伊勢佐木町の不二家とお別れ… | マサミのブログ Road to 42.195km

マサミのブログ Road to 42.195km

走る・観る・聴く・読む・歩く・食べる・楽しむブログ

横浜、伊勢佐木町の不二家。建物の老朽化により、8/20で閉館だそうです。

 

洋菓子の不二家は、1910(明治43)年に横浜・元町に最初のお店がオープン。1922(大正11)年に伊勢佐木町に2番目のお店が出来ました。この写真の店舗は1937(昭和12)年に建てられたもので、戦時中の空襲にも耐え、86年間も使われ続けてきたものです。

 

 

こんなふうに↑いろんなところでニュースになっていますね。

 

 

ーーー

 

 

伊勢佐木町の不二家について、1923(大正12)年に生まれた母が生前にこんなことを言っていたのでご紹介します。

 

「伊勢佐木町の不二家には2階にパイプオルガンがあって、私はそれが好きで時々聴きに行っていました。でも戦争が終わると進駐軍に接収されてしまい、日本人は立ち入り禁止に。たまに通りかかると、2階のガラス窓のところにアメリカの兵隊がたむろしていて、下を見おろして笑っているんです。私はそれが悔しくて、屈辱感を感じました。戦争に負けるって、こういうことなんだなと思ったものです」

 

 

進駐軍に接収されていた頃の不二家の写真が東京新聞のサイトにあったのでお借りしました。確かに、通りに面した2階に大きなガラス窓がありますね。青い目の兵隊があの窓から下を見おろし、何か言いながら笑っているのを見たら、確かに悔しい気持ちになるかもしれない。当時、20代前半だった母の気持ちが想像できます。

 

 

接収されていた当時と最近の様子を比べてみると、2階の大きなガラス窓はふさがれてしまっているのが分かります。占領が終わり返還されてからは、上のフロアも中華料理店や宴会場として使われていたそうですが、私の記憶にはありません。

 

ちなみに…「アメリカ軍に占領、そして返還」などと言ったら今の人は「沖縄のこと」と思うでしょうね。でも横浜にもそういう話はたくさんあったんです。そして今でも現実に続いています。

 

 

上の写真は不二家のHPから。私にも不二家の思い出があって、いつかも書いた気がしますが、もう一度書きますね。

 

私が幼稚園~小学生の頃、休みになると親に手を引かれて遊びに行くのは、マリンタワーや氷川丸がある山下公園か、または野毛山動物園でした。野毛山動物園には小さな遊園地が併設されていました。そして帰りには伊勢佐木町の不二家で何か食べて帰るのが決まりでした。(野毛山の帰りだったら、日の出町の駅前にあった不二家に行った可能性もあります)

 

当時はお店の入口で注文するものを決めて、食券を買ってからテーブルにつきました。食券は鉄道の「硬券」と同じで、厚くて固い紙で出来ていました。食券にはミシン目が入っていて、ウェイトレスさんが来て半分に切り、半分をテーブルに置いて残りを持って行くやり方でした(浅草の「神谷バー」では今でもこのスタイルです)。

 

ベテランのウェイトレスさんになると、食券を片手でスッと取り上げ、指と指の間に挟んで「パチッ!」と二つに折り、片方をテーブルの上に置いていく人がいました。すべて片手です。子どもだった私にはその仕草がすごく粋(いき)で格好良く見えたものです。たまに不二家に行くと、それをやってくれるウェイトレスさんが来ないかなと思いましたが、たまにしか会えませんでした。

 

 

ーーー

 

 

大人になってからの私には、不二家と言えば「ファミレス」のイメージです。横浜の磯子とか、三浦海岸にお店があって、仲間とテニスに行ったりドライブしたついでに入って食事するお店でした。また地元の商店街にもお店があったので、たまにケーキを買うぐらい。

でもここ数年、伊勢佐木町のお店にはなんとなく行く機会が増えて、年に何回かは寄るようになっていました。伊勢佐木町にはジョナサンというファミレスがあったのですが閉店してしまった影響もあって。

 

ですから伊勢佐木町の不二家が閉まると聞くと、やはり寂しい気持ちになります。スペシャルメニューがあるそうなので、閉店の前に食べておこうと思い行ってきました。

 

 

 

 

 

 

これが「感謝メニュー」。ハンバーグとエビフライにライス。ドリンクバーとショートケーキが付いて2280円です。

 

 

 

 

 

 

写真はウェイトレスさんに撮ってもらいました。そしてお味のほうは…まぁ平均的なファミレスの味。こう言ってはアレですが、私は不二家レストランのメニューに「思い出の味」みたいな、特に思い入れのあるものはないんです。不二家ならではの味とか、横浜の不二家でしか食べられないスペシャルメニューみたいなものはありませんし。

 

 

これ、「イタリアンショートケーキ」という名前なんですね。どの辺がイタリアンなのかな。大きい所?(笑) 確かに元町・喜久家のショートケーキと比べたら倍ぐらいあるかも。懐かしの「イタトマ」を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

厨房の壁にあるレリーフは開店当時からのものだそうです。私の記憶にはありませんでしたが、これは残してほしいな。

 

 

 

 

店頭のメッセージボードには、たくさんのコメントが寄せられていました。全部読みたいけれど他の人の邪魔になるので…

 

 

私がスペシャルメニューを食べに行ったのは8/14の月曜日でした。上の写真は今日8/18の午後4時頃の様子。レストランには行列が出来ています。どこでもそうだけど「閉まる」となると混むんですよね。

 

不二家・横浜センター店は8/20でいったん閉店。すぐ近くに仮店舗を出して営業を続け、新しいビルを建てて再出発するそうです。そしたら「横浜センター店」なんて味気ない名前ではなくて「不二家・伊勢佐木町店」と堂々と名乗ってほしいと思います。歴史に誇りを持ってもらいたい。メッセージカードにそう書いて貼っておかなくちゃ。

 

伊勢佐木町で、私が子どもの頃から知っているそのままの建物で営業しているのは、もうあとは有隣堂ぐらいになりました。野沢屋(松坂屋)も、ハマ楽器も、横浜ピカデリーも、シュウマイの博雅亭も、ステーキのシャリアピンも、ディスコで踊った日活会館も…みんな無くなってしまった。いつか「マイ・ノスタルジック伊勢佐木町」というテーマで記事にしたくなりました。そういうのがお好きな方は、ご期待ください。最後までお読みいただきありがとうございます。

 

 

ーーー

 

 

なお、上に書いたようなことをチラリとTwitterでつぶやいたことが拾われて、テレビ朝日から取材を受けました。オンエアされるとしたら8/21(月)朝4時55分~8時の「グッド!モーニング」だそうです。今日(金曜日)の午後、伊勢佐木町の不二家の前で、ここに書いたのと同じことをカメラの前でしゃべってきました。いいこと言ってるとは思うんですけど、コメントが長すぎて使うのは難しいかな(笑) もし流れたらお知らせしますね。