僕は当時小学6年生で、激震地とされる、神戸市東灘区に住んでおりました。


幸い、僕が住んでいた家はほぼ被害もなく、余震がちょっと怖いなというぐらいで、停電でテレビも見れないし、しばらく姉と布団にくるまって遊んでいました。


庭に出た母が、異様な空に気が付きました。煙が何本も立ち上っていたのです。僕も呼ばれて見に行きましたが、母と御近所さんが、ただ事ではないといった雰囲気で、徐々に恐ろしさがこみ上げてきました。


岐阜に単身赴任をしていた父ですが、たまたま神戸に戻って来ていて、昼ぐらいから家を出て様子を見に行く事にしました。僕の家は阪急電車の線路より北側にあり、南側の状況が不明だったためです。


南側に行くと、あまりの惨状に父も私も言葉を失いました。全壊した建物、一階部分が押しつぶされた建物、パジャマ姿で助けを求める人々。僕の知る街並みはそこにはありませんでした。


中でも、瓦礫の上で座り込んだ女性が、近くを通りかかった警察官に、主人が埋まってるんです!助けてください!と訴えている姿が今でも頭から離れません。警察官も僕たちも、どうすることもできませんでした。


その日は停電だったため、家にあったロウソクを使い、近くのコンビニで買った食料を食べて過ごしました。冬なので日が暮れるのも早く、早目に寝たような気がします。


ここから先は記憶が曖昧なのですが、何日か後に、車で父の単身赴任先に避難しました。ライフラインが確保できていなかったのでやむなしといった感じです。


子供ながらに、大変な人が大勢いるのに、自分たちだけ避難してもいいものか、という葛藤のようなものはありましたが、今は家族を守ろうという両親の英断に感謝しております。


こんな風に当時の事を書くのは初めてですが、自分の中でも記憶が曖昧になっている部分があり、忘れてはいけないという思いから書いています。


人間は過去の経験から成長できます。記録を残せば、次の世代に引き継げます。ただ、確実に風化というものはあり、それはある程度仕方がないものと思います。だからこそ、経験した人が少しでも多く当時の記憶を残すべきではないかと、意味があるのかはわからないけど、今更ながらやろうと思いました。


また何か思い出したら書きたいと思います。