかもした議員はいっぱいいる。「マスコミを懲らしめる」「法的安定性はどうでもいい」「八紘一宇」…………。
ところで「戦争に行きたくない……」という発言、その立脚点は、反戦・平和の闘いにとって普遍的な意味を持っている。誰が何を言おうが、戦争はイヤだ、戦争に行きたくない、行かせたくない……。これは戦後日本の平和主義を根付かせた「もう戦争はこりごりだ」と通底する意識に他ならない。
世界を見渡せば、憲法で交戦権や宣戦布告権などが明記された憲法が多い。徴兵制を敷いている国もある。が、そうした国でも、かつてのベトナム戦争や近年のイラク戦争を目の当たりにして、大規模は反戦行動を巻き起こしてきた。それは憲法違反だから反対、ではもちろんない。戦争は結局は人と人の殺し合いであり、苛烈で残酷なものであることが理由だ。そして死ぬのは結局は末端の兵士であり、無垢な市民や子どもなのだ。そうした反戦・平和の願いは、世界中の反戦・平和の闘いとつながる、世界共通の旗印なのだ。
「戦争に行きたくはない……」は、だから反戦平和にとって根源的で普遍的な立脚点に通じるものだ。そうした利己主義、個人主義は,なにも恥じることではない。為政者にとってなんとも扱いにくく、具合が悪いから封じ込めたくなるのだ。
◆世界に拡がる闘い
ただし、「行きたくない……」は、戦争の原因、戦争推進者を視野に入っていない、ともいえる。戦後平和主義の最大の弱点はあそこにあった。軍部、軍需産業、国家至上主義……。戦争は、利益や権力・地位それに理念も含めて、それを推し進める人や勢力が必ずいるから起こされる。反戦・平和の願いは、そうした勢力との闘いでもある。武藤議員から難癖を付けられた若者は、これまでと今後の自分たちの闘いの中から、必ずそうした立脚点を学び取っていくだろうし、そう願わずにはいられない。
安倍首相が自民党総裁選で無投票で選出された。次の任期は再びアベノミクス──経済だという。来年夏の参院選を視野に入れた発言だという。
そういえば、昨年暮れの総選挙でも集団的自衛権の行使容認は、自民党マニフェストでは明記しておらず、「平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備します」と重点政策集の隅っこでさらりと記載されたものでしかなかった。が、実際に発足した第三次安倍内閣は、戦争法案を前面に押し出した。この次も同じ手法、参院選では経済対策、それが終われば憲法改定なのだろうか。そんな詐欺まがいの政治に乗せられてはならない。そうした先行きも見据えて、国会と政権を包囲し、廃案に向けて反対勢力は総決起しよう!(廣)
世界に拡がる反戦平和の闘い
戦争法案が最後の山場にさしかかっている。安倍政権は、とってつけたような国会答弁や院外で繰り返される妄言にみられるように、傲慢で支離滅裂な対応しかできない。にもかかわらず、過半数を持つ議席を唯一の武器として強行採決を図ろうとしている。
私たちは世論でも多数を占める反対の声を背に、安倍政権の暴走を強く糾弾するとともに、闘い抜く決意を固めるだけである。(9月10日)
◆強行採決?
