時の政権の裁量によって武力行使=戦争に突き進める安保法案=戦争法案が、正念場を迎えている。安倍政権は、今月中旬にも衆院を通過、参院送付をもくろんでいる。
国会審議を進めれば進めるほど、反対や批判の声が拡がる〝戦争法案〟。なんとしても廃案に追い込む以外にない。
◆政府による戦争
首相:左手は西、右は東、私は正面に向かって歩いて行く。
A:それでは首相は北に向かって進んでゆくことになる。
首相:いや、北に向かって進むとは言っていない。正面に向かって進むのだ。
A:左が西で右が東なら、正面は北以外にはないではないか。
首相::いや、一方的に北だとレッテル張りをしないでほしい。私は正面に向かって進んで行くのだ。こんな押し問答が繰り拡げられてきた安保関連法案を巡る議論。
こんな安倍首相とのやりとりを聞いて、安保法案に支持・理解が深まるハズもない。
逆に当然のことながら、「もっと議論を」「もっと説明を」という声が拡がっている。それは首相の説明が信用ならないことと同義だ。時の政権による独断的な憲法解釈で、日本が戦争当事国になることが格段に高まるという危惧の念が拡がっているのだ。
そんな情況が拡がるなか、3人の憲法学者の発言がターニング・ポイントの意味合いを帯びることになった。発言は、歴代政権の憲法解釈を前提としても、集団的自衛権の限定容認やそれを反映させた今回の安保法案はその範囲を逸脱しており、法的秩序の安定性を壊す憲法違反のものだ、というものだった。そのとおりだろう。
憲法違反といえば、元はといえば、憲法9条のもとでは自衛隊の存在そのものが憲法違反と言わなければならない。が、数々の憲法解釈の変更によって現在の軍事大国日本が存在するわけだが、それは敗戦という歴史を背負った日本の宿命的な矛盾そのものなのだ。が、それはさておき、現行の憲法前文には次のような記述がある。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、」という記述だ。
安倍政権が懸念や批判が拡がる今回の戦争法案でやろうとしていることは、まさしく「政府の行為による武力行使=戦争」そのものではないだろうか。実際、今回の法案には、政権の裁量の余地が大きい武力行使の三要件など、政府の主導によって国民の声や願いに反した武力行使=戦争に突き進むという構図がはっきり反映されている。
国民の意に反して、ということについては、次の数字を見るだけで明らかだろう。衆参両院で圧倒的多数を握っているとはいえ、安倍政権を圧倒的多数の国民が支持しているとはとはとても言えないのだ。圧勝したとされる昨年の総選挙でも、自民党の得票率は33・1%(比例区)、全有権者に占める割合は17・4%でしかない。
さらに今回の安保法案に関する世論調査でも、批判や反対の声のほうが圧倒的に高い。共同通信の調査(6月20~21日)では、法案が憲法違反だとする解回答が56・7%でそう思わないとする回答は29・2%でしかない。朝日新聞の調査(6月20~21日)でも法案に「反対」が53%、「賛成」が29%で、違憲50%、合憲17%だ。
今回の安保法案は、単に違憲だから反対する、ということに止まらない。今回の法案に対しては、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」ための努力そのものが、国民の権利であり義務でもあるというべきだろう。
◆パワーゲーム
今回の戦争法案の核心は、時の政府の判断で戦争に突き進む〝武力行使の三要件〟にある。
①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態、②国民を守るために他に適当な手段がない、③武力の行使は、事態に応じ合理的に必要とされる限度、という「三要件」は、概念が抽象的であるなど、明確な歯止めにはなり得ない代物だ。時の政府が、「明白な危険」や「合理的な武力行使」など、なんとでも説明できるだろう。
