この前叔母と雑談をしていて、私が子供の頃、お正月やお祝い事などで、よく親戚で集まっていた時の話になりました。

 

「あたが幼稚園位の小さい頃は、みんなで懐石料理家で集まって新年会とかやってたよね真顔

 

「そうだね、なんとなく覚えてるにっこり

 

「あんた茶碗蒸しが好物だったじゃん知らんぷり

 

「うんよだれ

 

「ご飯の時に自分の茶碗蒸しをみんなに配って歩いてたの覚えてるひらめき?」

 

「なにそれ、覚えてない驚き(笑)」

 

「あたの分の茶碗蒸しなんだから自分で食べなさいって言ってるのに、一人一人のお皿に一口分を分けながら席を周ってたの泣き笑い(笑)」

 

「なにやってるんだろ爆笑

 

「それでね、すっ転けて茶碗蒸しを畳にぶちまけたのよ泣き笑い

 

「えっ(笑)

好物を撒き散らして、さぞかし大泣きしたんじゃ…ネガティブ

 

「それがね、笑ってたよニコニコ

 

「えっ驚き

 

「多分みんなが笑ってたから、自分もなんかおかしくなっちゃったんじゃない?

そのあと新しい茶碗蒸しを頼んであげて、また転ぶだろうから大人しく座って食べなさいと言ったよニコニコ(笑)」

 

「そんなことがあったんだ…なんか恥ずかしいわニコニコ(笑)」

 

という会話がありました。

 

多分みんな茶碗蒸しのカケラは要らなかったと思うんですけれども…(笑)、

 

チビあた的にはきっと、自分は好物を貰えて嬉しかったから、みんなもこれを貰ったら嬉しいだろうという善意だったのだと思いますニコニコ笑

 

しかし、自分の分から配ったら、自分の好物が減ってしまうのですが…

そこまで深く考えていなかったんでしょうね爆笑(深いか?)

 

他にも、茶碗蒸しをぶちまけて泣いたのかと思いきや、笑っていたのも…

 

やっぱり“自分のものが無くなってしまう”ということに、あまり拘りがなかったんだと思います。

 

それよりもみんなが楽しそうなことが、よくわからないけど嬉しくて、だから一緒に笑ってて…。

(あと畳だったから、転んでも痛く無かったからだと思います 笑)

 

小さい頃…特に幼稚園児位の年は、魂のエネルギーを発揮しやすいですし、自我もそんなには育っていなかったので…

 

大人の今よりも“不足”への憂いや執着が薄く、“今、ここ、この時”という、魂のエネルギーを生きられていたんです。

 

こう思うと、小さい頃の自分と今の自分はギャップが大きくて…今の自分を逆に小さく感じます(笑)

 

大人としてのバランス感覚も大切ですが、子供のようにのびのびとした感覚も、どちらも大事ですね歩くガーベラ

 

 

*   *   *  

 

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