大学時代は365日×4年間、日記を書いていたんですよ、わたし。



それは記録したい訳でも記憶したいからではなく。




子供の頃からめちゃくちゃ記憶力が良かった私は
その記憶力のせいで悲しみを薄れさせることが下手くそで、忘れたい悲しみさえ、いつだってリアルに思い出せていました。


思い出すたび、初めて感じた時と同じだけの痛みを感じてしまうのがしんどくてしんどくて
どうしたらもっと生きやすくなるかを自分なりに考えた結果、あえて日記を書くことにしたんです。


楽しかった日はもちろん
なんてことない日でも基本的には
とにかく詳しく細かく日記を書く。



そのかわり悲しかった日は、


『悲しかった!!』しか書かない。

ひどく悲しかった時はビックリマークの量を増やして
『悲しかった!!!!!!!!!!』みたいに。笑





そうすると不思議なもので




日記を見返した時詳しく書いてないから


あれ?なにが悲しかったんだっけ?と一瞬なる訳です。



悲しかったみたいだけどなんか覚えてないし
詳しく書いてないから反射で思い出せない。
めっちゃビックリマークあるのに、なんでこんなビックリマークつけたの?え?みたいに。笑

そんな風に
悲しみを忘れる訓練を人知れずしていました。







でも、今日はそれと真逆のことをします。






忘れたくないから


私の悲しみについて
詳しく書こうと思います。




伝えたい訳じゃなく
ただ、残したいから書くブログ。







実家の猫が亡くなったとラインが入ったのは
仕事に向かう電車の中でした。


自分の顔が一瞬で歪んだのを感じたから
慌てて上を見るしかなかった。


『仕事だ。化粧が落ちる。目が晴れる。泣いたらダメだ。明日も明後日も仕事だ。もし仮に泣いたら目を冷やしたって目の重さと気だるさは残る。泣けるのは何日後だろう。でもとりあえず今じゃない。』




そうして考えないように何秒かやり過ごした後

天井を見ながら思った。



『なんで悲しんだらいけないんだろう
わたしはこんなにも悲しいのに』





そんな想いがこみ上げてきて

なぜか無性に、悔しくなった。





悔しくて悔しくてまた涙が溢れそうになり
また上を見あげ、鼻から息を吸って口から吐き
呼吸に集中する。大学時代に習った落ち着かせる方法を実践し続けながら無心で現場に向かった。




それがえらいことなのか、当たり前のことなのか、仕事中、たったの1秒も、たったの一瞬も思い出すことはなかったのだけど、
自分で自分を褒めるどころか
それ自体がまたひどく悔しかった。
帰りの電車で泣かないようまた、上を見た。





普段なら喜怒哀楽の、
怒と哀はやり過ごすようにしてる。
怒と哀に染まるのも浸るのも原動力にするのも得意じゃない。
できるだけ何かに熱中し
楽しいことに励み
気づいた頃にはどうでもよくなってるようにするのが私なりの正攻法。







だけど、思った。
止まらない悔しさで歯を食いしばりながら気付いた。





ダークサイドに行きたいんじゃない。
部屋の中でうずくまりたいんでもない。








私はただ、大好きな大好きなあの子のことを
考える時間が欲しいんだ。








そう気づいたら
耐えきれず涙が溢れた。






わたしは悲しい。
だって大好きなあの子が死んでしまったんだから。














太陽みたいな人だとか
海みたいな人だとか
なんか恋愛の歌やら合唱曲にもそういう表現はあるけれど、

高校生の時に出会ったその子は
『ひだまり』みたいだった。





少なくとも私は
人間で『ひだまり』みたいな人に出会ったことないから
今振り返っても私が人生で初めて出会った
唯一の『ひだまり』みたいな子がその猫だった。




穏やかで優しくてかわいくて
体が大きくてやわらかくて
いつもあたたかくて愛らしくて
まるでポカポカ陽気みたいな
キラキラ光が反射しているような。
淡い薄い色の茶トラだったから
存在そのものがひだまりの具現化みたいな猫だった。





その子の姿を見るだけで
心がいつも許された気がしたし
健やかでいれる気がしたし
わたしの負の全てを溶かしてくれる
そんな力さえあると思ってた。



両親にも姉達にも負けないくらい
私をずっとずーっと守ってくれてた。




そんな私の唯一のひだまりが




高校生の時から今の今までずっと



私の唯一のひだまりが







もういない。






もういない。









もういない。












大好きだから、大好きだよーって何度も言った。

大好きを超えてるから愛してるよーって何度も言って

そして、いつか命は終わるから
『来世でも会おうね約束だよ』って毎日毎日言った。


その子と私の決まり事のように
毎日毎日、向き合って、そう言った。

命はいつか終わること
分かってたから、だから一回じゃ足りなくて毎日言った。






誰かが言ってた
今世で親しい人は前世でも親しかったんだよという言葉は、きっと今世で出会った人達の有難さと奇跡を忘れないようにするためなんだと思う。





それは人間同士だけじゃなく。






今世で出会った大事な存在は
前世でも大事な存在だったんなら
来世もまた会えるに決まってる。





しかも『来世でも会おうね』と、
あんなに毎日言ったんだから。
















だから、きっと大丈夫。





来世でも会おうね、約束だよ。