安倍政権は、本号が読者の手元に届く直後の16日にも、参院特別委員会での強行採決で戦争法案を成立させようとしている。
その戦争法案は、〝限定的であれば行使出来る〟と、歴代自民党政権などがこれまで〝保持はしているが行使できない〟としてきた集団的自衛権の行使を、180度ひっくり返した。要は、存立危機事態や重要影響事態など、時の政府がどうにでも解釈できる概念をひねり出し、武力行使──戦争への道を大きく拡げたいということなのだ。現に政府は、「最後は政府が総合的に判断する」と言っているように、武力行使を政府に白紙委任するような代物に他ならない。この法案が通れば、再び〝政府による戦争〟や〝国策の過ち〟が繰り返される土俵がつくられることになる。
また、自衛隊法改定などによって,戦闘行動を実施している米軍への後方支援などもこれまで以上に拡大した。PKO協力法改正案では、自衛隊員の武器使用の緩和や、駆けつけ警護を可能にするなど、戦闘行為を前提とした法改正も強行しようとしている。
国会審議をはじめとして、この間の国民的な関心と議論の高まりのなかで、多くの人々は、この法案が日本を戦争が出来る、戦争をする国にしようとしているのではないかと、安倍政権の本音を見透かしている。
その政権不信や怒りが、国会をとりまく大規模な集会やデモ、全国に拡がる反対の声と行動、あるいは各界から発せられている決議や声明などとして、連綿と吹き出している。
その怒りを結集し、強行採決を目論む安倍政権にノーの声を突きつけていく以外にない。
◆戦争をする国
私たちがこれまでも訴えてきたように、今回の戦争法案の問題点は二つある。
一つは日本を武力行使──戦争が出来る国へと大転換させようとする軍事優先主義の野望だ。
戦後日本の圧倒的多数の国民は、あの敗戦を教訓として非戦・平和国家としての再出発を誓い、戦争を放棄し戦力も持たないという憲法を受け入れ、〝平和国家〟としての道を歩んできた。
しかし朝鮮戦争以降の米国の世界戦略の転換に寄り添うように、普通の国家、一人前の帝国主義への回帰を目論む勢力の主導によって、一つ、また一つと方向転換を重ねてきた。今回の戦争法案も、その大きな転換の一里塚に他ならない。しかもその一里塚は、その先に見据える武力行使と戦争のさらなる拡大に道を開くものでもある。
今回の法案審議でも、自民党議員などの質問や政府答弁は、敵基地への先制攻撃の必要性や核兵器保有の可能性について何回も言及した。これまで敵基地攻撃などは、「憲法で認められた自衛権」を超えるものだとして否定されてきたが、自衛権の拡大解釈でそれを可能にする道も画策されている。〝自衛権〟とは、何とも便利な言葉だという以外にない。
日本は、,すでに実質的な偵察衛星を保有しているし空中給油機も持っているので、現時点でも長距離攻撃は可能だ。ただしそれは敵基地攻撃にはまだ限定的なもので、彼らの次のターゲットは弾道ミサイルや攻撃型空母の保有などだ。すでに離島防衛のためと称して日本版海兵隊が創設され、空母保有を視野に入れた疑似空母(ヘリ搭載護衛艦)も持っている。核兵器の保有についても、自民党議員や自衛隊制服組の一部にとどまらず、原子力ムラ、それに官僚や民間にも積極的な面々が存在しているのが実情だ。
「攻撃は最大の防御なり」という言葉を地でいくような、〝抑止力〟や〝自衛権〟を拡大解釈した際限のない軍事拡大路線が、まさにいま進められようとしているのだ。
◆立憲主義
今回の法案の二つ目の問題は、いわゆる立憲主義の否定、その破壊である。
安倍首相は当初、憲法改定で集団的自衛権の行使に道を開こうとしていた。が、それが困難な状況を見て、憲法96条改定による改憲のハードルを下げる方策を目論んだが、それも頓挫した。やむなく目をつけたのが、歴代自民党政権が多用したいわゆる解釈改憲だ。今回の戦争法案も、これまで出来ないとされた憲法解釈を強引に変更することでそれを可能にするものに他ならない。