その安倍首相、今回の法案の必要性について、東アジアの安全保障環境が変化してきたことを根拠に上げている。これもおかしな話だ。安保環境の変化というのは自然現象ではない。お互いの国家としての主体的な意志や行動のぶつかり合いの結果が、現状の安全保障環境をつくってきたのだ。
安全保障環境というのは、相互関係だ。一方の当事者である日本は、一体戦後何をやってきたのだろうか。北朝鮮にしても、冷戦構造のなかで米国に追随して北朝鮮封じ込め政策に荷担してきたのは日本だ。韓国にしても、領土問題や歴史問題で根本的な解決への努力を怠ってきた。
中国にしてもそうだ。内戦や文化大革命などで混乱を続けた中国に対し、米国と一体となって対中封じ
込め政策を続けてきた。中国の軍事力が弱体だった時には、中国の領土・領海のすぐ際まで警戒・監視行動を続けて威圧してきたし、米国はいまでも続けている。仮に中国が、カリブ海で同様の行動を取れば、米国がどういう反応を示すかは、あのキューバ危機を持ち出すまでもないだろう。中国が経済成長とともに軍事力でも米国に挑戦する力を付けつつあるいま、中国が自国の軍事的影響力を拡大しようとする危険な動きを見せているのは確かだ。だからといって、東アジアの緊張を中国のせいだけにするのは一面的な見方だという以外にない。
同じ事は北朝鮮や韓国、それに中国でも当てはまる。国家間関係のなかで軍事力を背景としたパワーゲームの比重を肥大化させることそのものが、緊張と危機を増幅させるのだ。
◆隠されている武力行使
今回の戦争法案への支持が拡がらず、逆に危惧や批判の声が拡大している背景には、法案の中身そのものが戦争当事国となるにおいが充満していることがある。安倍政権が例示する個々のケースに限らず、法案には「それ以外」のケースがあり得る、との思いを抱く人が多いのだ。安倍首相も「例示することは難しい」と言っているように、法案には書かれていないケースでの武力行使の可能性が大きいのだ。
たとえば今回の法案に先立って日米で改訂が合意された日米防衛協力のための指針(日米安保ガイドライン)でも同じことがいえる。このガイドラインは、日本で安保法案が提出されてもいない今年4月に外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で合意されたものだが、その中では次のような記述が目に付く。
平時からの協力措置として警戒・監視や防空・ミサイル防衛、それに海洋安全保障や後方支援などを上げ、「これに限られない措置」をとる、としている。また日本の安全に関しても、海洋安全保障、非戦闘員の避難、後方支援などをあげ、これらに限らない追加的措置をとる、としている。
また、国際的な活動における協力についても、「この指針に必ずしも明示的に含まれていない広範な事項について協力する」としている。こんな記述が9カ所も出てくるのだ。
これを読むと、実は公表された文書の背後に秘密合意文書があるのか、それとも付属覚え書きなどが存在するのか、そうとしか思えない書きぶりになっている。それを前提として公開文書を作り、国会答弁などで、その範囲で答弁しているとしか思えない。そう考えれなければ、一般的には禁止されているという集団的自衛権行使の例外が、機雷掃海や邦人輸送中の米艦防護、それに第三国のミサイル基地への攻撃など、次々と例外を拡大する安倍首相の答弁も納得できないというべきだろう。
現に、今回の戦争法案では安倍首相も、「総合的に判断する。例示がすべてではない」「最初から固定的に定めていくのは難しい」と発言している。また中谷防衛相も、「(6累計は)あくまで事例で、すべてを網羅的にしたものではないとし、安倍首相も、あらかじめ具体的なケースを例示すれば敵国に手の内をさらすことになると説明もしてきた。議論されている武力行使の事例は限定的……実際はもっと多岐にわたるのは間違いない。
政府は、この15,16日にも衆院特別委員会と本会議での採決を強行し、延長国会での衆院再可決も視野に入れた強引な成立をもくろんでいる。いま、大きく拡がっている戦争法案への批判の声と行動をさらに拡げることで、戦争法案を廃案を追い込む以外にない!(廣)