憲法の解釈を、時の政権、時の多数党が思うがままに変更できるとするならば、憲法で規定された国会発議と国民投票という改憲のハードルは取り払われてしまう。憲法は単なる飾り物にされてしまうのだ。自衛権を認めたこれまでの解釈自体が、すでに憲法を飾り物にしているのだが、それでも「ガラス細工」と称される苦しい解釈でなんとか整合性を装ってきたのが実情だ。
次の転換が解釈改憲で強行されるかそれとも明文改憲なのかまだ不透明だが、国民投票で改憲を認めてしまっては、立憲主義の否定もなにも意味が無くなる。だから立憲主義の肯定か否定かという問題は、どちらが正しいかという原理原則の問題というより、結局は、軍事優先勢力と反戦平和勢力の闘いの問題なのだ。その闘いは今回で終わることはない。今後へと続く闘いなのだ。
◆戦争をしない、させない
軍事優先政治と立憲主義の否定。そのどちらも許し難いものではある。が、もっと素朴で普遍的な闘いのスタンスが、今回の戦争法案反対行動で垣間見えた。あのSEALDs(シールズ)だ。
武藤貴也衆院議員。その武藤議員が一躍クローズアップされた瞬間があった。ブログでは「彼ら彼女らは『だって戦争に行きたくないじゃん』という極端な利己的考え……利己的個人主義」なのだそうだ。権力につながる自民党衆院議員としての地位からすれば、巷で「戦争はイヤだ」と叫ぶ若者や下々は、徴兵拒否なども含めてお上の指示に逆らう究極の利己主義にしか見えないのだろう。かつての日本の支配層や軍部エリートがそうだったように、庶民や末端の兵士などは、戦争遂行や国体護持のための捨て駒に過ぎない、と言うわけだ。
そんな武藤議員、自民党では別に珍しい存在ではない。その他、トンデモ発言で物議をかもした議員はいっぱいいる。「マスコミを懲らしめる」「法的安定性はどうでもいい」「八紘一宇」…………。
ところで「戦争に行きたくない……」という発言、その立脚点は、反戦・平和の闘いにとって普遍的な意味を持っている。誰が何を言おうが、戦争はイヤだ、戦争に行きたくない、行かせたくない……。これは戦後日本の平和主義を根付かせた「もう戦争はこりごりだ」と通底する意識に他ならない。
世界を見渡せば、憲法で交戦権や宣戦布告権などが明記された憲法が多い。徴兵制を敷いている国もある。が、そうした国でも、かつてのベトナム戦争や近年のイラク戦争を目の当たりにして、大規模は反戦行動を巻き起こしてきた。それは憲法違反だから反対、ではもちろんない。戦争は結局は人と人の殺し合いであり、苛烈で残酷なものであることが理由だ。そして死ぬのは結局は末端の兵士であり、無垢な市民や子どもなのだ。そうした反戦・平和の願いは、世界中の反戦・平和の闘いとつながる、世界共通の旗印なのだ。
「戦争に行きたくはない……」は、だから反戦平和にとって根源的で普遍的な立脚点に通じるものだ。そうした利己主義、個人主義は,なにも恥じることではない。為政者にとってなんとも扱いにくく、具合が悪いから封じ込めたくなるのだ。
◆世界に拡がる闘い
ただし、「行きたくない……」は、戦争の原因、戦争推進者を視野に入っていない、ともいえる。戦後平和主義の最大の弱点はあそこにあった。軍部、軍需産業、国家至上主義……。戦争は、利益や権力・地位それに理念も含めて、それを推し進める人や勢力が必ずいるから起こされる。反戦・平和の願いは、そうした勢力との闘いでもある。武藤議員から難癖を付けられた若者は、これまでと今後の自分たちの闘いの中から、必ずそうした立脚点を学び取っていくだろうし、そう願わずにはいられない。
安倍首相が自民党総裁選で無投票で選出された。次の任期は再びアベノミクス──経済だという。来年夏の参院選を視野に入れた発言だという。
そういえば、昨年暮れの総選挙でも集団的自衛権の行使容認は、自民党マニフェストでは明記しておらず、「平時から切れ目のない対応を可能とする安全保障法制を速やかに整備します」と重点政策集の隅っこでさらりと記載されたものでしかなかった。が、実際に発足した第三次安倍内閣は、戦争法案を前面に押し出した。この次も同じ手法、参院選では経済対策、それが終われば憲法改定なのだろうか。そんな詐欺まがいの政治に乗せられてはならない。そうした先行きも見据えて、国会と政権を包囲し、廃案に向けて反対勢力は総決起しよう!(廣)